昨日も関東地方は冬日で乾燥状態が続き、何と田中角栄の目白御殿が全焼したとのこと。善し悪しを含めて、かなり歴史的な資産が失われたのではないだろうか?

 散歩道は何もないが若い人がまだぼちぼちと歩いていた。晩酌をしていたら何やら以前修理していた前歯が割れてしまい、修復のために歯医者へ出かけてきた。保険が効かないとのことでジルコニューム(?)なるかなり高価なもので修復するとのこと。とんだ災難。

 

 地震は元旦の大地震の板状マグマの佐渡側の先端付近でかなり大きな余震が観測されていた。最大震度5弱 M=6.0 震源深さは10㎞ その他にも能登半島の根元付近で朝の7時に最大震度3 M=2.8 、昼の13時に最大震度3 M=3.7 その他最大震度2以下の微弱地震は1時間に2回ほどの減衰している。

 

  

 

若い地震学者のオンパレードで我も我もと、少しづつ違うがほぼ同じメカニズムでの自論を発表していた。

 

 金沢大の平松教授は下のポンチ絵で流体に富む領域から南東傾斜の断層帯の中に流体が移動して元旦地震とその余震の群発が流体内で起きているとのこと。能登半島の真下の「流体に富む領域」という意味不明の新語ではあるが、その流体に富む領域内でも地震が起きていることや その上でもこれまでの群発地震が起きていたとのこと。流体内には活断層がないはずだし、流体が割れて地震を起こすはずがない。また、これらすべてに地震の震源深さは10㎞のはずだが、ポンチ絵ではかなり違っているし、同じ断層帯で数千回もの地震が起きている事実を説明できない。要は支離滅裂。

 

 

 東北大の遠田教授も何やら今村教授とグループを組んでそのメカニズムについては「海底活断層」の逆断層でのずれで起きたとのこと。しかも数千年前にも動いたことのある断層がまた動いて地震と津波が起きたとピンボケ写真で説明していた。ので、写真は省略。そんなことで、3年も続いて数千回、全部深さが10㎞で最大震度7の群発地震が起きるはずがない。コンピュータのビジュアルアウトプットで衒学的に表現しているが、こちらも内容は実現象を説明できずに支離滅裂。

 

東北大 遠田教授

 

 これまでズ~ッと書き続けているが、マグマ溜まりの天井付近での繰り返しの熱解離、水素爆発 爆縮、水、熱解離、・・・で去年までの群発地震のマグマ溜まりは能登半島の先端付近で球形になっている。元旦地震はその北側に出来た板状のマグマ溜まりのはず。いずれも太平洋プレートからのマグマの上昇で深さが10㎞付近で比重バランスとなってマグマ溜まりが出来、その中に溶存している水の熱解離での化学現象以外にこの群発地震を説明できない。最近になって去年までのマグマ溜まりは冷えてきたのか、群発は終息しており、その周囲に新たなマグマが上昇しているようで昨日の2本の地震はそのエビデンス。元旦地震も同じメカで起きたのかもしれない。

 

 高温高圧のマグマが上昇することで冷やされ減圧して行き、マグマ内の水が熱解離して酸素は900度で硫酸となり、それ以下になると酸素と硫黄に分解する。さらに上昇して冷えて400度付近でヨウ化水素が分離して水素を吐き出し、これが酸素と結合して爆発し地震となる。酸素も水素も高温高圧下では超臨界状態と言って液体のような気体であることで、東工大の中島教授、京大の西村教授、他 水のような流体と言っているのがこのことであろう。

 だが、西村教授は松代地震でのメカニズムを引用して、水のような流体は「水」であると断言していたが、これは間違い!松代ではこの液体のような水が地表まで大量に湧出して農作物に被害を及ぼしたと説明していた。

