村尚也ブログ 過剰なままに

村尚也ブログ 過剰なままに

おどりの空間 主宰 村尚也が、時に熱く、時にクールに日々を綴ります。

やや小ぶりのそば殻枕に変えて眠った。

夢は旅の舞台。宿のおかみさんたちと話すシーン。次のシーンは叔母のみどり会の楽屋。なんの準備もできていない私に、叔母は始まる15分前には舞台袖に来るよう告げる。旅館へ戻ると同宿の男性ばかりの旅一座と一緒になる。その座長はじめ、主だった人々にそつなく挨拶をしながら支度を進めていると、周りから先生々々と立てられる。が、衣裳などの寸法合わず、しかも女夫狐の振り付けがまだできていないことに気づく中、時間を尋ねれば既に5分前。あせり……

目が覚める……

……懐かしかった。旅の舞台。そして、みどり会の面々。中にすみのさんもいた。小川を渡って舞台から宿へ2往復した田舎の風景。一向に支度の進まぬ焦りの氣持ち……ひとつき以上続いた里野の旅芝居のような公演がすんだことや、今日は久良岐で武田節の振り付けがあること等々があったのだろう(笑)

それでも目覚めての氣分は嬉しかった。新しい枕をポンポンと軽く叩きながら「ありがとう」と言った。

正雀師匠の大道具入り芝居噺の撮影に招かれて、上野の文化財研究所へ向かう。
久しぶりに上野の森を鶯谷側から登ってぶらぶら歩いた。この道をたくさんの学者さんや作家さんらが歩いたんだなと思うと、緑の匂いまでが私のような未熟者まてを柔らかく包み込んでくれている氣がした。
今週は(月)から昨日(木)まで、門弟の古典的素養のなさに愕然とし、どのように教えたらいいかを考えたり、若い恋人二人が誤った方向に舵を切ろうとしているのに対して意見を言って立ち止まらせたりと、いつの間にか自分が随分年上オヤジの立場を演じていることを痛感していた。
が、今日は上野の森で自分の浅学菲才と過去の過ちに思い出させてもらい、昨日までとの真逆の自分を味わっているのに氣付き、その狭間の中で揺れている自分を噛みしめた。ああ、まだまだ老成してなくて良かったとも思う。が、消せない過去に痛みと焦りを覚えなくもない。もちろん、後悔しても取り戻せない時間。
イタリアの大学にはガリレオさんがいた過去の空気の中で学生は学ぶという。そんな中で学んでみたかったなぁ。と、今は憧れるが、もしもあの頃の自分がそこにいたら、きっとその誇りをカビ臭い埃と感じて逃げ出していたんだろうと思った(笑)
ううむ、勉強は嫌いじゃない、好きだけど、オレはワガママなんだよね、勝手で、最初から自分流でないと満足できない奴だからいけないんだと思う。自分で体系作ろうなんて野心起こさず、まずは素直に体系の洗礼を受けてから???
それはともあれ、今頃、イタリアガリレオがわかるなんて、遅すぎる(爆笑)

映画『スオミの話をしよう』を朝9時10分から見た。

期待はずれだった。結婚相手五人のスオミ像が皆異なるという絶好のテーマなのに、あまりにつまらない展開、脚本、演出、演技だ。

スオミの長澤まさみというキャラクターを遣いきれていない。五人の男に対し、スオミは皆に違う態度や髪型、言葉で接するのだが、演技の切り替えだけに頼っているから、あれでは長澤まさみの怪優ぶりが発揮されない。ただの演技の仕分けに堕してしまった。

もちろん脚本のコンセプトがあまりに甘いことが一番の原因だろう。相手に合わせる性格、人格の変化だけでは、学生演劇よりつまらないコメディーに見える。

スオミが生きるために必要な強迫観念や罪の意識などが土台になって、統合失調あるいは犯罪者かと錯覚させる怪しい運びを見せるか、爆発的な喜劇にしないと不発に終わる。

    昨日は1時から国立能楽堂の招待日で普及公演。林望の解説に始まり、狂言は『薩摩守』(大蔵彌右衛門)鄙びてのどか。特に船に乗り、僧と船頭が同じように大きく左右に揺れ傾く姿は、強く単純なデフォルメであるぶん、水と船の揺らぎに時間までがおうように流れてゆくようだった。

    能『兼平』(梅若猶義)は、たっぷりと丁寧に演じられた。これも船つながりである。近江八景の景色がこちらは水彩画のように過ぎていった。粟津の岸に着くと何事もなく幕へ退場する。他のパフォーマンスではあまりに工夫がなく見えるが、能だと饒舌な謡も囃子もなく、本来はあるべき展開が無いことで、勝手に想像力を働かせる(笑)

後場はなんといって凄絶な最期の型が印象的だ。時間が思ったより長く感じさせたが、それは充実感でもあった。

    夜は早くに蒲団に潜り込んだ。



   6時起床。快適に目覚められたのは、やはり前日に見た松山バレエ団『ジゼルとアルブレヒト』の刺激によるものだろう。

   強引なまでに展開させるテーマには辟易する部分もあるし、ラストのジゼルが冥界の主のように崇められるラストシーンが紗幕越しになるのもカタルシスがなく焦れったい。が、そんな不満がありながらも常に自分達の理想と作品のテーマを合致させようとする、並々ならぬエネルギーが枯れないことには驚嘆のほかない。信仰に似ている。

    2時から曄沙代講師による新地唄舞講習会。『古道成寺』『柳やなぎ』十数名の参加者。やはり帯を使った古道成寺が喜ばれた。

5時から正雀師匠と人形町で会う。名目は、17日牛鍋会の打ち合わせだが。それはものの15分。あとは藝の話。師匠は風邪気味でノンアルコールとお茶。私はいつものビール。