なぜ同じクッキーを焼けるのか?
一つの同じ型(フォーム)からつくられたから。
なぜ馬はみんなそっくりなのか?
一つのひな型(フォーム)にしたがって形づくられたから。
魂がかつてイデア界で型を見たことがある。
これは、以前聞いたことがある。
なるほど、このことね。
この話を前に聞いたときも、クッキーはわかるんだけど、馬や魂がかつて型を見たっていうのは全然納得できなかったなぁ。
「ソフィーの世界」
なんだか年をとるのは体だけみたい。
プラトン
イデア説
プラトンは感覚世界の後ろに本当の世界がある、と考えた。
これをプラトンは「イデア界」と名づけた。
ここに永遠で不変のひな型、わたしたちが自然のなかで出会うさまざまな現象の原型がある。
感覚世界のもの、つまりつかんだりさわったりできるものについては、ぼくたちはあいまいな「意見(ドクサ)」しかもてない。
ぼくたちが「たしかな知(エピステーメー)」をもてるのは、理性でとらえることができるものについてだけなのだ。
ぼくたちの感覚はいつもあてになるとはかぎらない。
見る能力には人によって差がある。
それにひきかえ、理性が語ることには信頼がおける。
理性はすべての人間にあってひとしいからだ。
理性は、思うとか感じるとかそういうこととは正反対のものだ。
理性は永遠で普遍だ、と言ってもいい。
理性は、永遠や普遍にかかわることしか語らないのだ。
プラトンは現実を二つの部分に分けて考えた。
第一の部分は「感覚界」。
ぼくたちはあいまいな、不完全な知にしかいたれない。
ぼくたちのあいまいで不完全な五つの感覚が使われているだけだ。
感覚界に属するものには「すべては流れ去る」ということがあてはまり、長らくもちこたえるものは一つもない。
もう一つの部分は「イデア界」。
理性をはたらかせれば、ぼくたちはたしかな知にいたれる。
感覚ではとらえられない。
また、感覚界のものとは対照的に、イデア、つまり型は永遠で不変だ。
プラトンによれば、人間にも二つの部分がある。
ぼくたちには体があるけれど、これは「流れ去る」。
体は感覚界と切っても切れない関係に縛られていて、感覚界のあらゆるものと同じ宿命を負っている。
ぼくたちの感覚はすべてこの体と結びついていて、そのため頼りにならない。
けれどもぼくたちには不死の魂もある。
理性はここに住んでいる。
まさに魂は物質ではないからこそ、イデア界をのぞくことができるのだ。
魂はぼくたちの体に降りてくる前にすでにあった。
魂はかつてイデア界に住んでいた。
けれども魂は、人間の体に宿って目を覚ましたとたんに、完全なイデアを忘れてしまった。
人間が自然のなかにさまざまな形を見ると、魂のなかにおぼろげな思い出が浮かびあがってくる。
すると、魂の本当の住まいへのあこがれもまた、目を覚ます。
プラトンはこのあこがれを「エロス」と呼んだ。
愛という意味で、魂はもともとの源への愛のあこがれを感じる、というわけだ。
あなたはだれ?(ソフィーの世界①)
習慣(ソフィーの世界②)
万物は流転する(ソフィーの世界③)
運命(ソフィーの世界④)
自分が知らないというたった一つのことを知っている(ソフィーの世界⑤)
イデア(ソフィーの世界⑥)
中庸の徳(ソフィーの世界⑦)
よそ人よ、ようこそ。ここでは快楽が至高の善である(ソフィーの世界⑧)
三千年を解くすべをもたない者は・・・(ソフィーの世界⑨)
収入役さんやおばさまバービー人形ちゃんとアブナイ夫婦(ソフィーの世界⑩)
人生は劇場(ソフィーの世界⑪)
ロマン主義的イロニー(ソフィーの世界⑫)
一つの同じ型(フォーム)からつくられたから。
なぜ馬はみんなそっくりなのか?
一つのひな型(フォーム)にしたがって形づくられたから。
魂がかつてイデア界で型を見たことがある。
これは、以前聞いたことがある。
なるほど、このことね。
この話を前に聞いたときも、クッキーはわかるんだけど、馬や魂がかつて型を見たっていうのは全然納得できなかったなぁ。
「ソフィーの世界」
なんだか年をとるのは体だけみたい。
プラトン
イデア説
プラトンは感覚世界の後ろに本当の世界がある、と考えた。
これをプラトンは「イデア界」と名づけた。
ここに永遠で不変のひな型、わたしたちが自然のなかで出会うさまざまな現象の原型がある。
感覚世界のもの、つまりつかんだりさわったりできるものについては、ぼくたちはあいまいな「意見(ドクサ)」しかもてない。
ぼくたちが「たしかな知(エピステーメー)」をもてるのは、理性でとらえることができるものについてだけなのだ。
ぼくたちの感覚はいつもあてになるとはかぎらない。
見る能力には人によって差がある。
それにひきかえ、理性が語ることには信頼がおける。
理性はすべての人間にあってひとしいからだ。
理性は、思うとか感じるとかそういうこととは正反対のものだ。
理性は永遠で普遍だ、と言ってもいい。
理性は、永遠や普遍にかかわることしか語らないのだ。
プラトンは現実を二つの部分に分けて考えた。
第一の部分は「感覚界」。
ぼくたちはあいまいな、不完全な知にしかいたれない。
ぼくたちのあいまいで不完全な五つの感覚が使われているだけだ。
感覚界に属するものには「すべては流れ去る」ということがあてはまり、長らくもちこたえるものは一つもない。
もう一つの部分は「イデア界」。
理性をはたらかせれば、ぼくたちはたしかな知にいたれる。
感覚ではとらえられない。
また、感覚界のものとは対照的に、イデア、つまり型は永遠で不変だ。
プラトンによれば、人間にも二つの部分がある。
ぼくたちには体があるけれど、これは「流れ去る」。
体は感覚界と切っても切れない関係に縛られていて、感覚界のあらゆるものと同じ宿命を負っている。
ぼくたちの感覚はすべてこの体と結びついていて、そのため頼りにならない。
けれどもぼくたちには不死の魂もある。
理性はここに住んでいる。
まさに魂は物質ではないからこそ、イデア界をのぞくことができるのだ。
魂はぼくたちの体に降りてくる前にすでにあった。
魂はかつてイデア界に住んでいた。
けれども魂は、人間の体に宿って目を覚ましたとたんに、完全なイデアを忘れてしまった。
人間が自然のなかにさまざまな形を見ると、魂のなかにおぼろげな思い出が浮かびあがってくる。
すると、魂の本当の住まいへのあこがれもまた、目を覚ます。
プラトンはこのあこがれを「エロス」と呼んだ。
愛という意味で、魂はもともとの源への愛のあこがれを感じる、というわけだ。
あなたはだれ?(ソフィーの世界①)
習慣(ソフィーの世界②)
万物は流転する(ソフィーの世界③)
運命(ソフィーの世界④)
自分が知らないというたった一つのことを知っている(ソフィーの世界⑤)
イデア(ソフィーの世界⑥)
中庸の徳(ソフィーの世界⑦)
よそ人よ、ようこそ。ここでは快楽が至高の善である(ソフィーの世界⑧)
三千年を解くすべをもたない者は・・・(ソフィーの世界⑨)
収入役さんやおばさまバービー人形ちゃんとアブナイ夫婦(ソフィーの世界⑩)
人生は劇場(ソフィーの世界⑪)
ロマン主義的イロニー(ソフィーの世界⑫)