加圧シャツではお尻はあがらない

私が、加圧トレーニングを始めた理由。とにかく強くなりたかったからです。読んで頂いた方に、少しでも加圧トレーニングに興味を持って頂けたら嬉しいです。

目次
私が加圧トレーニングインストラクターになった6つの理由
私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その1
私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その2
私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その3
私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その4
私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その5
私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その6
最後まで記事を読んでいただいたアナタにお伝えしたいこと

私が加圧トレーニングインストラクターになった6つの理由

理由その4効果を実感できた加圧トレーニング

映画ランボーのシルヴェスター・スタローンに憧れて、始めた筋トレ。気が付いたら職業になっていました。私が加圧トレーニングインストラクターになった6つの理由です。ゆっくりとお読みください。

私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その1

幼い頃、カラダが弱く運動が出来ませんでした。中学に上がって念願のスポーツが出来るようになりました。スポーツをすることで、強さへの憧れも持つようになりました。日曜洋画劇場で見た映画ランボーのシルヴェスター・スタローンの虜になりました。

「隊長より"大ガラス"へ、応答せよ」 「こちら隊長だ」 「"大ガラス"応答せよ」 「答えろジョン」 「こちら隊長、点呼する。ランボー、メスナー、オルテガ・・・」

シルヴェスター・スタローンに憧れて①

私は、5歳の頃にファロー四徴症の出術を受けました。12歳になるまでは、体育以外での激しい運動は禁止されてました。しかし、中学に上がり主治医の先生から、スポーツ活動の許可を得ることが出来ました。やっと念願が敵いました。私はさっそくソフトテニス部に入部しました。とても楽しくて、どんどん、のめり込んでいきました。

シルヴェスター・スタローンに憧れて②

当時、私はソフトテニスに没頭する日々を過ごしていました。ひとしきりコートで汗を流した後に部活仲間の家によりました。部活仲間の部屋には、部屋中いたるところに、サバイバルナイフやモデルガンが置いてありました。その中で自慢げに見せられた1本のナイフ。シルヴェスター・スタローン主演のランボーの作品中で使われたナイフだったのです。ランボーの映画のパンフレットなど見せてもらいました。筋肉モリモリの逞しい肉体に、とても惹かれました。

シルヴェスター・スタローンに憧れて③

それから、数ヶ月後、日曜洋画劇場という番組でランボーを見ました。作品中のランボーに目が釘付けになりました。ランボーになりたいと思いました。もう見た後、興奮が治まらず、部活が休みの度にサバイバルナイフを見せてくれた部活仲間と数人で、サバイバルゲームに明け暮れました。この時から、シルヴェスター・スタローンに憧れを持つようになりました。

 

私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その2

K1戦士の佐竹雅昭選手にも憧れました。リングで外国の選手と堂々と向き合い戦う姿にとても感動してました。自分もあんな風に強い人になりたい。佐竹雅昭選手は、私にとって今でもスーパーヒーローです。

 

強さへの憧れ①

マッチョ

 

高校入学と共に硬式テニス部へ入部。硬式テニスをやりたくて入った高校。高校には珍しく合気道同好会が、あったので興味本位で入部しました。しかし、この合気道同好会で出会った先輩に大きな影響を受けました。

 

強さへの憧れ②

強い

合気道同好会で出会った先輩とは、合気道そっちのけで、見よう見まねで空手の組み手ばかりしていました。程なくして先輩は、空手道場に入門しました。私も一緒に入門したかったのですが、経済的理由で入門は敵いませんでした。部活の時間に先輩が教わったことを教わりながら、少しづつ空手に触れていきました。

強さへの憧れ③

部活も引退し高校を卒業まじかに控えた18歳の頃。日本初の立ち技最強世界ヘビー級トーナメントK1グランプリ開催。全ての立ち技格闘技の頂点を極める大会です。私は衝撃を受けました。特に日本人選手の佐竹雅昭選手に憧れました。すでに就職の決まっていた私は、入社して初任給が出たら絶対に空手道場に通うと心に決めました。

私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その3

加圧からて

私の通っていた空手道場の先輩は、もれなく怖かったです。いつも、道場の前で回れ右で帰ろうかと悩むほどでした。今日も無事に稽古が終わりますうにと祈りながら、通っていました。畳に膝をつかない日はありませんでした。

空手の道①

からて

就職から1ヶ月。手取りで11万円ほどの初任給を頂きました。先輩の通っていた空手道場に、やっと入門することが出来ました。これで、本当に強い人になれる。強い自分になれる。本気でランボーになれると思いました。

空手の道②

からてどう

入門から3ヶ月が経った頃。現実の厳しさを思い知りました。私の通っていた空手道場は、支部を多く持つ、かなりの道場だったのです。いわゆる全国レベルの先輩たちがゴロゴロといる道場でした。腕なんか私と比べ物にならないくらい太くカラダつきも雲泥の差です。そんな先輩たちや黒帯を締めた外国の人と白帯3ヶ月の私。当然カラダを丸めて身を守るのが精一杯でした。人生で一番の恐怖でした。

空手の道③

先輩や外国の人とやる組み手は本当に恐怖でしかありませんでした。先輩達や大きなカラダの外国の人の突きや蹴りは本当に痛いです。本当に情けなく逃げ回るばかりでした。これでは、せっかく通っているのに意味がない。そこで私は、カラダを先輩達や外国の人同じくらい大きくしたら、勝てないにしろ、立ち向かうことくらいは出来ると思い近所のトレーニングジムでウェイトトレーニングを始めました。

