「桂春蝶 芸能生活三十周年記念公演『落語で伝えたい想い 第十作』 | 紫亭京太郎のアメーバ・ブログ

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楽しみにしていた春蝶師の新作独演会へ音符
「落語で伝えたい想い」シリーズの第十作目となる独演会にして、芸能生活三十周年の記念公演!

御本人も仰っていたが、通常こういう記念の公演は大きなホールで一日というパターンが多いキョロキョロ

ところが今回、心斎橋PARCO14階「SPACE14」という劇場で7日間通しでやるという、ほぼ「狂気の沙汰」としか思えない公演!!
高座で炸裂する春蝶師の“狂気”は最高だが、こんな狂気も兼ね備えておられるとは爆笑
そして全日前売完売にして、この日も満員御礼音符
たくさんの花が飾られていたが、圧巻は“弟子筋”にあたる朝日放送アナウンサー・桂紗綾さんからの、エビシーと太陽の塔のぬいぐるみ付、豪華絢爛巨大なアレンジメントフラワーのスタンド花ひまわりひまわりひまわり
さて、今回の春蝶師の高座は、「落語で伝えたい想い」シリーズの十作めとなる「太郎と太陽と大」。主題となったのは、1970年開催の大阪万博のシンボルである「太陽の塔」。岡本太郎の代表作の一つと言える巨大な芸術作品に込められた“想い”と、その誕生秘話を“語り継ぐ”物語ニコニコ
春蝶師は、吹田市の中でも万博記念公園に近い所で育ったので、「太陽の塔」は非常に身近な存在である。噺家三十周年記念にして、「落語で伝えたい想い」シリーズにおける節目の十作目として、師が創作落語の主題に選んだのは、ごく自然な流れニヤリ
噺は弥生時代、縄文時代からの流れを汲んだ生活を送る若い漁師・大(だい)の作った土偶による語りに始まり、慈愛に満ちた大の家族を襲う悲劇から、先の大阪万博の開催準備が進む1967年へと時を移して展開する、手塚治虫の名作「火の鳥」のようなスケール感!

ムラの掟を破り、人間をモチーフとした土偶を作って処刑された漁師の悲劇に涙を誘われると、この土偶をストーリーテラーとして、“1967年パート”に切り替わる。万博協会の事務総長である新井が、プロデューサーの丹下健三からの指示を受け、テーマ館の総合プロデューサーとして岡本太郎を迎え入れるべく奔走する場面が、随所に笑いを散りばめながら展開するが、熊本に舞台を移したところで、妖精の如き土偶に岡本太郎が出逢うことで空気はガラリと一変。その後、万博協会の理事会において、「財界総理」の異名を取る石坂泰三を前にして繰り広げられる岡本太郎の演説は圧巻の熱量炎
思わず知らず涙腺が決壊して鼻腔へと流れ込み、鼻垂れ野郎になりながら、岡本太郎の言葉に大満足を得た石坂泰三の姿に鳥肌が立った鳥

万博のテーマだった「人類の進歩と調和」。官僚的発想からすれば、それは戦後復興を遂げた日本の姿を世界に見せ、日本の技術力の高さを誇示し、未来に向けて羽ばたこうとする国力を示すものというような、いわば“壮大なハコモノ”を作り上げることを主眼にした単なる美辞麗句に過ぎない(あくまでも私見であるので念の為ニヤリ)。その空疎な美辞麗句に魂を注入した、縄文に連なる岡本太郎の大・名演説は、石坂泰三をして「我が意を得たり」と喜ばせたに違いない。“コストカッター”的なイメージを抱き、まるで我利我利亡者のように彼を恐れる官僚達に辟易としていたところに、自らも昂ぶりを覚えて熱くなれたのではないたろうか。知らんけどグラサン

物語終盤、跡地となった万博会場を訪れた岡本太郎は、道すがら一人の少年が絵を描いているところに遭遇する。ダイスケと名乗った少年は、学校で変人扱いされて虐められていることを告白すると、岡本太郎は少年の絵を褒め称えるとともに、人と違うことは何ら卑下するものではないと説いて、心を“想い”を人に伝えることの素晴らしさを語る。ダイスケ少年と岡本太郎との対話を通して春蝶師自身が、来し方を肯定し、表現者としての力を高め続ける現在を踏まえ、行く末に光を見出している様子が見て取れて、勝手に安心感を覚えていた照れ
「落語で伝えたい想い」シリーズは、正に身を削るような作業に対峙することになっているのだろうと思われるが、春蝶師が幼い頃に大きな影響を受けたであろう故・枝雀師のように、ご自身を追い込み過ぎて悲劇に繋がるようなことはないはず。真っ赤な舞台で見得を切った師の表情には、ストイックな中に“エエ感じのボンボン感”が伺えたのでチュー
会場をあとにしてエスカレーターで移動中、来年に迫った万博のグッズコーナーがあったが、岡本太郎と石坂泰三との対峙に触れた後に見るこの“カラフルなペドラ”の薄っぺらさにイヤになったのも、あくまでも私見につき念の為ニヤリ
それにしても、狩猟が生活の中心だった縄文時代には、人々は争うことなく得られた糧を皆で分かち合い、助け合っていたものが、弥生時代に入って農耕が発達した事で「持てる者」と「持たざる者」が生まれ、人々は争いを起こすことになったという視点にはハッとさせられたびっくり
学校で得た知識によれば、狩猟に明け暮れた縄文時代は“野蛮”で、農耕が始まった弥生時代は、文化的で“進んだ世の中”というイメージがある。農耕によって人々の“欲望”に火が点き、争いが激化していくことになったが、それは果たして「進化」なのか。戦争を通して科学や工業は飛躍的に発展していく事にはなるのだが、それは目に見える技術が進化しているに過ぎず、人が「進化」したとは、とても言えるものではない。「人類の進歩と調和」という大阪万博のテーマについて、真の意味を喝破して説いた岡本太郎の想いを伝えることに成功した春蝶師は、もはや先代とは比ぶべくもなく、ベクトルの異なる高みへと昇っている。今回の噺を創作するにあたって、春蝶師を唯一「岡本太郎を語る」ことができる噺家として認めた岡本太郎の甥御さんが、公演をご覧になって「太郎が喜んでいます」と仰ったそうだが、先代・春蝶師も空の上から満面の笑みで喜んでおられるのは間違いないおねがい
終演後、同行した神戸のお友だちと、公演について話しながらの一献はまた格別日本酒
久しぶりの「心」さんで、旨い肴をアテに美味しいひとときキラキラ
佳き週末照れ