ある人からのブログでコメントメッセージを抜粋。。。
橋下知事は、
「単なる子どもたちのたわ言みたいにならないように、僕もかなり厳しくそこは反論していくので、そこはしっかり、きょうは議論したいと思いますので、よろしくお願いします」
高校生は「私立にしか行けなかったんです。家は決して裕福ではなく、父親は中3の時にリストラにあいました。橋下知事は『子どもが笑う大阪に』とおっしゃっていましたが、わたしたちは苦しめられています。笑えません」
「僕は今、私立の高校に通っているんですけど、僕の家は母子家庭で、決して裕福ではなくて、母をこれ以上苦しめたくないので、私学助成援助を減らさないでください」
これに対し、橋下知事が
「なぜ、公立を選ばなかったんだろう?」と質問し、「公立に入ったとしても、勉強についていけるかどうかわからないと(教師)に言われて」と高校生が答えると、
「追いつこうと思えば公立に入ってもね、自分自身で追いつく努力をやれる話ではあるよね。いいものを選べば、いい値段がかかってくる」と反論した。
この橋下知事の答えに、「だから、『そこ(私立)にしか行けない』って(教師に)言われたんですよ」と泣き出す高校生の姿も見られた。
さらに、別の高校生が「大阪の財政を良くすることは、わたしたちが苦しむことなんですか?」、「ちゃんと税金取っているなら、教育、医療、福祉に使うべきです。」と涙ながらに訴えると、
橋下知事は「じゃあ、あなたが政治家になってそういう活動をやってください」と切り捨てた。さらに高校生が「それは、わたしが政治家になってすることじゃないはずです」
教育を考えるものとして、こどもを悲しませることが、いいことかどうか、考えてみてくださいね。という投書がありました。
皆さんこのやり取りを見て不自然ではないですか?
これが平等・ゆとり教育をもたらした教育行政のツケです。
何よりもこういったやり取りは日教組や一部団体の政治的なプロパガンダに利用されている節が見て取れる。
この高校生たちの理屈は「努力しないけど、高校に行かせて、楽しい時間を過ごさせて」と言っているのです。
橋下市長はその後、大阪私立高校の無償化に取り組み形にしました。
多くの首長は意見を聴いて鋭意努力しますで終わります。
現在、橋下市長の下で教育が平等に受けられる政策を必死で私たちは創り上げています。
厳しい言葉を突き付け、そのうえで意見を形にするのが大人の役割ではないですか???
簡単にやれ!とは言いますが、
行政は全体予算の中で決められた金額しか配布できません。
しかしながら、民主党のようなばら撒きをすると未来の子供達に背負わせる借金漬け政治となるのです。
そして一度出した予算を引っ込める事は至難の技です。
努力するものが総じて認められる社会の構築が必要で、わけわからん法律で若者がニート化し、生活保護を受けて社会を支えない。
何かあれば「法律で違反していない」と言うしょうもない人間ばかり作ります。
論理武装は正しくありません。
論理なんぞ世の中が変われば論理も変わります。
これはある一部の私の支持者のコメントにあり、
明らかに私を挑発するメッセージが数点ありましたので、やるならば私のブログ上で徹底的に行いますが、大切な事は自らが汗をかいて現場に足を赴き、そして未来を考え、人々に現実を語る事です。
身分を隠し、ネット上で延々と語る人の言葉なんぞ社会には全く響かないし、全く役に立ちません。
問題は1つの事象を捉えて拡散する人の資質の問題です。
ネットで調べた事、文献で調べた事、法律を盾に取り語る事をする人が
学者や評論家です。今の時代、携帯を持っていれば東大に入れる時代です。
記憶の時代ではないのです。
想像と創造の時代です
前に続く道をしっかりと述べて、敵対する人に理論武装なら分かりますが、
まずアイデンティティが無いから、すぐに死にたいという、そして他者を攻撃する事で自己認識を持つ、他者評価を潰す事で自分に評価を向ける事でしか、自己評価に繋がらない。
紹介をして下さった方はその人と距離感も大切に付き合い、彼の能力を最大限まで評価しています。
そして距離感と評価も適正に保っています。
しっかりと冷静に人との付き合いは適正な距離を持つようにね。