僕と飯島さんの関係は微妙になった。告白して考えさせてって言われたから、まだ望みはある。でもうまくいくと思ってたから、こうなると不安でたまらない。
「別に女の子は他にもいるんだし、ふられても落ち込まないの」
「ふられてねえよ!」
僕が席について、何となく飯島さんの方を見ていると、由里香がやってきた。相変わらず傷口に、おたふくソースを塗るようなこと言いやがる。自分でも思うたけど例えが微妙だったなぁ。
本当にふられたら、気持ちを切り替えなきゃとは思うものの、結果が出る前に負けたときのこと考えるのは早い。つまり今の微妙な状態から、少しでもうまくいくように、ポイントを上げなきゃ。
僕が立ち上がって、飯島さんの方に向かおうとしたら、相葉秀也が話ていた。
秀也は一言で言ったらモテ男だ。学級委員で、イケメンで、頭が良くて優しい。しかも一年でサッカー部レギュラーに入った。うちの高校は県大会でもかなり上位に入る強豪校で、一年でレギュラーに入りなんて、うまい証拠だ。毎日練習を見学してる女子もいる。
正直好きにはなれない気持ちはある。だけどこれはただのひがみで、実際に男子と話してても人当たりが良く、爽やかで僕自身嫌いにはなっていなかった。
ただ最近になって、飯島さんと話すことが、多いように思う。つまり夏休み前に、彼女を作ろうと、飯島さんを狙ってるわけだ。
「勝てない喧嘩は、しなくて良いんじゃない?」
「僕にはマタンキがついてるんだよ。戦わないで負けるなんて男じゃない」
「最低!」
「別に由里香から最低って思われてても、いいんだよ」
問題は好きって思われたい人に思われるかどうかだ。
「じゃあ香苗に、隼人がマタンキって言ってたこと、伝えよう」
「わー、ごめんなさい、ごめんなさい」
「許して欲しかったら、正々堂々秀也に勝負を挑んできなさい!」
「は?」
「まず二人の間に入って、お前には絶対に負けないからな。香苗は僕のもんだ。僕と戦って勝ったら、香苗は秀也に譲ってやるって言ってきて」
「何で戦うことになってるの?」
「だってこのままだったら、香苗は秀也君を好きになるよ」
「フ、唯一勝てる部分がある」
「何?」
「アニメだ」
決まったと思ったけど、由里香はため息をついた。
「それで勝っても意味ないでしょ」
「冗談だよ。好きって気持ちじゃ負けてないのは本当だよ」
「それがしっかり伝わってるなら、この前うまくいってたでしょ」
「フ、そういう事実は、オブラートに包んで言わないと、僕は泣いちゃうんだぜ」
「何でカッコつけてるのよ」
「うるせ-。このドS女」
「いいからやるのか、あたしにマタンキを見せたって言われるか、どっちがいいのよ!」
「事実と違うじゃねえか!」
「うっさいわね。じゃあ香苗にマタンキ見せられたって言ってくる」
「待てよ。勝負を挑んでくれば良いんだろ」
僕は歩き出そうとした由里香を止めて、飯島さんの方へ走り出した。
「この参考書が先輩に勧められたのだよ。使ってて良いよ。でも八月には全教科を復習したいから、一回会おう?」
「えっ?」
僕は二人の間に入った。
「オイ、秀也。お前が飯島さんを好きなのはわかってるんだよ」
「え、いきなり何?」
「すっとぼけてるんじゃねえ。好きか嫌いか言え!」
秀也は掌を額に当て、三秒ほど考えた。俯いた顔は僕に向いたかと思うと、すぐに飯島さんに一歩近づいた。
「こんな変なタイミングで言うつもりはなかったけど、好きだから良かったら付き合ってくれないかな」
「う、うん」
あれ、なんでこうなるの?
