走ることの苦手な私ですが、中一から高二まで「陸上部」にいました。運動神経もあまり無いのですが、なにせ「層の薄い競技」、要するにやる人の少ない競技をやっていたので、表向き少し活躍していました。


だれも信じませんが「棒高飛び」の選手でした。そのころ何人の中学生がやっていたのか分かりませんが、中三の時、中学の年間ランキング県内で五位でした。


そのため、高校に入学してからも即「陸上部」に入部しました。この「棒高飛び」という競技は、「ポール」を競技場まで運ぶのがすごく大変なのです。駅まで持っていって、競技会の会場近くの駅まで送り、その駅から会場まで歩いて運ぶ。帰りはこの逆と、あの長いポールを運ぶのは辛いのです。


でも「予選の高さ」(最初の高さ)を飛べるうちはいいのですが、そのうちレベルがあがり「予選の高さ」を飛べないのがわかると無駄なことはしたくなくなりました。


高二のときは「棒高飛び」はやめ、持ち運びの楽な「円盤投げ」に転向しました。しかしこの競技も予選のラインが引いてあり、そこに達しなければ測ってももらえません。


ここで私の陸上競技生活は引退となりました。


予選で落ちたにもかかわらず、新聞社のミスで私の名前と高校名が新聞に載ったことがありました。しばらくの間、訂正記事が載らないか不安な日々を過ごしたことがありました。