岐阜市街、各務原市(2019.12.31) | 旅の虫速報

岐阜市街、各務原市(2019.12.31)

murabie@岐阜市です。本年もよろしくお願いいたします。
例によって昨日、大晦日の旅の報告です。

今日はまた雨が上がって、路面こそ濡れていたものの空には大きく青空が
広がり壮快な気分でのスタートとなりました。少なくとも朝の時点では
冷え込みも厳しくなかったような気がします。

岐阜にいられるのもほぼ今日が最後だったのですが、まだ柳ヶ瀬とかに
行ってなかったことを思い出し、急遽予定の最初に組み込んで、
JRの駅をスルーし、きんきらきんの織田信長像の方の金華橋通りを
進むことにしました。
道幅はとても広く、とても大きなビルの集まるオフィス街と言った感じの街
ですが、大晦日でしかもまだ朝早いせいか人通りも少なくひっそりと
静まり返る感じでした。
ビルに入居する繊維織物問屋街も、入口からシャッターを下ろしています。

賑やかそうだけどひっそりと静まり返る寂しい街を、文化センターを経由し
高島屋の建物に向かってまっすぐ進むと、神社の杜が広がる手前に、レンガ
敷きの洋風に綺麗に整備された金(こがね)公園という小公園が
広がりました。園地の片隅には、フェンスで囲まれているけれど中に主は
いない、短くレールの敷かれた空間がありました。もしかしたら駅前に
今いる丸窓電車が少し前まではここにいたのかも知れません。
隣の鬱蒼とした杜に包まれる領域が金神社となるのですが、大鳥居が
今まで見たことのないきんきらきんでした。神殿は丹の色で塗られ、
参道には狛ぎつねもいたので、稲荷神社の系統なのかもしれません。

ここから少し北上し、大通りを横断すれば柳ヶ瀬の領域となります。
大きめの通りからちょっとした路地に至るまでアーケード街となる感じ
でしたが、入り込んだ道は比較的広い劇場通りという道でした。
空いている店はまだ殆どなかったけれど、多分朝早かっただけなんだと
感じられる綺麗さは感じられました。高島屋の前だけは道幅も広くなり、
赤い絨毯まで敷かれていたりしました。

高島屋からもう一区画北に進んだ所で東西方向に交差する通りが
柳ヶ瀬本通りというメインストリート的な存在であるようでした。
外海の大きな通りに囲まれている分には、専門店や飲食店の集まる
ちょっとした商店街といって済まされるのでしょうが、
金華橋通りを渡って西側へ歩みを進めると、ちょっと様相が変わってきます。
アーケード街はアーケード街なんだけど、キャバクラとかフィリピンパブとか
ヌード劇場とかいわゆる大人のための店、そして案外勢力を示している
無料案内所とか、そういった類がアーケード街に並ぶというのも、他では
あんまり聞いたことがないような気がします。
交差する路地にもそういう雰囲気があって、まあそれはどこにでもある
ものだとは思うのですが、ちょっと珍しい風景であるように感じられました。

柳ヶ瀬本通りを戻って東へ進み、バスでも通った長良橋通りを南下しました。
バスからも見られたとおりの文句なく賑やかな通りでした。
徹明町というバス停のある大きな交差点にはドンキが建っていますが、
10年ちょい前まで路面電車が通っていたはずの道、でもそれを想像させる
ものは見つけられないままでした。
南へ下ればバスからも見られた円徳寺というとりあえずお堂はとても大きい
お寺が道沿いに現れます。楽市楽座の発祥の地とかいう史跡案内も
見つけられます。

とりあえず名鉄岐阜駅に戻ってきて、明日使う予定のもしかしたら元が
取れないかもしれないフリー切符を奮発して購入したのち、
今度は名鉄各務原(かかみがはら)線の田神駅へ向かって一駅間を散策して
いくことにしました。
大通りを西に外れれば素朴な街並になり、溝旗公園という、広場に
遊具と樹木が配された小さい公園が現れ、まだ紅葉が残る樹木を見つけたり
しながら奥へ進むと銅ぶきの大きな神殿が大きな青空のも都に静かに佇む
溝旗神社の神域となりました。
そしてさらに西へ進めば、小さくなった建物越しに、小さく見える岐阜城を
ちょこんと頂上に載せる金華山の巨大な丘陵が、いくつかのの丘陵を従えて
快晴の青空の元堂々と美しく聳えるようになりました。
道沿いには大きな工場も現れるようになり、そして引き続き現れる素朴な
市街地の中に、田神駅が現れました。

