島原の乱は、身の丈に合わない島原城の築城も一因とされるが、当時の領主の石高はどの程度であったか? | 明日は明日の風が吹く♪

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発見!ニッポン城めぐりクイズも…

【問題】
島原の乱は、身の丈に合わない島原城の築城も一因とされるが、当時の領主の石高はどの程度であったか?

【選択肢】
約6千石
約4万石
約13万石
約21万石

 

【正解】

約4万石


【解説】
元和2年(1616)、肥前国日野江に封じられた松倉重政は、4万3千石という禄高に見合わぬ壮大な島原城を築城した。この築城による領民への負担が、島原の乱の一因とされる。