はしたない話で申し訳ないですが、朝起きて居間に行くと、家内から昨夜脱いだバンツが在るはずの籠になく、いくら探しても見つからないので「お父さん知らない?」と尋ねられました。当然何時もの洗濯籠に入れたと思っている私は知らないと答えましたが、家内はおかしいはね?と首を傾いて私を疑います。疑いをかけられた私は改めて思い出しますが、その時の記憶が全く思い浮かべませんので、逆に家内の間違いではないかと家内を疑いました。                           

何時もの時間にトイレに行き用を足してからパンツに手をかけると、いやにパンツが分厚いことに気が付きました。不思議に思い改めて確かめますと二枚履いていることに気が付きました。

早速、そのことを台所をしている家内に伝えると、怒るやら笑われるやらで、先が思いやられるとの眼差しで睨まれました。自分でも情けないないやら、恥ずかしいやらで笑いをこらえてしまいました。夜中にトイレに行っているのにも関わらずに分からなかったのが不思議です。どうしてパンツを二枚履いたのか自分でも思い出されません。しかも椅子に腰かけないと履けないのに二枚になるはずがないのに?私は毎日風呂には入るのですが、時たま面倒くさくてずるをして入らない日がありますが、その日が偶々入らない日でした。

誰が考えても、履いてる上に更に重ねて履くことなど到底考えられない行動ですが事実でした。

新聞やテレビでは毎日のように認知症の報道されるのを見て、自分は絶対にボケないと確信していましたが、この私の行動を省みると、ボケの兆候ではないかと心配になり初めました。                                                     

団塊世代が70歳に突入して益々お年寄りが増えてきます。厚生労働省によるとは2025年には、全国で認知症を患う人の数が700万人を超えるとの推計値を発表しました。

65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症に罹患する計算となります。                                                自分でもしっかりしている積もりでも老いは必ず訪れます。ボケ防止の秘訣は頭の血の巡りを良くすることだそうです。一番手っ取り早いのは筋肉を鍛えることで、歩いて足を鍛えるのが一番良いそうです。

足のふくらはぎにある第二の心臓を動かすことによって頭に血が廻ります。その意味でも私はプールに行って水中を一キロ歩いていますがパンツを二枚履くようではボケにならない確信は持てません。我ながら恥ずかしいパンツ事件の顛末でした。


NHK朝ドラ「おちょちゃん」を観て親子の情愛をしみじみと感じた。

私は祖父母に育てられて幼い頃から父母のことを考えたことがなかった。

それほど祖父母が愛情を持って私を育てくれたのだろう。

特に祖母の私に注いだ愛情は俗に云う「山より高く、海よりも深く」の思いで接してくれたに違いない。

今思い浮かべるといろいろなことがあった。中学、高校の担任が私が祖父母に育てられたなどと、分からなかったほどだから感心する。

それほどだったから父母のことなど一度も考えたことがなかったし、寂しくもなかった。

親父の母がかなり厳しい人で、嫁いできた人は居たたまれずに離婚した人が三人も居たことで察しがつく。

先日姉が亡くなり弟から姉が生まれた所を尋ねられたが、弟事態が何も知らない。

それは当然の話で、幼い時からずっと姉と同居していたのだからしかたがないことだ。

私は25歳の時に親父に会いに行ったが、どうしても会いたいと云う気持ちでなく、親父がどういう人かを確かめたっからに他ならない。弟には申し訳ないが私はそのように思っている。

「おちょちゃん」のドラマを観ても母親の思いが、私には一向に伝わって来ない。祖母はそれほど私に愛情を注いでくれたからだろうと思うからだ。

昨年の九月から、仔猫が同居しています。と言うのも、野良猫が知らぬ間に会社の倉庫に六匹の子を産み、会社の八百谷さんが可哀想にと、段ボールで棲みかを拵えてやりました。棲みかには、仔猫がいつでも出入り出来るようにと、坂道まで作ってあります。

 

不思議なことに、親猫が一日二日と日毎に仔猫を咥えて何処かに連れ出しますが、最後の一匹だけは、何日経っても咥えて行きません。数日が過ぎてから、不安になった南部さんは、あちらこちらと、もらい先を探しますが見つかりませんでした。家内にも打診がありましたが、二十年間も同居した猫を亡くしたばかりなので、断ったとのことでした。

ところが、次女が物を処分すると言うので、家内と一緒に軽トラックを倉庫に借りに行ったところ、残された仔猫の泣き声を聞いてしまい、あまりの可愛さに家内が連れて帰ったのが始まりです。

 