田神駅はまだ路面電車があった頃、当時の新岐阜駅の電停ではなく鉄道の
駅の方に乗り入れる線が鉄道線と合流していた駅ということを知識として
知っていて、その遺構を見つけられればと思っていたわけです。
ネット情報も参考しながら、あの空地が低床ホームの跡か、線路が分岐
していた跡か、なんていう見当をつけたりしたわけですが、分岐した
路面電車がそのあとたどったルートはちょっとわかりにくく、
一応次の市ノ坪駅があったというパチンコ屋のところまで行ってみて
あそこだけフェンスが新しいから鉄道がなくなってから作られたのかな、
なんて、水路に立つフェンスを見て想像を巡らせることしか
できませんでした。

田神駅から名鉄各務原線の犬山行きの列車に乗り東へ向かいました。
岐阜の街の勢いはすぐに弱まり、基本的には民家をわずかに含むのどかな
田園が、岐阜城を載せる金華山などの山並みに囲まれる風景となりますが、
駅の周辺だけは民家が高密度で現れる感じとなります。
各務原市の市街ということになる新那加以降では基本的には田園は劣勢と
なり、小さい民家の集まる住宅地が主になりますが、特に三柿野辺りでは
いかつい川崎重工の大きな工場に寄り添われる異質の車窓が展開します。
そして、そういうシステムだということを初めて知ったのですが、
毎時4本走っているうちの2本は新那加駅から急行に変わるということで、
一部の駅を通過してしまいます。乗った時点では普通列車という案内
だったので、降りようと思っていた苧ヶ瀬駅に停まらない列車であると
いうことを乗ってから知らされ、仕方なく名電各務原駅で次の列車を
待つことになったわけです。

苧ヶ瀬(おがせ)駅に着くと、住宅街の背後にはだいぶ大きい、
筑波山のように峰を二つ持つ丘が壁のように聳え立ちます。
2つの峰のうち左側の一つはごつごつと、岩盤が露呈している荒々しい
様相ですが、基本的には所々紅葉の名残を残す森林に覆われています。
周囲の道も基本的には素朴な住宅街でしたが、目的のおがせ池へ向かう
ために道を北上すると、左手のやはり丘陵を背景とする風景に
まだ見を残した柿の木が佇み、のどかな田園風景を作ります。
程なく郷戸池という小さい四角い溜池が、双丘の大きな山の足元に
現れます。水量のあまり多くない池でしたが、石垣で囲まれた島のような
所に樹木が密生して森ができているのを見ることができます。
そして丘に囲まれた素朴な道を北上すれば、すぐにおがせ池へと
たどり着きます。

おがせ池は対岸の双丘の丘までの間に大きく広がる農業用の溜池との
ことですが、周回するように遊歩道が巡らされ、南東端には小さい広場の
園地も設けられています。
辺りには北風が強く吹くようになり、空も快晴というわけにはいかず
黒い大きな雲も広がるようになり、天気が崩れた翌日は晴れていても
強風とにわか雨に襲われるという、この旅の最初の方のパターンと
似ていることに気がつきました。
雨は降ってきていませんが風は冷たく、水面にも細かい波がたくさん
立っている状態です。

巡らされている遊歩道を反時計回りに巡ることにしました。
池の南西端から入ったので、まずおがせ公園という芝生の広場へ
進みます。対岸だった大きな丘が壁のように立ちますが、岸辺には
他の所でも見たような木造の焦げ茶色の灯台が穏やかに立ち尽くします。
そして、大きな丘の中腹まで広がる住宅街の足元ともなる遊歩道をのんびり
歩けば、対岸の西側も街並の背後に丘陵が控え、場所によっては一部を
切り刻まれたいような姿を示す丘陵の姿も見ることができます。集落の
中には苧ヶ瀬神社という小さい素朴なお社も静かに佇みます。

池の北東端には八大白龍大神というお社が建ちます。
お社自体は小さい素朴なものですが、岸辺がテラスのようになって水面を
大きく見渡すことができ、そして水の中には大きな鯉がたくさん
住んでいて、家族連れが餌付けをすることもできるようになっていて、
子供が麩やえびせんを投げるとたくさんの大きな鯉たちが脇目も振らずに
襲いかかるような激しい風景が展開するのを、一緒に眺めさせて
もらいました。

