オリンピック熱も落ち着きを見せ
今日は終戦記念日
平和のありがたさが身に沁みますね。

本日もお越しいただきありがとうございます。
不定期更新にて失礼します。





お盆だからと言う訳でもなく
我が家のお仏壇には
いろんなお菓子が乗せてあります。

母は買ってきた菓子を全て

お仏壇に供えるのです。

ふつうは故人の好物や頂き物、
ご馳走を作った時など
お線香をあげる時の邪魔にならないよう
適量を形よくお供えするのだと思うのですが

季節の果物はもちろん
のど飴や徳用袋のチョコレートまでも
頂き物の箱詰め菓子と共に並べるので
お仏壇の上はいつも山盛りです.


はじめは父との別れから
悲しみやさみしさの表れかと思いましたが

一緒に暮らす年月が長くなるにつれて
気が付いた事があります。



例えば春になると我が家の庭は
マーガレットの花でいっぱいなのですが

母は毎朝、
開いたばかりのその花を仏壇に供えるのです。

前日に供えた花が元気ででもそれを捨てて
せっせと嬉しそうに今日の花を花瓶にさすのです。

私は
「まだきれいだから
 毎日全部を入れ替えなくても
 いいんじゃない?」
と伝えましたが

母は花が咲いているあいだ中
欠かさず花を替えるのです。


最初の頃は
ずーっと自分の考えを押し通してきたせいで
認知症が始まったのかと思いました。

しかし
母の事を理解しようと思い

母の立場になって
生い立ちから考えてみたら見えてきたんです。

母は12人兄弟の下から2番目

幼い頃に父と死別し
母親がひとりで
寒天を売りながら子どもたちを育てるという
貧しい暮らしの中で


着るモノはお下がり
学校の教科書も買えなかったので
隣の席の子に見せてもらいながら授業をだったので
宿題などしていけるわけもなく

おそらく勉強で褒められることは
無かったでしょう。

また
当時の多くの子どもがそうであったように
家の手伝いのために学校を休むことも
多かったと聞いています。

その上
母たちを育てるために
娘の嫁ぎ先から借金をしていた肩代わりに

中学を卒業してすぐ
1か月500円で姉の嫁ぎ先に奉公に出され

本来、母が叔母であるにも関わらず
姪っ子に「お手伝いさん」と紹介されることも
あったそうです。

そんな成長期を過ごした母に


「私を認めて!」

という潜在意識が育ってしまったのも
ムリは無いと気が付いたんです。


そう、
一生懸命花を毎日替えていたのも
あの世の父から

「毎日ありがとうな」


と、認めて欲しかったから!



貧しかった時代に
モノを粗末にしてはいけないと言われた
自分の母親に
言いつけを守っていることを

認めて欲しくて


何でも「もったいない」と
自分の気持ちに言い訳をしながら

すりキレたシャツを捨てられず・・・

かといって
自己肯定感の低さから
買ってきたばかりのシャツには袖を通せず

83歳になってしまったんだと気が付きました。

片付けが出来ない、とか
整理が苦手、という人には
必ず自分の心の中に

本当の理由があります。


私が母の全てを認める事で
少しずつ色んな事が穏やかに変わってきています。

母は私に毎日
「美味しいご飯をありがとうね」
「いつも洗濯してくれてありがとうね」

といってくれるので
母と娘がぶつかる事もなくなりました。


自分でも不思議ですが
あれだけ「許せない」と思っていた
母に対してわだかまりが消えて

親孝行しなきゃ

と考えるようになりました。


答えはいつでも自分の中に在ります。




母はまた新たにクリームコロンや

チョコパイやこんにゃくゼリーを買ってきては
お仏壇に供えながら

「おじいちゃんも食べてね」と
遺影に話しかけます。


終戦記念日に・・・
お盆の送り火の前に間に合って
あの世に帰る父や母方のお婆さんに
気持ちが届いたでしょうか?



本日も最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。

 

お片付けのかかりつけ医 村瀬千秋のmy Pick