宮崎駿とクドカン | 村山涼一のマーケティング備忘録

村山涼一のマーケティング備忘録

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宮崎駿の引退会見をはじめから最後まですべて見た。


自分の哲学、思想、信念をしっかりと持って、形態を作り上げてきた人なのだと思った。


だから、例えば「となりのトトロ」は、牧歌的な形態の奥に、いろいろな問題点を認識できたのだと思う。


そのような作品を生み出すためには、ディテールにこだわり、そのこだわりから意味をみつけることが重要だったのだろう。


哲学、思想、信念といった意味からはじめ、形態を模索するが、その一方、形態から意味をつきつめてもいったのだろう。


このふたつの作業をあまたの時間をかけて、自分の中で逡巡するからこそ、あれだけの作品になるとともに、時間も要した。


自分の哲学や思想、信念を重んじるため、テレビや映画を見ないと宮崎は言う。自分の内的な世界観に従順なのである。


一方、あまちゃんをヒットさせたクドカンも、哲学や思想、信念を重んじると思うのだが(ここはファンとして氏を長くみてきてものとしての推測)、氏は、世の中の影響を実に多く受ける。


そしてそこに遊び心を加えることで、笑いを加える。だからどんなに重いテーマでも正面から受けなくて済む。


木更津キャッツアイのテーマは「死」であった。あまちゃんは「郷土愛」であろう。しかしそれを正面から受け取らなくていいので、気が楽である。


つまり、宮崎とクドカンは、その意味性は近いものがあっても、それを表出化して形態とするスタンスと方法論が異なる。


そして時代はクドカンのものとなろうとしているように思う。


千代の富士に引導を渡したのは、貴乃花だったように、このふたりに時代の移り変わりを見たように思う。


クドカンはやっとNHKで、一般に評価されたに過ぎないが、今後この人は大きくなっていくのではないかと思う。期待も込めて、そう思いたい。