ウタノチカラ。 | 紫亭京太郎のアメーバ・ブログ

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面白き ことばかりの世と 面白く 住みなすものは 心なりけり。

火曜日のこと。
直帰対応でのユーザー訪問が想定よりも早く終わったので、ソッコー帰宅からの某区郵便局へ預かり郵便物受け取りに車を走らせた車
家の掃除で見つけた、ビートルズの全アルバムからシングル曲を集める感じで自作したCDをかけながら走っていて、「Let It Be」が流れたので口ずさもうとすると、何故か唐突に泣けてきてクリビツテンギョー!!なんでなんで!?
この現象は他の曲でも現れて、「The Long and Winding Road」や「Ob-La-Di,Ob-La-Da」でも同様、泣けてきて歌えないガーン

ハハオヤは谷村新司のファンではあったがケッコー洋楽が好きで、小さい頃はエルヴィス・プレスリーやトム・ジョーンズのLPレコードがよくかかっていて聴いていた。ビートルズは、どちらかといえばオバがポール・マッカートニーを中心として大ファンだったのだが、我が家でもよくかかっていたルンルン

ハハオヤが亡くなった夜、イモートからの連絡を受けて施設に駆けつけたが、泣くことはなかった。もう10年以上前、オバが息を引き取る瞬間に立ち会ったが、この時も泣くことはなかった。テテオヤの時も同じくえー
身内の“不幸の瞬間”に泣けないという、変な癖がついたような気はしているのだか、これを拗らせたのか、何かの拍子にふいに泣けてくるという“体質”にはなったようには思う。単に加齢による涙もろさだけでなくニヤリ

ハハオヤの最期にあたって、悔いがないワケではない。
病院から施設に連れて行った時、ランチに行きたい鰻屋があるというので予約をしたのに、手押し車で店まで行こうとしたものの体力が落ちすぎていて断念したのだが、施設で車イスを借りて車に積んでいけばよかった、とか。
食欲が落ちて食事を取らなくなったが、桃やミカンの缶詰だけは食べるというので、会社から施設を向かう途中に「スギ薬局」に立ち寄り、ごくフツウの桃の缶詰を買ったが、施設近くのイオンに寄ってみると値段が倍以上の桃の缶詰があったので買ってみて、普通のと混ぜて持っていったところが、後で自分で食べ比べてみたら明らかに高い方が柔らかくて美味しく、全部これにすればよかった、とか。
息を引き取る2時間ほど前、施設で声をかけると反応があった時、まだ大丈夫と“油断”したのと、そう言ってしまうともう亡くなってしまいそうな気がして、「今までありがとう」と声をかけなかったこと、とか。

もう先は長くないと分かっていたのに、なんでもっと優しく、丁寧に接することができなかったのかという悔いはいっぱいあるショボーン
改めて思い起こすと、確かに泣けてくるところは多々あるが、「死んだ子の年を数える」的なことをしたとて詮無く、しんどいだけなので、ソフボ、オバ、テテオヤ、そしてハハオヤと順に見送ってきたなかで、“振り返る”ようなことはほとんどしてこなかったキョロキョロ
まぁ、それがために、何かの拍子で泣けてくることがあるのだろうとは思うが、それについては“あるがままに”ということでニヤリ
それにしても。最近、MISIAのライブに行った際に、“歌が持つ力”というものを実感してきたが、ビートルズで泣けてくるというのもまた、歌の力というものかもしれないパー
「Let It Be」で泣けてきて見上げた西の空は、エラいキレイな夕焼けだったキラキラ
仏教徒ではないが(一応、家的には真宗門徒ではある)、あの世に続くという西の空がキレイだったというのも、“縁”的な何かなのかもしれないウインク