今日は、母の通帳やお金の管理について、いろいろ考えさせられる一日だった。
朝、姉から私にLINEが来た。
「これからはお金の管理をお願いします」
「こちらの生活費は不要です」
「通帳は母に渡してあります」
そんな一方的な内容だった。
この2か月は姉が通帳管理していた。
正直、少し驚いた。
ここ最近、私は母のお金のことを曖昧にしたくない気持ちが強くなっていた。
だから通帳管理の話が出ること自体は不思議ではなかったけれど、急に“こちらでお願いします”という形で来たことで、いろんな意味を感じた。
その後、母から別の話を聞いた。
朝、姉が母に通帳を持ってきて、お金のことを聞いたらしい。
でも母は、
「わからん、知らん」
と答えたそうだ。
すると姉は、
「知らんばっかり言わんで」
と怒ったらしい。
その話を聞いて、私は複雑な気持ちになった。
やっぱり姉は、通帳管理やお金の流れをかなり気にしているんだと思う。
同居して生活を支える立場として、不安や負担感があるのもわかる。
介護や生活には現実的にお金が必要だし、綺麗事だけでは回らない。
でも今日、私が引っかかったのは“母への接し方”だった。
高齢になると、お金の細かい流れを全部覚えているのは難しくなる。
「知らない」「覚えていない」が増えるのは、自然な部分もある。
そこで強い口調になると、母は余計に萎縮してしまう。
私は今日改めて感じた。
家族の問題って、単純なお金の問題じゃない。
- 誰が管理するか
- いくら使ったか
それだけじゃなく、
- どう説明するか
- どう共有するか
- 本人をどう扱うか
そこに、その人の余裕や人間性が出る。
私は昔から、曖昧なお金のやり取りが苦手だ。
母から預かった数万円も、
「何となく」で済ませたくなかった。
通帳には「母から5000円」など簡単に書いているけれど、本当は小さなお金ほど後から誤解につながることがある。
だから最近は、
- 記録を残す
- 必要なら書面にする
- 母にも確認してもらう
- 三姉妹で公平性を意識する
そういう“透明化”が必要だと感じている。
以前の私は、「揉めたくない」「嫌われたくない」が強かった。
でも今は少し変わった。
感情で戦うより、
「私はこう管理しています」と説明できる状態を作るほうが、自分を守れる。
そして今日、改めて気づいたこともある。
私は、母の送迎や病院付き添いそのものは苦ではない。
むしろ、自分でやりたいと思って動いている。
本当にしんどかったのは、
何をしても評価されない感覚や、雑な扱い、冷たい反応に触れ続けることだった。
でも最近は少しずつ、
「姉に認められるか」ではなく、
「自分が納得できる行動をしているか」
そこを軸に考えられるようになってきた。
包括支援センターなど第三者から、
「よくやってるね」と言われた時、私はすごく救われた。
家族の中だけに評価軸を置くと苦しくなる。
でも、自分がやってきた行動は事実として残る。
母の通院対応も、送迎も、必要な時に動いたことも、全部消えない。
だからこれからは、必要以上に感情でぶつからず、
困った時は包括など第三者も頼りながら進もうと思う。
“誰が正しいか”だけじゃなく、
“どうすれば自分が壊れずに続けられるか”。
今はそれを大事にしたい。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。