飯島さんは迷いながら頷いた。僕に申し訳なさそうな目を向けて。
「大田君って、イメージと違ってた。もっと落ち着いてる気がしてたのに」
僕は負け犬だー。負け犬は走り去らねばー。
廊下を走っていると、後頭部に何かが当たった。
「隼人、何で負ける戦いをしたのよ」
「由里香がやれって言ったんだろ!」
「あたしが言ったのと、全然違うセリフじゃない。負けるとは思ってたけど、速攻負けじゃない」
僕の前まで来た由里香は、ぶん投げた上履きを、拾って履いた。
「コミュニケーションベタな僕が、リミッターを振り切らずに、そんなこと言えるか。そしてリミッターを振り切ったらこのざまさ」
「まぁいっか。ふられたんだし、あたしと付き合おう」
「誰がお前みたいなドSと!」
僕はすぐに走って逃げ出した。由里香の目が猛獣を狩るハンターみたいだったから。僕の名前を怒鳴り続ける由里香から逃げ、トイレの個室でチャイムが鳴るのをビクビクしながら待った。
ドSがかなり嫌だったみたいだけど、事実じゃねえか。
☆
「トントン」
「良いよー」
理恵は僕の部屋に入ってきた。理恵はノックの変わりに、自分の声でトントンって言うようにしてる。その方が楽しいからっていうんだけど、変なだけな気がする。
入ってきた理恵は、いつも通りニコニコした表情だったけど、瞳の奧は少し心配そうな色が隠れていた。声音にも同様の感情が垣間見れ、この前僕が告白したことを気遣ってくれてるのがわかった。
「由里香ちゃんから聞いたよ。振られたんだってね」
あいつめ。余計なことしかしない主義だな。
「でも話を聞く限り、飯島さんはお兄ちゃんを好きな気持ちも、まだあるんじゃじゃない?」
「マジか?」
僕は驚いて目を見開いた。
「ウチは飯島さんじゃないからわかんないけど、お兄ちゃんが暴走をしたせいでしょ」
僕は希望が見えてきて、やる気がわいてきた。
「それに高校に入ってから、お兄ちゃん変わった気がする。中学のときよりも、格好良くなった気がする。だからもう一回ちゃんと告白してみて。帰ってからのお兄ちゃんを見てたら、何か違うんだもん」
僕自身そんなつもりはなかった。うちではいつも通りだったから、そんなふうに思われてるなんて。
「僕もう一回頑張ってみるよ」
気合いの言葉を口にして、理恵に力強い視線を向けた。
「そんな面白い顔じゃなくて、いつもの独り言してよ」
気合いを入れた顔が、面白いって言われた。
「独り言?」
「飯島さんを好きになってから、アニメの世界に入って、架空の話を楽しんでたじゃない。独り言で。飯島さんがいないのに、エッチなシーンとかを考えて、興奮してたじゃない。独り言で」
僕は言われて気付いた。飯島さんと仲良くなってから、魔法少女マジカルエミーの絵美ちゃんを、飯島さんっていう設定で、妄想してた。部屋だと油断して声に出てたのか。まさか理恵に聞かれてたとは!
「安心して。未歩にはバレてないから。さすがに未歩がそれに気付きそうになったら、お兄ちゃんの盗撮写真を、部屋かっら遠ざかるように、置いていったから」
何だよその、逆ヘンゼルとグレーテル作戦は!
