入学前。システマチックに生協から紹介されて 最初に住んだ 部屋は、住宅街のど真ん中。男子禁制で、怖そうな シニアの御婦人と、気難しそうな思春期の坊やが 隅っこの部屋にいる 典型的・間借りの部屋でした。見るなり親は、こっそり囁きました。「探しなさいっ。1年かけて。どう考えても この大家さん家族。難しすぎるっ!」

 

でも、おかげで、住人4名の女学生の団結は固く、夜 声を潜めて開かれる 女子会は楽しかったです。(門限が、超・厳しく、電話相手や 送ってくる相手が男性だと、理不尽なまでに、チクチク嫌味を言われる羽目に。(学生の半分が、同じ県内出身ゆえ 人気のある部屋は、同窓の 先輩から後輩へと 譲られるのが伝統だったとは 後で知った事実!)

 

そこで 私がとった作戦は、今思うに あまりにも「無謀にも、程があるっ!」でした。とにかく、つかまえる相手ごとに「この界隈で、1番人気あるのは どこ?」ですから 開いた口が塞がらないですよね。笑い泣き

 

でも、そんな中で 1番人気だった場所の 大家さんへ直訴。背後から「お前、気は確かかっ?!」と 幾重にも連呼される中。「来年からの部屋 空いてませんか? 私、住みたいのですが‥」とダメモトで申し出たら…

 

「あら、1件だけ まだ聞いて無い部屋が3階にあるわね。教育学部の学生さんで 4回生。もう単位は全部 取ったからと たまにしか来ないの。そうだ。今日は、珍しく さっき顔を見たので 行ってみたら?」ってな訳で、お願いしたら 快諾。周囲がコケまくったのは 言うまでもありません。

 

「たぶん、2階に住んでるの クラスメイトじゃない?」ってな訳で 次の住所が決まりました。3軒先に 銭湯があったので、結果的に みなさん、何故か 私の部屋に、風呂桶を置いて  部活に通う事が習慣になろうとは‥!? 

 

あとで知ったのですが、大家さんは お子さんが ちょうど同じ位の年齢で 四国の別の大学に行ってたので、他人事では無かったのかもしれません。風邪をひいた時は、鍋焼きうどんを片手に 駆けつけてくれました。

 

毎年。GW開けには、30名近い住人達の 大懇親会が伝統行事でした。食事が終わると 当然のように 部屋から部屋へと回りました。そこで生まれた カップル達です。

 

連日。部屋には 次々と来客が訪れ 寿司詰めになるあまり 器がバケツリレーに。どうやら自転車とバイクでメンバーを想定し、吸い込まれていった模様です。(左ではドテラで、右では先頭が私‥)

 

 

次々とカップルが誕生し 喧嘩になるたび、我・部屋に飛び込んできて、大騒動。固まりつつ「何故?」と聞くと「だって、止めてくれる人が居て 聞いてくれる相手が居ないと 喧嘩が終わらないじゃないの。言いたい亊が言えない。スッキリしない」だそうで‥ 元の熱々に戻って 去っていきました。呆然… (写真はカップル達と 常連たちの図)

 

彼等の結婚式に呼ばれた際、大家さん宅に寄ったら、大喜び。引き止められる余り 遅刻しそうになって、タクシーを飛ばして 式場に向かったら 待ち構えてた姉妹が「こっちこっち」と、新郎側の控室に引っ張り込まれました。(その時の妹さんが、先日。関東に遊びに来てたけれど、アクシデントで会えなかった。残念っ!)

 

続きはまた‥照れ