道は池の西岸へと回り込み、双丘の丘が大きく聳える山懐に抱かれるように
麓から少し高い所にまで住宅地が広がる様子を眺めて引き続き散策を
続けていきます。
すぐ先には八大龍王総本殿という瓦屋根の真っ赤なお社が建ち、初詣の
準備に取り掛かっているところでした。沖合に石垣で囲まれた島のような
ものが設けられ、黄色い祠も佇んでいます。

ここから岸辺には芝生の広場が広がるようになり、その周辺には比較的
古めかしい木造の民家も多く集まって、素朴な風景を作りますが、
園地が途切れると岸辺にも商店が現れ、最後は遊歩道という感じではない
普通の道となりました。それでも駐車場が現れれば穏やかな水面を広々と
足を止めて眺めることもでき、単なる溜池では済まされない、憩いの場と
なっている大きな池の姿を存分に楽しんで出発点に戻ることができました。

おがせ池をあとにして郷戸池の所まで戻り、苧ヶ瀬駅ではなく隣の各務ヶ原
駅に戻るために、丘陵の足元を回り込むような道へと歩みを進めると、
街並は大通り沿いだけに広がると見え、この道沿いには畑が広大に
広がって、住宅街と丘陵に囲まれるのどかな風景が大きく広がりました。
風が強くて歩きにくかったのですが、各務ヶ原駅が近づくと、手前の丘陵に
隠れて見えなかった、切り刻まれて直線的な模様と大きな色の違う領域を
示す小山の姿も大きく眺めることができるようになりました。

畑を囲む住宅地の中に分け入れば各務ヶ原駅の姿は見られましたが、
駅の入口に入るには、大通りへ迂回する必要がありました。
国道21号に出れば、まさに車にとっての幹線道路といった感じで、
道幅もものすごく広く、交通量もものすごく多く、そして道沿いには
郊外型の巨大な飲食店などが建ち並びますが、さっきの道みたいに
のどかな風景をのんびり楽しむというわけには行かない、どことなく
落ち着かない風景となってしまいます。

JRの駅は各務ヶ原(かがみがはら)、一方ここから大通りとは
直行して伸びはじめる駅前通の店並に隠れるように小さく存在する
名鉄の駅は名電各務原(かかみがはら)と、表記も読み方も異なって
いたりします。
素朴な雰囲気であまり賑やか過ぎない静かな道が暫く伸びていました。

JRの駅に暫くしてやってきた岐阜行きの列車に乗り込んで、大きな建物の
集まる街を抜けると、丘陵に囲まれるのどかな田園の風景が広大に広がる
風景がつかの間車窓に大きく広がりましたが、すぐに川重の大きな厳つい
工場達が車窓を埋め尽くすようになり、次の蘇原駅へと進んでいきます。

ここに来たのは昨日に続いてベトコンラーメンが食えそうなお店がある
という情報を得たからだったので、とりあえずその店を目指して、無人駅
だけれど新しくて綺麗な駅舎をあとにし、駅前通りを北上しました。
道の左手には普通の住宅街、右手には工場が広がる道を、正面の大きな
丘陵に向かうように歩き進むと、東西方向の大通りと交差し、そのまま西へ
歩みを進めて目的地を目指しましたが、情報通りの派手な外観の店は
見つけられましたが、次の営業日は新年の8日だという、予想通りの展開と
なりました。

そのまま、さっきの道と平行な南北方向の道を南下していきました。
これと行って特徴のない、やや広めだけれど交通量も少ない静かな
道を南下し、JR、次いで名鉄の線路を横断すると、とても交通量の多い
国道21号と交差します。
その先には自衛隊の感謝であるらしい大きな集合住宅が集まり、その
隙間に管制塔らしき建物も除かれましたが、飛行場の姿を大きく眺める
ことはこのあたりではできなさそうでした。
国道沿いも空港側には壁が並び、中の大きな建物は見られるけれど、
飛行場の姿をうかがうことはできません。
反対側にだけ大きな飲食店や民家が現れますが、飲食店も今日から休業に
入ってしまっているようでした。

国道を東へ進むと、程なく道沿いは川崎重工の、巨大で様々な形の建造物が
つくる厳つい風景へと変わっていきます。
風は強いままでしたが方角によっては空の青さも復活し、広大な青空の元に
厳つい工場群の姿が明るく広がる風景が展開するようになります。
自衛隊の施設だった国道の右手も川崎重工に変わり、そして国道は名鉄の
線路を跨ぐために高架へ上っていきます。
歩道も工場が入り組むような風景の中で、みかきのこ線橋という、
ひらがなで書かれると可愛らしい名前となる歩道橋となって、
先に高台に上った車道の高さに追いついていき、広大な空の元に
工場や、下る方向には削られた山を背景とする街並、そして建物の間に
はまり込むような名鉄の三柿野駅の姿も大きく捕らえることができました。

