昨日も午前中はどんより曇り空で残雪が溶けない。午後になってやっと日差しが戻り雪が緩んできた。散歩道の中の高幡城址の馬場跡のヒガンバナ群生地にはまだ雪がたっぷり残っている。その中をスニーカーで全行程ゆっくりだが歩いてきた。

 

   

 

 地震は能登半島での余震が最大震度2 M=2.2 震源深さは10㎞の他に微弱な地震が5回観測されていた。しかし、震度2の地震も震動伝播が限定的で1カ所の観測点で記録されただけ。これは、以前から書いている通り、地盤が緩くなっておりその隙間には海水が入っているので震度伝播が阻止されているはず。即ち、収束が間近になったことのエビデンスのはず。

 その他 福島県沖で最大震度2 M=4.0 震源深さは60㎞ と久しぶりに「第2東日本地震」が手を挙げてきた。問題はない。

 

   

 

 今回の能登元旦地震発生のメカニズムは下のポンチ絵の左のような定説となって 地下200~300㎞下の太平洋プレートからの水が上昇し 能登半島下に大きな水たまりが出来、その水が活断層に浸み込んで潤滑油となって南北方向の圧縮力を受けている活断層が切れて起きたという事で下の左ポンチ絵のようなことになっている。

 

 

 これに、今回下の写真のように珠洲市若山町で発見された第2活断層は震源の南側5㎞位のところで本震を起こした活断層とほぼ並行して東西に走っているらしい。赤点矢印が断層線 手前が北側 奥が南側。

 

 

 

 

 まだ地図が見つからないが、蛇行する若山川に沿ったり、横切ったり、田圃を横切り農家の玄関先を通って直線状に南側が2m隆起している。その断層発生のメカニズムを定説のポンチ絵に加筆してみたのが上のポンチ絵の右で2mの断層は逆断層であるはずで南北からの圧縮力で段差が着いたというはずだが、その隆起の方向が第1の活断層も第2活断層も南側の隆起という事実だとポンチ絵が描けない。同図 黄色点線のように震源からの断層では南隆起にはならないし、黄色実線では第1活断層と同じ方向では震源が無いので「水が活断層に浸み込んで、・・・」という説明が着かない。即ち、水溜りからの活断層への滲みだしによる逆断層破断という仮説は破綻していることになる。地震学者さん反論がありますか?

 

 拙仮説は上のポンチ絵のように、深さ10㎞付近の東西に画面の前後方向に総延長150㎞と巨大な板状のマグマ溜まりがあり、その天井付近の地下水が400度くらいになって熱解離を起こし浸潤している超臨界状態の水素の下には酸素と硫黄の結合の硫酸がある。その硫酸がマグマ溜まり上昇による温度上昇で900℃になると熱解離して酸素を吐き出し、水素と結合することで水素爆発を起こして上に載っている厚さ10㎞の岩盤をドンと持ち上げる。と、持ち上げられた岩盤はガサガサとなり、断熱膨張となり急冷して酸素と水素は結合して水が出来る。と同時に爆縮してはじけ上がった岩盤を引きずり下ろすことで地震が起きる。

 震源となるこの最初の水素爆発の燃焼熱で佐渡沖までの総延長150㎞の板状マグマの天井付近の水素が次々と延焼爆発して1分で起きたのが本震。一旦冷えたマグマ溜まりが部分的に900度になると酸素が出来 超臨界の水素と結合して爆発爆縮を繰り返すことであちらこちらで、元旦は1分おきに,翌2日には5分おきに余震が起きていた。その地震震動で北側日本海海底での4m隆起の断層が出来、爆縮での引き戻しで上のポンチ絵の赤実線のように南側2mの崖を残して北側が2m引きずり下がったという仮説なら、合理的な説明となる。如何でしょうか?地震学者さん!

 

 あの強烈な震度7の地震動が水が浸み込んで活断層が再度切れることで起きた。さらに千数百回も余震が続いた元旦大地震シリーズのメカニズムをこの仮説では説明できません。1週間後に同程度の地震が起きるので準備怠りなく、起きなかったので、2~3週間後に、また空振りで、今度は1月後、これも空振りで、1年後には同程度の震度7が来るぞと南海トラフ地震や時間無制限のサッカー試合のように勝つまで続けられたら被災者のストレスはたまるばかりです。

 

 近づいている収束も拙仮説のメカニズムで説明できます。マグマ溜まりの大きさや位置や温度が分かれば地震発生の予知予測もできるはずです。活断層はあくまでも地震で揺すられた結果での地象であり、いくら調べてもそれは地震後知研究でしょう。

 

さて、今日で能登半島スケッチの持ち駒はネタ切れ。一緒に元旦大地震の余震も冷えてネタ切れの終息を祈る。最後は小京都 金沢市の茶屋通り。