私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その4

とっておきの二の腕ダイエット

自分のカラダが弱かったら、この道場ではやっていけないと本気で思いました。こんなに恐ろしいところ辞めればと良い思う方もいるでしょう。しかし、私は強い先輩達に憧れてしまっていました。この先輩たちみたいになりたいという気持ちが強かったです。

はじめてのトレーニングジム①

トレーニング

佐竹選手がカラダを大きくするためにベンチプレスをやっていたのをテレビで見ました。佐竹選手に習って私も見よう見まねで、ベンチプレスをやりました。50kgはあがると思い用意して上げてみると、ピクリとも動かない。上がらないので40kgまで重量をさげました。頭の血管が切れるくらい頑張って1回しかあがりません。正直、自分の力のなさにがっかりしました。

はじめてのトレーニングジム②

40代ぱーそなる

仕事が終わり、道場のない日はジム通いの日々が続きました。会社の飲み会にもほとんど出ませんでした。会社と道場が休みの時は、ほぼ1日中すごしていました。そのかいあって、体重も少しづつ増えてカラダも前後に厚みがつきました。

はじめてのトレーニングジム③

ジム通いを始めて半年が経った頃。あれだけ、丸まって逃げ回っていた先輩達や外国の人達との組み手。勇気を持って、堂々と立ち向かえるようになりました。先輩達からも、逃げずに良く向かって来れるようになったと褒めてもらえました。怖くて、痛くて、逃げ回っていた私に勇気を与えてくれたのが筋トレでした。

私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その5

胸の大きさ筋トレ

 

 

 

ある程度、社会にも慣れてきて色々な刺激を受けました。恥ずかしいい話、なにも考えずに高卒で就職しました。この時が人生でい一番、本気で将来のことを考えました。

トレーナーの仕事がしたい①

トレーナーの仕事

本当に夢中になって筋トレと空手を続けていたのですが、頑張りすぎて燃え尽きてしまいました。会社員生活も5年が経ちました。ある時、40代くらいの先輩社員に月の給料を聞いてみました。とてもがっかりするくらいの給料でした。自分の将来がすでに目の前にあったのです。正直、このとき初めて自分の将来について真剣に考えました。

トレーナーの仕事がしたい②

自信のない

とても真剣に考えました。今まで、まともに学校の勉強をしたことがない自分に何ができるのか。低学歴でお金もない、読み書きが、かろうじて出来る。そんな自分が今の会社を出て何が出来るのだろう。今よりも、お金を稼ぎたいのか、自分が満足できる職につきたいのか真剣に悩みました。

トレーナーの仕事がしたい③

悩んだ末の結論。それはトレーナーの仕事です。退職後すぐに大手フィットネスクラブの面接を受けました。4者面接で、とても緊張しました。志望動機を聞かれ身振り手振りを交えて「私は、シルベスター・スタローンに憧れて空手と筋トレをはじめました。もし、私と同じように強い人に憧れて筋トレをする人が居るなら、今度は私が強くなる手伝いをしたいんです。」必死でした。結果は採用となりました。

私が加圧トレーニングインストラクターになった理由その6

加圧トレーニングと加圧シャツ

父と母が山口県から横浜に移り住んだ時に私と兄が生まれました。生粋の浜っ子です。父が定年を迎え母と共に山口県に戻りました。戻って半年後に病に倒れ、私が山口県に戻ることになりました。山口県に移り住んだ頃に加圧トレーニングインストラクターのライセンスを取得しました。

加圧トレーニングインストラクター①

加圧シャツでは筋力は上がらない

大手スポーツクラブで多くの知識・経験を積む事が出来ました。在職中にパーソナルトレーナーという職種があることを知りました。1人に対してじっくりと向き合うことが出来るパーソナルトレーナーの仕事。カラダのことに関してオールラウンダーでなければ出来ないと思いました。手始めにマッサージの技術をみにつけることにしました。お世話になったスポーツクラブを退職後。地元のマッサージ店で働きながら技術を身に着けることにしました。

加圧トレーニングインストラクター②

整体との違い

地元のマッサージ店では深夜過ぎまで同僚が特訓してくれました。おかげで、半年が経つ頃にはそこそこ出来るようになりました。働いて数年が過ぎた頃。加圧トレーニングの出来る整骨院を開業されたばかりの方が副業で入って来られました。私もスポーツクラブで働いていたので、その方とは気が合いました。

加圧トレーニングインストラクター③

加圧トレーニングとは

当時、加圧トレーニングのライセンスの保持者はごくわずか。、興味があっても簡単には体験など出来ません。またとない機会と思い体験させて頂きました。腕の付け根に加圧ベルトを巻いてもらって、3kgのダンベルで数分のアームカール。あっというまに腕の筋肉がパンパンになりました。今までに感じたことのない感覚でした。とにかく驚きました。その効果に感激した私は、加圧トレーニングインストラクターのライセンスを取得しました。

最後まで記事を読んでいただいたアナタにお伝えしたいこと

加圧シャツが効果ない理由

筋トレは、いつまで続けたら良いのかと、疑問を持たれる方も多くいらっしゃいます。もし私だったら、筋トレは一生ですと答えるでしょう。なぜなら、いつまでも自分の脚で好きな場所に行くこと。素敵な風景を自分の目で見る。大好きな仲間たちと、美味しいものを食べながら、語らい笑いあう。素敵なことです。いつまでも、続けたいなら健康なカラダが必用。だからこそ一生続けるのです。一生続けられる筋トレ。それが加圧トレーニングなのです。加圧トレーニングで素晴らしい人生を共に作りましょう。

 

 

加圧パーソナルスタジオHOPE 代表 村田 健作

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