昨日は各地で30度を超える真夏日で九州では36℃を超えたとのこと。そんな中、朝から退院の手続きや荷物の整理などを休み休み休みやって、薬剤師からは「血液サラサラの薬が今回の元凶の一つにあるので、今後は飲まないように、残った薬は廃棄します」と捨てられた。その代わり別の薬を与えられ、次回の外来まで様子見。

 管理栄養士からは「今後の食生活の注意点について」、家内と神妙に指導を受けた。「酒は続けて問題ない」との一言は覚えている。内緒だが「帰宅後風呂に入って早速晩酌で発泡酒を200㏄ほど飲んでみたが、うまくない。」

 という事で、そのまま近くの市役所へ行き「高額医療費・・・」の申請書をいただき入院費は次回の外来支払いということで無事退院。帰宅してもまだいつもの自分ではないが、多分すぐにお散歩が始まれば戻すことが出来そう。

とにかく1週間 終末期超高齢老人の4人部屋 いわば臨終集中治療室のような騒ぎの中、我慢して2日はいたが、「寝不足で死にそうだ」という事で部屋を変えてもらいやっと静かに回復パターンに入り3日目より飛び切りまずいおかゆ、帰宅後もおかゆ。足にも力が出ないが止む無し。

 いずれにしても、先週金曜日、近くのクリニックへ開院の9時をめどに駆け込んだが、予約制の事で10時過ぎに診察の順番が回り慎重な聴診やらエコーやらをやって診断が出ないうちから、医者はタクシーを呼んで紹介状を書いていた。初診で金も払わず家内に後始末を頼んでタクシーで市立病院へ、門限の11時少し前に滑り込んだ。何の病気やら、なに科行くのやら分からないまま・・・。それからがまた大変、血液検査は4本とられ、コロナの検査 陰性OK、エコーやらCVやら造影剤を打たれ、レントゲンなど2回も連れて行かれ待ち時間なしで検査が行かれ、それぞれ3名ぐらいいろいろの医者の診断してどこが悪いのかが分かった。夕方の6時には内視鏡の手術。スタッフは5名ぐらいいたのだろ、私の緊急手術のために全員残したとのこと。

 それから1週間まるで自分の意思などは無視され「死んでもいいのか!」と脅されながら「ここで死ぬわけにはゆきません」医者の言う通りにして無事生還。

 

 すこしの暇を見つけては「間違いだらけの 地震学・火山学・津波学・火災学」をやさしく書こうと、メモを書いたり消したりの試行錯誤を繰り返していた。やっと生死の瀬戸際をさ迷い歩いて、決めた「これで行こうと!」これから、地震学者さん、火山学者さん、津波学者さん、火災学者さん」此方の命が助かった分、今度は反撃ですよ。「覚悟ッ!」

 

 とにかくPC君の電源も落とさず1週間、そのままの状態から開始です。

1週間前のアジサイを先ず2枚。今は満開だろう。だがあの階段散歩道は未だきつそう。病院内の階段でリハビリを始めようとしたが「ドクターストップ」介護付きでやっとエレベータで1階コンビニまで行きウインドショッピングだけが唯一の外出。買い物にも監視の目が光っているのでうっかりできない。TVは付いてはいたが、普段から見ていないので全く1週間世間から離れていた。

 

   

 

 さて、地震は能登半島がまだ収まっていない。最大震度3 M=4.1  震源深さは10㎞。トカラ列島では最大震度2 M=3.5 震源深さはごく浅い。北海道浦河では最大震度2 M=4,0  震源深さは60㎞の地震が起きていた。

能登半島地震ついては地震本部の定例の会議が開かれ平田委員長は 「この地震について「2020年から活発化した一連の地震活動」と評価しました。」とのこと

 

 そんなことは言われないでも分かっています。地震の起き方が分からない地震学者にはそんなことぐらいしかコメントが出来ないらしい。でも世界の地震学を日本がリードしているとのこと。使う費用と携わる人数は確かに圧倒的に世界1ですが、成果はなし。相変わらず意味の無い間違い情報だけ。

 

  

 

さて、今日はここで終わり 気分転換に狭山池の桜を1枚。右の灯篭は日光街道の宿場であった時のもの。