Death Toll Rises to.. | ぶたすずめはどこへゆく 

Death Toll Rises to..

田舎のローカル新聞の国際関係の1面に、このニュースが出ていたのを見て、

改めて事故の悲惨さを感じました。


時間が経つにつれて増えていく死者の数。

浮かび上がってくる問題点。


いつも、ニュースなどを見るとぽんぽんとコメントする家主さんですが、

今朝、最新の情報を見せると


「そうか」


と言うだけで、後は電車の1両目の位置など私の質問に答えるだけでした。







今回の事故ですが、私としては亡くなられた方のご冥福をお祈りし、

負傷した方々が一日も早く元気になるようにと願うばかりです。



この事故の原因究明は、巻き込まれた方々のためにも、慎重に取り組んでほしいと思います。



思いますが、「どうしてそうしなかったのか」「この事故は未然に防げたはずなのに・・・」とか

明らかにこれ以上論ずることは何もない問題点を、何度もしつこく掘り返すメディアによって、

引き起こされる上層部の責任の擦り付け合いは、見苦しいので表に出さないでほしいです。


もうすでに「置石」の可能性を引っ張っている時点で、ひどい頭痛を感じますが・・・




今、電車の1両目に乗る人は少ないでしょう。

誰もが多少の恐怖を抱えて、電車に乗っています。

事故が起きた日も、次の日も・・・今日も・・・


そして、年齢の若い運転手さん達は、更なるプレッシャーを抱えて今日もお仕事をしています。

彼らを教育するベテランさん達も、これから上が一方的に押し付けてくる効果があるのかないのか

わからない対策マニュアルを読んで、その通りに動くしかないのかもしれません。






誰のためのサービスなのでしょうか?





今、事故に巻き込まれた人たちのために必死で働いているのは、

現場で彼らの救出活動を休みなく続けている人たち「だけ」のような気がしてならないのです。




サービスを受ける側のわがままを全て聞くことは、サービスを提供する側には難しいことだと思います。

言いなりになってしまったら、ビジネスを続けられない・・・


ただ・・・


お金儲けに走りすぎて、Benefitを効率よく得るために、さまざまなところを簡略化していくのは、引き換えにRiskをどんどん増やしていくだけで、無駄を省く・・・ということと意味は違ってくる気がします。


お金的に厳しいのは、どこの企業も同じだと思います。

全ての事故を未然に防ぐように努力するのは、大変なことですが「あたりまえ」とみなされます。

問題がなくサービスが滞りなく提供されて・・・当然な世界なのです。

ただ、それでも予想外のアクシデントは起きてしまうことがあります。


その時に、できる限り低コストで「そのうちみんな忘れるだろう」という心構えのもと、

企業がこれ以上傷つかないようにするための、守りの体制から出される対策しかしないなら・・・


それに費やすお金こそ「無駄」でしょう・・・





「この事故で、JR側が『車体を強化します』とか言ったら、まじで笑うよね」


と家主さんが言っていました。

私は、この言葉を笑い飛ばせませんでした。





しばらくしたら、JRの駅には事故に対する「乗客が納得するような」対策の説明が書かれた紙が張られることになるのでしょう。

若い運転手さんの教育など、さまざまな情報が洪水のようにネットでは流れるのでしょうか。




そして、本当に問題が解決したのかどうかわからないまま忘れられて、一年のニュースの総集編で改めて思い出す・・・という流れで終るのでしょうか。





今すぐには解決できない問題が山積みです。

その一つ一つを指摘し、批判することをしている人はたくさんいますが、

効果のある可能性が高い解決方法を提示して、改善しようと思う人はあまり表には出てきません。



表に出てくるのは、頭を下げて記者会見する幹部達と、ニュースや特集で事故の様子を分析する専門家と評論家達。




メディアが提供する情報をうのみにして、自分自身の判断力を鈍らせている私達にも問題はあるかもしれませんが・・・




やはり素人の私は「よくわからない」まま、対岸の火事のように見て終ってしまうと思います。

いくら考えても、非現実的すぎる的外れな対策しか頭に浮かんできません。




だからせめて・・・



事故に巻き込まれた人たち、そして彼らを慕う人たちがこれ以上傷つくことのないように・・・

JR側が慎重に対応してくれることを心から祈っています。