仔猫は母親の愛情を得ていないのか、亡くなった先の猫とは違った行動をします。

一つは、誰かまわずに甘噛みをして皆を困らせます。二つは、家内を母親と思うのか傍から離れませんし、私たちの食事時には、家内の膝の上に上がっていたずらをします。三つは、座敷の障子のすべてを爪で引き裂いて破り、どうしたものか高い欄間の障子まで引き裂く始末です。四つは、猫用の段々になった遊場を購入しましたが、天辺にいる猫に、好きなオモチャの小さなネズミを放り投げてやると、見事にナイスキャッチをしてくれます。五つは、座蒲団などの端を咥えて、両手で乳をもみ出すような仕草をいつもしています。

 

今年に入ってから、夜遊びがかなりひどくなり子を宿しては大変と、一泊の避妊の手術を受けましたが、その間の寂しさはなんとも言えませんでした。「てん」はそれ程、私達を癒してくれる存在になっています。

因みにメスなので名を「てん」と名付けました 。由来は朝の連続ドラマの「わろてんか」から頂きました。おてんばの「てん」、いつになったらおしとやかになりますやら心配です。

島崎藤村著「夜明け前」の全巻を読む。

この著書は学校時代の国語の時間に聞き覚えたぐらいで、詳しいことなど知る由もありませんでしたが、近年になって明治維新前後の著書を読むようになってからは、表の話は読むものの、地方の様子が知りたいと思いこの著書を手にした次第です。

この著書は木曽路の田舎に起こった様々な出来事が書かれており、私が知る智識とは違って新鮮に感じました。半蔵は馬籠本陣の主人として、庄屋として、維新という激動の時代を生き抜いた姿を著したものです。

 

維新前後の木曽谷中の馬籠の本陣を舞台に、青山半蔵の生涯が書かれる。嘉永六年に黒船のペリー来航を期に、世の中を開港と攘夷とに二分した。 

馬籠は江戸と京都との中間にあたり、幕府方と官軍方とが忙しく往来しており、本陣の主人としての半蔵は勤めを果していた。

半蔵は本居宣長ら国学者の平田篤胤派の教えを受けており、尊王攘夷の王政復古を願っていた。木曽地方にも多くの若者が平田派に学び、王政復古を基に京都に馳せ参じていたが、半蔵は父吉左衛門の諫めもあり、庄屋としての勤めを投げ出すことは出来なかった。

願っていた明治の御新政が為されたが、馬籠には何の恩恵も与えられないことに半蔵は挫折してしまう。挙げ句に新政府から本陣と庄屋を剥奪された上に、多くの借財のために屋敷と山林を売り払った。

その後は平田派の門人を頼りに、東京に出て官吏に就くが、師と仰ぐ平田篤胤の批判を聞き憤慨して辞めて帰郷した。跡目を長男に譲っていたこともあり、飛騨の村社の神官に赴任する。

晩年は馬籠に帰り、村民の子供達に論語等を教えたが、毎日の酒の飲みすぎから、徐々に身体と頭を病めてしまい、先祖が寄進した万福寺の門前に火を放つほどになってしまう。

最後は親戚一同、馬籠の村役、学んだ弟子等が集り、協議の結果、本陣の座敷牢に幽閉されてしまい牢死して果てた。

「夜明け前」は藤村の数少ない長編小説で、書き終わるまでに七年を要したとあり、半蔵は藤村の実父をモデルにしたものだった。

2月1日にうららの家において、福井市郷土歴史博物館の角鹿尚計館長をお招きして、「橋本左内と西郷隆盛」の講話を頂きました。

 

今年は明治150年にあたりますが、幕末から明治維新にかけて、福井では名だたる人物を数多く輩出しています。松平春嶽、橋本左内、由利公正、中江雪江、梅田雲浜、間部詮勝等です。
 

中でも橋本左内は全国的に名前が知られています。MKDでは橋本左内をもっとよく学びたいとの思いから、角鹿館長に講話をお願いした次第です。春嶽公は徳川御三卿の田安家から養子として越前福井藩第16代藩主につきます。若い藩主でしたが、藩の多額の借財を払拭するための改革に取り組みます。

 

特に人材の登用に力を注がれ、そこに目をかけられたのが橋本左内でした。左内は奥医師の息子ながら、黎明で洋学を学ぶために大阪の緒方洪庵の適塾に遊学します。

 

当時の春嶽公は混沌とした世相の中で、親しくしていた島津斉彬公と共に難問に取り組まれており、若い左内を側近として登用し、斉彬公も西郷を側近としていたことから、左内と西郷は朋友の契りを結び、両公のために身命をかけて働きました。

 

西郷は年上にも関わらず年下の左内を敬い、左内から託された書翰を肌身離さず抱き、西南戦争で自刃した際に、遺体の脇にあつた鞄の中に納めてあったとあります。

 

また別の話ですが、吉田松陰が間部詮勝暗殺を企てた容疑で江戸伝馬町の獄舎に囚われた折に、左内も幕府への反逆者として安政の大獄で同獄舎に囚われており、お互いに顔を合わすことはなかったけれどもお互いに文書を交わされたと、記録として残されていると語られました。