小牧・長久手の戦いの終盤、徳川家康は戦の大義名分を失って兵を退いたが、その理由として正しいものは | 明日は明日の風が吹く♪

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【問題】
小牧・長久手の戦いの終盤、徳川家康は戦の大義名分を失って兵を退いたが、その理由として正しいものは次のうちどれか?


【選択肢】
秀吉が全所領を織田家に返上すると宣言したため
秀吉が甲斐・信濃を家康に与える誓紙を書いたため
家康が奉じた織田信雄が秀吉と勝手に講和したため
朝廷から両者の私戦を詰問する勅使が派遣されたため

 
 
【正解】
家康が奉じた織田信雄が秀吉と勝手に講和したため


【解説】
日増しに権勢を強める秀吉に対し、主筋にあたる織田信雄が決起し、家康がこれを奉じる形で小牧・長久手の戦いが開戦した。しかし、後に信雄が秀吉と単独講和したことで家康は大義名分を失い、兵を退いた。