たびたびアメブロ運営局さんから「あなたのブログはアクセス数が少ないからもっと工夫したら?」とアドバイスが送られてくる。
はじめはたくさんの人に話すのではなく、一人の人に語りかけるようにとか、タイトルでどんな役立ちアイデアが書いてあるかわかるようにとか、いろいろヒントをくれてありがたいのだけど、その中で驚いたのは、ブログに広告が出ないようなプランに入るといいというアドバイス。
へえー!
広告を消すのはブログ管理者のやるべきことだったのね!

私は常日頃アメブロを読んでいてたいていアクセスした途端に広告が出てチッと舌打ちしてるのよ。で、それは私が無料で登録して読んでるからだと思ってたんだけど、広告を消すのは読む側じゃなく書く側の問題だったのね。


ほほー。
でもまあお金を払ってまでブログやるほどの熱量はないので有料プランには入るつもりはないのだが、消し方がよくわからない何かのアプリの宣伝とか出まくるともうアメブロ書くのも読むのもやめようかなと思ったりはする。無料でやっておいて勝手なこと言ってすまんが。

私はいつもスターバックスでコーヒー豆を挽いてもらい家でドリップして飲んでいる。

スタバのコーヒーは私の中では他のどんなコーヒーよりも美味しいと感じる。豆が違うのか、焙煎が特別なのか、とにかく深みがあって香りもコクも苦みもすべて素晴らしいと感じる。

しかし半年くらい前からか?スタバのコーヒー豆はぐっと値上がりした。私がいつも購入するのはカフェ・ベローナ250gか、フレンチ・ロースト250gである。カフェ・ベローナ250gはそれまで1440円だったが、今は1590円。一気に150円も値が上がった。フレンチ・ロースト250gは1320円だったのが現在は1480円で、こちらも一気に160円もの値上がりとなっている。

世の中何でも値上げである。だからスタバだって値上げするのは当然だ。しかたない。でも毎日2~3杯飲むコーヒーがこんなに一気に値上げされるとひぃぃぃっとなる。私は250gをだいたい3週間で消費しているが少しは節約をした方がいいかなとちょっと考えてみた。(と言いながら1個300円も400円もするクロワッサンとかけっこう買うので節約するポイントが間違っている気がしないでもない)

そこで今日、一度ドリップしたコーヒーのフィルターを捨てずにとっておいて、次にコーヒーを飲むときにいつもの半分の量のコーヒーを足してドリップしてみた。色自体はそんなにいつもと変わらなかったが、味は薄かった。めちゃくちゃ薄かった。薄いというか味がなかった。ただの茶色いお湯だった。そんなものを飲むくらいだったらコーヒー1杯を我慢した方がマシだと思った。

やはりどんなに美味しいスタバのコーヒーでも二番煎じは不味いのである。もうそんなところでセコセコ節約しようなどと考えるのはよそう。毎日のリラックスタイムのコーヒーくらい美味しいものを飲もう。その分高いパンを少し我慢すればいいじゃないかと強く思った。でもドリップを二度やってみてどれほど不味いかがよくわかったので実験自体は失敗ではなかったと思う。

もうすぐ60歳。
この歳になってよくわかったが、悩みのない人はいないし、毎日が幸せなだけの人もいない。
みんな何かしら問題を抱えている。
病気、仕事のトラブル、人間関係、恋愛の悩み、学校での悩み、子供の頃から大人になっても、ひとつ解決するとまたすぐ別の問題が浮上する。その繰り返し。
お金があってもそれだけでは幸せになれないし、優しい家族に囲まれて育つなんてこともなかなか難しい。
けれどそれでもなんとか生きていかなくちゃならない。
毎日悩みとトラブルまみれで生きていても、何年かすると「あれは今思えばたいしたことなかったな。なんであんなに悩んでたんだろう?」ってことがけっこうある。
人生の終わりにすべての悩みを「あんなことで悩んでたなんて私もアホだったな」と笑って思い出せたら、それが幸せなのかも。
認知症になって何もわからなくなるのもいいかも。
そしてそんなふうにのんきに晩年について思いを馳せていられる今はわりと幸せなのかもね。

電話連絡のストレスってなんであんなにしんどいんでしょうね?

