フリーウエイの10号でサンタモニカに行けるのだがその途中にソーテルという日本人街がある。
そこの焼き鳥屋とか洋食店とかで働いた。
アメリカはチップ制度なのでチップの取り分を巡る従業員間の取り決めがあった。
あの当時、時給5ドル25セントだったかな、それにチップが1日10ドルくらいあったかな。
あと、配達の仕事をした。 あの当時、リトル東京にLIGHT HOUSEという日本人向けの雑誌があり、そこの求人広告で見つけた。 一旗会という変な組織を立ち上げようとしてた50代の男の人が中心になってやってた組織だった。 仕事は弁当の配達で午後1時には終わってた。 午前中に日本人の会社に弁当を売りに行く仕事だった。 車は自分の車を使わねばならなかった。 1日に25ドルから40ドルになったと思う。
その日の売上をマクドナルドで計算してた。
これからアメリカで何をしたいかみたいな夢を語り合ってたな。