「早くティッシュを鼻に詰めて」
莉音がくれたティッシュを鼻に詰めながら、やっぱり優しいなぁと思った。
「あたしを見ながら鼻血垂らさないでよ。変なこと考えてるみたいで、キモいんだけど」
「ごめん」
怒られたら詰めたティッシュが、一瞬で真っ赤になった。すごい勢いで僕の血がなくなっていく。血が減ってくって考えたら、フラッとしてきた。莉音の肩に手を置いて倒れずにすんだけど、かわりに耳に大きな声が響いた。
「しっかりしなさいよ。バカ!」
言葉には刺があるのに、ティッシュを細長くして、僕の顔の前に出した。優しい顔で手を近づけられた。
莉音は言葉に刺があっても実際は優しい。ずっと一緒にいるからわかるんだけど、莉音は素直になれないタイプ。だから本気で怒ってるわけじゃないのが僕にはわかる。
「ほら、上向いて」
言われるがままに、僕は上を向いて鼻にティッシュを入れられる。
こんなことされるのは恥ずかしいけど、莉音だから恥ずかしさも我慢できる。多分莉音も僕にだからやってると思う。
「公園に行くよ」
駅前で人が多いため、恥ずかしくなった莉音は、僕の手を引っ張った。この顔の赤さは怒ってるからじゃない。
莉音と手を繋ぐのって久しぶりかも。莉音の手は温かくて柔らかかった。莉音の顔を盗み見ると、あえて僕の方を見ないようにしている感じがした。
誰もいない公園について、莉音と僕はベンチに座った。何度かティッシュをかえていくと止まった。
「ありがとう。僕ティッシュ持ち歩いてないから、莉音がいて助かったよ」
「あたしが原因だから」
そうだけど僕は莉音に優しくされると嬉しい。だって莉音以外の女の子とは殆ど話さないから、莉音は大切にしなきゃって思う。
「何かして欲しいことある?」
「えっ?」
「だから今のはあたしが原因だから、何かお詫びをしなきゃって思うの」
「じゃあ後でお菓子買って」
莉音は何だか不満そうだった。少し怒ってるように見えた。でも言いたいことがあるのに言えずにいるようにも見える。
「それじゃ食べたいお菓子考えといて」
ツンとした口調で言われたけど、何でそんな言い方をされたのか、わからなかった。
☆
僕達はメイド喫茶に行く途中で道に迷った。迷うほどの距離じゃないんだけど、小さなビルの二階にあるみたいで、どこのビルかがわからなかった。僕がケータイで確認していてわかんないでいると、莉音が僕のケータイを取った。
「ちょっと貸して」
莉音が見ていると、数秒後には理解した表情になった。
「ここがコンビニの前だから、こっちに曲がって少し歩いたビルね」
「ありがとう」
僕は方向音痴だから、地図を見てもイマイチ理解出来ない。そういうときに莉音は地図を見てくれるんだけど、その理解力が欲しい。
「光樹は前から方向音痴だったからね。光樹が苦手なことはあたしがやるから、あたしが苦手なことは光樹がやってね」
上目遣いでニッコリ微笑んだ莉音は、どこかお姉さん的な表情で、可愛さだけじゃなくて、いつも一緒にいたいと素直に思える心地よさがあった。やっぱり幼なじみは、気を遣わずに自然な助け合いが出来るから、ずっと一緒にいたい。
「危ない!」
歩き出すと後ろから、速いスピードで自転車が走ってきた。僕は気配でわかったけど、莉音は気付いてなかった。思わず莉音の手を引いて、莉音を数歩後ろに歩かせた。
自転車は、莉音の横ギリギリを通ろうとしてたけど、あのままだったら多分ぶつかってたと思う。
「あ、ありがとう」
莉音は僕にお礼を言って、走り去った自転車の方を見つめた。僕の方に向き直り、繋いだ手に力が入れられた。
「またこういうことがあるかもしれないから、手を繋いで歩こう」
「えっ?」
何故か僕と逆の方を向いて莉音は言ったんだけど、驚いたら手をギュッと握られた。それに莉音の声から、緊張感を感じた。
「ほら、こういうことがまたあるかもしれないから、安全のためにね。良いでしょ」
深呼吸をして莉音の声は音符マークが付いているように、ルンルンな抑揚になった。
「別にいいけど、何で嬉しそうなの?」
莉音は僕の方を向いて、顔を真っ赤にして声を裏返した。
「だって光樹が意外と頼りになるから」
「今のはたまたま気付いたからだよ」
僕は常に頼りがいがあるわけじゃないし、変に頼られると困っちゃう。どっちかっていうと、頼っちゃうタイプ。男だからもっと頼りがいのある男になりたいけど、無い物ねだりな気がするし、無理せず僕らしくいきたい。
「光樹のそういう謙虚なところ好きだよ」
「謙虚じゃないよ」
僕は好きって言われて思わずドキッとした。だけどまぁ危機一髪のところを助けたら、そういう言葉くらい言うものかなと思った。
「手に汗かいてきちゃったし、手離さない?」
今日は夏と秋の間のような気温。僕はどちらかと言えばただでさえ汗っかき。あんまり手を繋ぎ続けるのは嫌なんだけどなぁ。
さっきまで嬉しそうだった莉音は、急に悲しそうな表情に変化した。さらに涙目になった。手を離すだけで何でこんなに悲しそうになるんだろう?