三柿野駅をあとに、工場群の間の細い道を北上していくと、道幅が狭いので
少し薄ぐらい感じもしてしまいましたが、JRの線路沿いに出て西の方へ
進むようになると、広大な青空の元に工場群のいろいろな形の建物が
明るく映し出される風景が展開するようになり、工場群に囲まれて広大な
構内を広げるJRの蘇原駅へと戻っていくことができました。

蘇原駅から高山線の列車で一駅西へ向かい、素朴な住宅街の中に大きな
マンションなどが混ざり、桜堤の川を越えて学校の敷地をかすめていって
次の那加駅に降り立ちました。

那加駅も綺麗な駅舎を持つ無人駅でしたが、駅前広場にあたる所を
名鉄の線路が横切っていくような作りになっていました。
駅からまっすぐ伸びる大通りには民家と商店の入り混じる普通の街が
続き、年末で賑わう小さいスーパーなんかもあって、こっちのほうが
各務原市の中心駅に相応しい雰囲気であるような気もしてきます。
東西方向の大通りに交差すると、道を大きなアーチ状の構造物が跨ぎ、
なか21モールという名前を示しますが、賑やかな商店街という感じでは
なく、郵便局など大きな建物が、民家と入り混じるように街道を埋め尽くす
素朴な街並でした。
街の出口にも同じアーチが建ち、その先を南北方向に流れる新境川を
新しい石造りのような立派な橋で渡れば、裸になった桜並木は北の方へ
続いていき、南側の川が流れる方向は素朴な家並みに囲まれ、空が広く
開ける風景となっていました。

そしてその先に、各務原市民公園という大きな園地が広がっていました。
中心部分に広大な芝生の広場が広がり、強い北風で寒さを感じる気温と
なりましたが、たくさんの家族連れが思い思いに遊んでいる微笑ましい
光景が広がり、主に園地の周辺に木々もたくさん植えられ、のんびりと
散策できるような道が通されています。もともと岐阜大学農学部の
敷地だったところに新たに現代的に設計され開設された公園であるとのこと。
広い園地の北西端に名鉄の市民公園前駅がひっそりと佇んでいます。
そして園地の北辺に人工的な大きい姿を示す図書館を見て、北東端を
目指すと、いろいろなパターンで水を吹き出す噴水の広場もあって、
ここもたくさんの人が集まるスポットとなっていました。

ここから名鉄、次いでJRの踏切を越えると、鬱蒼とした森のような
薄暗い雰囲気となり、その先には似たような都市公園である学びの森という
園地が広がっていました。
公園の南端を東西に貫くメインストリートには、裸になってしまった
イチョウの木が街路樹のように規則正しく並びますが、冬ソナストリート
と呼ばれているらしく、冬の間は夜は電飾されるらしいです。
そしてその北側には、こちらも広大な芝生の園地に家族連れや
若者の集団が思い思いに楽しく過ごす風景が展開しました。
さっきのの市民公園と違い、園内に起伏があり、水路も巡らされて、より
立体感を感じられる園地であるように感じられます。
園地の北西側は大きく削られた谷のようになって、街を囲む丘陵の姿が
穏やかに広がります。園地の中に密生する竹林はこのの谷の斜面にも
広がります。そして園地の南側に池が設けられ、ここを源に、
広場を貫いたり遊歩道に添ったりして続く細い水路の水が、谷底で
おそらくもう一度池になってもう一つの水の風景を作っているようでした。
園地の東側には日だまりの丘という高い所も作られていて、さっきの
市民公園とあわせて訪れることで、いろいろなのどかな風景を楽しむことの
できる所となっていました。

学びの森の東南端には各務原市役所前駅という、名鉄の小駅としては
画一的な形ではない立派な構えの駅が立ちます。このあたり駅の間隔が
異様に短く連続するような感じです。
近辺には名前の通りの巨大な建物が佇み、また大きなスーパーや、
なんかすればコンビニなんかもあるロードサイドの雰囲気となりますが、
夜に賑やかになる大人の街の風景も垣間見られる道だったりします。

