日経新聞 YAZAWA 60 10/24 vol.5 | 矢沢永吉激論ブログ

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 あがき続けた30代。矢沢は切所を越えた。

「イケイケ。押せ押せ、ヤレヤレのところで突っ走ってきたから。でもね、スムーズに全部行けなかったの。NO。足踏みしてみたり、遠回りしてみたり、だまされてみたり」。


数奇な人生の象徴のように会話は「でもね」でつながっていく。


「今日のYAZAWAをつくるのに絶対不可欠だったんです。今アメリカでも、イギリスでも、ニッポンにYAZAWAってのがいるんだろっていうぐらいまで認知されてます。電話一本掛ければ、世界的なミュージシャンを呼ぶこともできる。これを財産と言わなくて何ですか。どこ狙うかも、YAZAWAの腹一つ。俺の手の中にあるよ」


 若き矢沢の世界進出とは、五体が海を越えることであり欧米の街角に作品を並べることだった。百戦を経て思考の角度を変えた。


「俺たちはジャパニーズ、ニッポンのカラーがあるんだもん。洋楽にする必要はもうない」。


世界とは地理的概念で語るものではない。マッチをひと擦りするように手元にポッと出現させる。それが今の矢沢が狙う世界。創作の場はTOKYOでなければならない。


「腹一つ」の眼目であろう。 冒頭に触れた後楽園の直前、矢沢か夢を記している。


「50歳になっても白髪頭で5万人ぐらいのコンサートやる」。


あのミック・ジャガーは6歳上の34だった。40代のロックスターさえ1人もいなかった昔の話だ。31年後。9・19。還暦を祝う永ちゃんコールが東京ドームを震わせた。


「60で、現役で、5万人集めて、ノンストップでってことになってくると、夢のまた夢で現実的じゃなかったよね」


 面白い英語の言い回しがある。「WalkYourTalk」。自分の話を歩け。有言実行を意味する。


「珍道中といやあ、珍道中たったけど止まってはいなかったね」。


彼の場合 「Run Your Talk」がイメージにはまる。


 「トータルで見たら、こんな恵まれたことはなかったんじゃないですかね」


 俺、恵まれたのかも。矢沢60歳。最新語録である。初の米国録音「アイ・ラヴ・ユー、OK」は18歳の時の作品だ。以来、彼の作曲は優に300を超える。


「今思うとYAZAWAはものすごくマジメなんだと思う。これしょうがないよ、性格の間題だから」


プロデューサーが語る人間矢沢の分析もこの辺りで出そろったか。ピュアで単純なヤツ。そしてマジメな作曲家。矢沢を貫く課題への緊張感が日本ロック史を開き、そこに多量の劇的要素を加えてきた。


  (編集委員朝田武蔵)
=次回は11月に掲載します