「莉音、何で泣きそうになってるんだ?」
「な、何でもない」
「そっか。じゃあ行こう」
僕の言葉を聞いて、莉音は頬に涙を流した。離そうとした手も離さないように、莉音はギュッと握ってる。
「何でそういうこと言うの?」
「だって何でもないって言うから、気にしなくていいのかと思ったんだけど」
「何でもないってことは、気にしてよ」
「えっと、言ってることがよくわかんないんだけど……」
「もう。光樹のバカ!」
莉音が泣きながら走り出した。状況が飲み込めないけど、とにかく追い掛けた。
「どうせ光樹はあたしのこと好きじゃないんでしょ!」
何を言ってるんだろう。いつもしっかり者で、僕の方が頼っちゃうのに、急に好きとか、好きじゃないって話し出した。会話が繋がらないから、よくわかんない。
「待てよ。莉音」
僕は莉音の手を掴んで、振り向かせた。涙目になってて目が赤くなっている。その瞳は
まるで失恋したような想いを感じさせた。
「莉音ごめん。僕莉音の気持ちに全然気付かなかったよ」
莉音は涙を拭いて、少しだけど表情を明るくさせた。僕の言葉を待っている眼差しから、ここで間違えちゃいけないと理解出来た。
「失恋したのか?」
「光樹のバカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ、バカ!」
体中をポカポカ叩かれて、僕は気を失った。
☆
僕は目を覚ました。さっきの公園で莉音に膝枕をされていた。何かがあったみたいなんだけど、思い出せない。
「やっと目が覚めた」
僕の黒いハットを被った莉音の顔があった。
「似合う?」
「うん」
膝枕をしてたのか。状況がわかんないけど、恥ずかしいなぁ。体を起こしながら、莉音に尋ねた。
「僕は何をしてたの?」
「眠いって言って、寝てたのよ」
「何で膝枕されてたの?」
「光樹がしてって言ったから」
「嘘?」
莉音はフフッと笑って、何も言わずに話を変えた。
「光樹の寝顔可愛かったよ。気持ちよさそうに寝てた」
「それにしては体中が痛いんだよなぁ」
「ギクっ!」
「コントみたいなリアクション取らなくていいから」
莉音は慌てて話を変えた。
「それよりメイド喫茶に行くよ」
「そうだった」
僕は莉音からハットを返してもらって、歩き出した。
「ところで何であたしを誘ったの?」
「だってメイド喫茶に行くってなると、なんとなく嫌がる友達もいるかもしれないし、バカにされたりとかは嫌だから。それに……」
「それに?」
僕は言うか迷って止めたら、莉音が続きを促した。まぁ会話の流れでこうなるだろうけど、ちょっと話すのが恥ずかしい。
「莉音とは物心ついたときから一緒にいるから、隠し事とかしないで何でも話せるから。莉音じゃなきゃ誘えなかったんだ」
こういう本音をさらけ出すのって恥ずかしい。でも莉音にだから素直に言えた。僕の言葉を聞いた莉音は嬉しそうに表情を明るくさせた。
「あたしもちょっと興味があったんだけど、一人で行くのはハードルが高かったから。それに一人で行かれてもちょっと嫌だしね」
「何で?」
別に隠すわけじゃないけど、わざわざ言わずに行くのは普通な気がする。メイド喫茶だから話題性があるけど、普通の喫茶店に行ったからって、わざわざ話したりしないから。
「だってメイドさんを好きになっちゃうかもしれないでしょ!」
そんなこと考えたこともなかった。だって好きになるって、仲良くなって、その人のことを理解してからだから。僕は一目惚れはしたことないし。可愛いとかきれいって思っても、好きに直結しない。
「だって前にメイド服って可愛いって言ってたじゃない」
それは確かに言った。莉音はすごい記憶力だなぁ。でも僕のことだけな気もする。まぁ幼なじみだからかな。
前にコスプレの話になって、好きなコスプレは何かってみんなで話してたら、僕はメイド服って言った。他の男子はナース、スチュワーデス、婦警さんとオタク的じゃなかった。
「メイドさんを好きになるかはわかんないけど、莉音に断られたら、メイド喫茶に行くのやめてたと思うよ」
「何で?」
「うまく言えないけど、莉音にはそういう安心感があるんだ」
自分でもよくわからない。言葉には出来ない感情がもどかしい。
「さっきみたいに鼻血を出したときに、莉音は何だかんだ言って、ティッシュを出してくれたしね。他の女の子も同じ行動をしたかもしれないけど、莉音じゃなきゃ恥ずかしくなって、逃げてたかもしれないんだ」
「それってあたしのこと……」
「うん。特別な存在かな」
恥ずかしさを誤魔化すために、笑ってみせた。
「仕方ないなぁ。本当は違う言葉を聞きたかったんだけど、特別な存在で我慢しよう」
莉音は何だか嬉しそうだった。今日の莉音は会ってからそんなに時間がたってないのに、いろんな顔を見せてくれた。さすがに可愛いって言葉は本人には内緒にしておこう。特別な存在で伝わってると思うから。
メイド喫茶の看板が見えて、探してたビルを発見した。