「何で僕を盗撮してるんだよ」
「未歩をコントロールするのにいいから。特にお風呂の写真は」
「返して!」
「未歩が持ってるよ」
絶対に返してくれないよ。
でも今の段階で未歩の暴走は、ギリギリアウトだからな。未歩も僕に嫌われない程度に、飯島さんを嫌ってる。本当だったら、飯島さんに嫌がらせするだろうし。僕に本気で嫌われることはしないでくれてる。
「飯島さんのエミーキター。敵の攻撃をよけるたびに、短いスカートがめくれて、パンツが見えるよー」
理恵がココヤを操作して、僕の妄想ボイスを再生した。
「んなもん、録音してるんじゃねえ」
「別に良いじゃん。恥ずかしがらせたいんだから」
「だからやめろって言ってんだよ!」
「今まで隠れてたから、よく見えなかったけど、堂々と見せてよ」
「そんな乱暴なフリじゃできねえよ」
「そっか。もっとやりやすいようにフラないとね」
「言い間違えた。フラれたからってやらないから」
ツッコミを間違えて慌てた。マジカルエミーの妄想は、人に見せるようなものじゃない。僕だけの脳内エンターテイメントなんだから。
「ようし。今から由里香ちゃんの家に行って、これを聞かせよっと」
「妹よ、待つがいい。望みを叶えてやろう」
「じゃあね、渋谷に大きな家が欲しい」
「お前さっきと言ってることが違うじゃねえか!」
理恵は笑って未歩が由里香と戦う日のために、特訓している庭を見つめる。この前は僕とくっついていたため、僕に攻撃があたるかもしれないと思い、由里香に攻撃はしなかったみたい。かなりのストレスで、小さい頃から遊んでた仲良しだが、僕を好きだとわかったら、ぶちのめさずにはいられないらしい。飯島さんみたいに、僕が好きなわけじゃないから、本気と書いて、地獄に落とすと読む気合いで、特訓している。
未歩は庭の木に登って、高いところから蹴る練習をしていた。確かに勢いがつくから、あたれば痛いとは思うけど、こういう場合はジャージを履くのがいいと思う。未歩は制服のままだった。もちろんミニスカートで、ヒラヒラしてる。二階から見ても青いパンツが見えてるよ。
理恵は僕の方に顔を向け直して、再び口を開いた。
「じゃあ夏だし、プールって設定で妄想をして」
由里香にこの素晴らしい趣味が理解できるわけがない。だからばれないためにも、理恵の言う通りにプールっで、考えなきゃ。
僕は飯島さんとプールに着ていた。飯島さんは白いビキニ姿を見せてくれた。
「セクシー、ビューティフォー、パイオツカイデー」
「あんまりエッチな目で見ないで」
飯島さんは胸を隠して、顔を赤らめた。
褒めたのに、うまくいかなかった。なんでだろ?
僕らがプールで遊んでると、サメの化け物が現れた。飯島さんはエミーに変身して、プールから出た。プールの中で変身したため、コスチュームが濡れてスケスケだよ。
やっほー! これはこれでエロイ。
「マジカルボンバー!」
サメの化け物は水中に入ってかわした。そのままエミーに近づく。エミーはサメの化け物に向かって、マジカルボンバーを何回も使ったけど、かわしながら迫ってきた。
サメの化け物はエミーの前に来て、口を大きく開けて、食べようとしたけど、エミーはギリギリでかわした。エミーはプールサイドを走ったけど、サメの化け物は追い掛けてきた。
よく見たら馬の足が着いてる。
「何この敵!」
濡れたコスチュームのせいで、ただでさえ動きにくいのに、馬の足で走ってきてる。速いに決まってる。
しかし走ってるようだけど遅かった。足は馬だけど、サメの体が大きくて、アンバランスのようだった。
「マジカルボンバー」
サメ+馬の足の化け物を倒した。
「何よそのオチは!」
「うるせー! 戦いなんてどうでも良いんだよ。飯島さんがエミーのコスプレをして、萌え萌えな展開を考えたいだけなんだから」
「お兄ちゃんらしいわね」
あれ? 隠していたことが、すんなり受け容れられた。これはこれで困るぞ。