 しかし、松代地震の水は下の2枚の写真のように地震での液状化による深さ10m位にある地下水が古井戸(下の左の写真のように井戸側を使った手掘りの井戸ではせいぜい深さは7mが限度)から湧きでたもので、右写真のように噴出している水は噴水と違い泡を含んでぶつぶつはねているのが分かる、流れ出た水も右写真のように泡を大量に含んでいる水で、この泡が地震を起こしていたマグマ内の溶存水かメタンガスの泡がわからない。松代群発地震の震源域はかなり広範囲で、しかも40年間ゆれ続け、観測された地震の数は70万回といわれ、1日最大500回の群発地震が起きている。

 この井戸が松代のどこの井戸かも良く分からないが松代は戦前に大本営を移そうと山腹からトンネルで大地下壕を造ってその掘削残土は谷合にそのまま投げ捨てられて平地を造っている。谷合には樹木や下草が大量にあり,その上に掘削残土が載っていると、戦後70年もたつと腐食しメタンガスが出て、谷の地下水に溶存していたところに群発地震が40年も続いていればある時ドーンと液状化の水圧で古井戸の壁を破って地表に出てきたのではないだろうか?

 もしマグマ溜まりの天井付近でのマグマ溶存水が熱解離し、これが結合爆発で水となり再熱解離しようとしてもマグマの温度が900度にならないとそのまま水になって、水素の残り分を溶存して1万m以上上昇して地表へ出ることで群発地震が終息したとすると、この大量の泡は水素か火山性のガスで、水には硫酸が含まれヨウ素や硫黄が入っているはず。即ち温泉臭い匂いや強酸性なら手が荒れて、草木が枯れることですぐに分かるはず。

 或いは両者の併合することで湧きだしたとも考えられる。

 

 いずれにしても 定説のメカニズムは下のポンチ絵のように地下10㎞にある破壊性の岩石が水圧で破壊されて群発地震が起きていたというのが東大震研の結論であるが、水圧で割れるような岩が地下にあるはずは無いし、そんなことで群発地震が70万回も起きるはずがないので、これも間違い。拙著「地震予知不能の真因」(ヴイツーソリュウション社)に詳しい。

 

  

 

 元旦能登地震の板状マグマは以前このブログで説明したが、日本列島の誕生とも関連して出来た弱層となっている中央構造線のコピペで説明した通りで、この弱層に太平洋プレートからのマグマが上昇し板状のマグマ溜まりとなってこの天井付近での水素爆発のはず。昨日のM=6.0地震も同じマグマ爆発で起きたもの。

 

 さて、今日はいつもの拙小冊子「地震予知はできるはずです 火山噴火も」の続き

 前回は関東大震災での同時多発の始まりの旧陸軍被服廠での液状化現象の確認について書いた。これが火災となって死者10万人を超える大震災となったその経緯を書く。

 

図65 床板が燃えて落橋した厩橋。左が両国橋でその後ろが旧陸軍被服廠での火災旋風に追われて隅田川へ飛び込んだ泳ぎの達人も服をつかまれ共死されてしまうので裸で逃げた。左下に逃げ延びた人が見える。これを目撃したという話は「関東大震災」を書いた吉村昭の手記にある。

 液状化している水の比重は1.0より低いので人は浮かべず、泳げない。

 

 図65 厩橋の火災と左奥は被服廠跡の火災旋風。隅田川が真っ白いのは液状化でのメタンガスの湧出の泡

 

図66 下の2枚は写真と大量の手記から想像して描いた大型のスケッチ。

 火災旋風が11ヵ所で発生し、遥か15㎞千葉県市川市まで飛ばされた人もいた。

 その死因は焼け死の他に無酸素の酸欠空気で失神した後 焼け死んでいる。あまりに大量のガスの湧出で一気に酸素が失われ酸欠状態となっていた。メタンガスの火力が強いのか普通の火事では起きない火災旋風で自転車も大八車も荷物を積んだまま、馬も飛ばされていた。メタンガスの火力は相当強いのだろう。火災旋風が各所で起き、厩橋をはじめ隅田川の木造橋はことごとく燃えている。橋の構造材も床材もかなりの太さ、厚さであり簡単には火など付くはずがない。しかも、川面以下は濡れており湿気が沢山ある。それが着火して落橋しているのでかなりの火力であることが証明される。これに関しても大量の手記が残っている。

 

 

 

 

お花はお休み