でも早く解放される方法はあります。

それは「えいやっ!」っとすぐさま電話をかけること、ただそれだけです。

仕事でもプライベートでも「これが片付いたら電話しよう」とか、「今日は先方は忙しいだろうから明日にしよう」とか、問題を先延ばしにすればするほどストレスは強くなるだけ。もう何の準備もできてなくてもとりあえず電話して、はじめはしどろもどろになってしまっても、どうせたいていの人間は電話が嫌いなんだから相手もわかってくれるはず。要点おさえてうまく喋れなくても大丈夫。誠心誠意ちゃんと伝えようと一生懸命に話せば受け止めてくれるものです。

昨日私は実家の信託契約してある土地の売却の件で、不動産屋さんからの質問に対応してくれた司法書士の先生にお礼の電話をした。はじめ先生は「あまりお力になれなくて申し訳なかったな」という感じの弱々しい声音でお話されていて、ただお礼だけ言いたかっただけなのにわざわざ電話してかえって悪かったかなとこちらが恐縮してしまったけれど、せっかく対応してくださった司法書士の先生に何の連絡もしないのは社会人としてどうなの?と思ったので「えいやっ!」と勇気を振り絞って電話した。

電話を切ってからもなんかモヤモヤした部分は残ったが、1時間後に「契約当初の照会書がありますので今後何かの役に立つかもしれないのでメールしますね」と仰ってくれた。なんと有り難いことか!と嬉しくなった。勇気を出して電話して良かったと思った。いつか電話しよう、いやわざわざ電話しなくてもいいかな、でも何も言わないのはマナーがなってないよな・・・などと何日もうじうじストレスを抱えるところだったが、すぐさま電話をするのがやはり一番ストレスが少なく済むと実感した出来事だった。

ここ10年くらいのことか?

私が気が付いたのはたぶんそれくらいの頃だったと思うが、地下鉄などに乗っていてロングシートの向かい側に座っている人が全員スニーカーを履いている!ってことがよくあって、他の人たちの足元を見ても、あの人も、この人も、いや~みんなスニーカーじゃん!ってことが少なくなかった記憶がある。

今ではちゃんとした会社員の男性は革靴を履いているが、それ以外は会社員でも女性はスニーカーだし、学生はもちろん、主婦も老人もみんなどこへ行くにもスニーカーだ。

かなりの高齢女性だとスニーカーではなくふんわりゆったりデザインのウォーキングシューズということもある。

それにしてもどうしてこんなに日本人はスニーカーばかり履くようになってしまったのだろう?世界的にもそうなのかどうかは知らないが、昔のようなハイヒールのパンプスやカチッとしたローファーなどを履いている人はほぼ見かけない。

私はずっとヒールの低い(もしくはヒール無しの)モカシンとかスリッポンみたいな履きやすく歩きやすく脱ぎやすい靴ばかり履いてきた。いわゆるスニーカーなど選択肢に考えたこともなかった。あれはファッションにこだわりのない無頓着な人が履くものと思い込んでいた。あるいはめちゃくちゃ高い値段のスニーカーを履くことに優越感を覚えるパリピだけが履くものと思っていた。

が、ここ数年、日常的に健康維持のためにたくさん歩くことを意識しているので、一日1万歩歩いても傷まない靴をと考え始めてついに2年前スニーカーを買ってしまった。

ところが履いてみてわかったが、もちろんそれは私が買ったスニーカーが単にまだ私の足に合っていないだけのことだったのかもしれないが、2時間くらい真剣に歩いたら足が痛くなってしまってスニーカーを履いて出かけたことを後悔することが何度もあった。最寄りのイオンを往復するだけの1時間くらいでも、なんか足が重たくなったような歩きにくさがあって、帰宅後とても足が疲れていることがあった。

それでもうあまりスニーカーを履いて出かけることをしなくなってしまい、結局スニーカーが足にまだ馴染んでいないので、今たとえば2~3時間のウォーキングに出かけたらどうなるのかはわからない。履かなければ慣れないし、履いて後悔もしたくないし・・・。

世の中の人々はスニーカーが一番歩きやすいのだろうか?そしてそれは自分の服装にも合っていると信じているのだろうか?

私が初めて買ったスニーカーは自分ではイケてると思って選んだのだが、どこか大阪のおばちゃん風味で姉たちには評判がよくなかった。見た目も、履いた感じもよくないってどういうことなのだと今さらながら思う。