理恵は再び未歩の特訓を見始めた。未歩は次に由里香の顔を描いた紙を貼って、庭の木を殴りながら、由里香に会ったときには、反射的にパンチを出せる特訓をしていた。勉強できるくせに、絵が残念すぎる。いや、意図的にブサイクに描いてるんだ。よく見たら目がデカベンの山田太一みたいだし、鼻はブタ鼻だし、口は歯が抜けてるし。髪に至ってはモヒカンだ。大きな字で由里香ちゃんって書いてなきゃ、わからなかった。
「お兄ちゃんを奪おうとする女は、許せない!」
未歩の怒りがみなぎり、パンチ力を鍛え上げている。それを見て万が一由里香が未歩に会ったら、助けなきゃと思った。
「お兄ちゃんって、隠してても考えてることがわかりやすいね。今はハッピーじゃないでしょ」
理恵は僕の表情を見ていた。由里香を殴る練習をしてる未歩を見たら、僕の顔がブルーになるのは当然だ。
「ウチが飯島さんとうまくように協力するよ」
「いいよ。理恵には関係ないだろ」
思わず大声を出して、理恵に背中を向けた。自分で自分が嫌になる。本当はこんなこと言いたくないのに。
「関係ないなんて悲しいこと言わないでよ」
振り返ると、いつもニコニコしている理恵は、珍しく目に涙を溜めて、今にも泣き出しそうになっていた。
「ウチは妹だよ。お兄ちゃんの心配をするのは当たり前じゃん」
僕は勢いで言った言葉が、間違っていたことに気付いた。いつもバカなことばっかりやってるのに、こういうときは優しいってずるいよ。
「お兄ちゃんは今のままで良いの?」
「えっと……」
声は出ても答えられずにいた。答えられないため、理恵は思いを吐露する。
「ウチはお兄ちゃんが好きだから、いつも笑っていて欲しいの。お兄ちゃんは素直なところが良いところなのに、素直じゃなくなってる。未歩が暴力化したときの、勇気もなくなってる。本当の気持ちを言ってよ。恥ずかしいかもしれない。怖いかも知れない。でもそんなときこそ勇気を出して」
理恵の涙を久しぶりに見た。子供の頃以来で、理恵は楽しくいることに重きを置く性格のため、悪いことや嫌なことに思考をまわさない。理恵の頬を伝う涙に、心を動かされた。
「わかった。協力して」
「うん」」
「隼人は神真浩樹の声に似てるところが良いところなんだから、喋ってるだけで最高なんだぜ!」
ココヤが理恵の手から褒めてくれた。どうリアクションすればいいのかな?
「オタク語はわかんない」
「でも理恵は堀井由樹に、未歩は花川香菜子に声が似てて、一緒にいるだけで幸せだから
「わかんないって言ってるでしょ」
理恵はツッコミを入れた。涙を拭いてパァッと明るい表情になった理恵は、驚くべき言葉を口にした。
「飯島さんをよんで」
「えっ!」
「うちに来てって電話をして。飯島さんの電話番号を知らないから電話してよ」
「やだよ」
さっきふられたばっかりで、急に電話する勇気が出ない。
「これな~んだ?」
「僕誰~だ」
理恵はさっきまでとは対照的に、いたずらっ子みたいな表情で、キューレを誘拐してた。
「い、いつの間に?」
「お兄ちゃんが未歩の特訓を見てる間に」
理恵はニヤニヤした目で、キューレをいじりだした。
「香苗の番号はこれだよ」
「ロックをかけてるのに」
「僕自身が外そうと思えば、外せるに決まってるのさ」
キューレは僕のケータイだけど、理恵の嫌がらせに付き合う奴だった。
「理恵は堀井由樹の声に似てるのに、イタズラとか好きだよなぁ。十七才とか嘘をつくのはやめてくれよ」
ココヤがオタク知識を披露した。
「ウチはまだ誕生日がきてないから、十四歳だよ」
「十七才よりも若いのかよ」
「オタクの言ってることはよくわかんないよ~。とにかくお兄ちゃんが電話しないなら、ウチがかけるね」
「返せってば!」
逃げながらケータイをいじる理恵。僕が取り返そうと必死になっても、中々取り返せない。
「わかったよ。返すから話して」
「えっ?」
理恵はケータイを僕の耳にあてた。
「話があるからうちに来て」
「もしもし飯島さん。話があるから、うちに来てほしいんだけど」
理恵の小声に従った。だって何を話せばいいかわかんないんだもん。
飯島さんは来てくれると答えた。状況的に理解できなかったけど、とにかくここで頑張らないと。
「ウチ準備してくるね」
理恵は部屋に戻った。準備って何だろ?