そして、飛行場通りと名付けられたこの通りをさらに南下していけば、
ようやく各務原飛行場の姿を見ることができました。
とは言ってもフェンスに囲まれ、その外側に水路が通っていたりもするので、
なかなか滑走路の姿を大きく見るというわけには行かないのが残念でした。
広大な敷地は黄色くなった草で一面覆われ、その中に真っ黒い舗装の
滑走路が存在しているようでした。そんな敷地が青空の元、遠くの山並みを
背景として広がり、フェンスの向こうには遠くの街の姿も垣間見られます。
南側の片隅にはおそらく展示用の飛行機が集められている領域も
あるようでした。

日が低くなってきて、北風の勢いも弱まらず寒さを強く感じるように
なった中、各務原市役所前駅に戻って名鉄の列車に乗り、
今度は那加の街並の西側にある新加納駅に降り立ちました。
駅前に土壁で囲まれたポケットパークがあり、蛙の像の乗る道標が立ち、
壁には旧中山道の案内図が示されます。
いわく、鵜沼宿と加納宿の間が間隔が長かったので、ここが立場という
小休所となり、間の宿新加納と呼ばれるようになったとのことで、
鉄道の駅名でよくある加納駅に対して新加納駅ということとは違い、
鉄道なんかができる遥か前から加納宿に対して新加納間の宿という
ことだったのかと、謎が一つ解けたような感じがしました。

刻一刻と辺りが薄暗くなっていく中、旧中山道の散策へと出ました。
駅の付近はどこにでもある街並といった感じでしたが、旧中山道の道と
合流すると、その近くが高札場のあとで、木造の壁のお屋敷のような
建物が道を固めています。
古いお寺への道標に従うと重厚な瓦屋根の建物がこれまた重厚な土壁に
囲まれているところがあり、これも古いお寺かと思ったら実は現役の
病院だったりするちょっと驚きの風景もありました。
道の先には徳川家が宿として使った善休寺が瓦屋根の重厚な境内を示し
初詣の準備としてか、カラフルな旗と、通路沿いに短い竹が並べられた
状態になっていました。
次の少林寺との間には説明にはなかった稲荷神社の祠が立ちますが、
これもまた古めかしい重厚な木造瓦屋根を示します。
隣接する土地は空地となっていて、雲に混じるような夕暮れ空も広がって
いましたが、旗本坪内陣屋というお屋敷のような史跡が工事中でした。
そして少林寺の境内には、大きな観音像の周りに小さい石像がたくさん
佇んでいる風景が静かに広がりました。

旧中山道の本通りに戻ると、ここにもまた、古めかしい瓦屋根の建物が
並ぶいい雰囲気の道を見つけることができました。
近くの交差点には一里塚あとがありましたが、大きめな蛙の像も並んで
立っていたりします。その、この街に蛙の像が多い理由となっているのが、
街道に口を開く日吉神社でした。
どんどん暗くなっていく参道を進むと、初詣の準備が完了したはずが、
しめ縄のかかる竹が倒れて通せんぼになってしまっている奥に
大きくないけれど瓦屋根で重厚で立派な神殿が佇みます。
昔からこのあたりの人たちに親しまれていた神社で、かつては池に
たくさんの蛙がいて、伝承もたくさんあり、げえろまつりなるものも
行われるなど蛙との縁の深い神社ということでした。公共施設と一体化
している境内地の片隅には、水こそないものの瓢箪池が復元されていて、
小さい蛙の像がたくさん、今でも遊んでいるかのように置かれて
いたのでした。

あとはだいぶ夜の雰囲気に変わってしまった街道を、那加駅へ向かって
歩いて戻るだけになりました。旧中山道も今の大通りと一致する
部分には、特に味わい深い街並が洗われることもなく、ただ時折現れる、
巨大な幟で派手に飾り付けられるけれど実態は小さい祠のみみたいな
ものだけが雰囲気を伝える道となっていました。
立ち寄った名鉄の新那加駅は実は地下道に設けられた駅で、JR駅方面にも
出口が設けられていましたが、踏切を渡らずに済むだけで、少し離れた
駐車場の奥のような所に口を開いていたので、知らない人はJR側からは
入口を見つけられないのではないかと心配になりました。

こうしてすっかり夜となった、各務原市の真の中心駅の那加駅から
高山線に乗って岐阜へと戻って行ったのでした。
宿に戻る前に立ち寄った駅構内のスーパーで各務原キムチを見つけ、
若干高めだったけれど奮発し、部屋での晩酌のあてにしてみました。
なんというかいつものキムチよりもマイルドな感じでおいしかったです。