大垣、旧中山道赤坂宿、北方真桑(2019.12.27) | 旅の虫速報

大垣、旧中山道赤坂宿、北方真桑(2019.12.27)

murabie@岐阜市です。

今日は昨日と違って、空には青空が大きく広がりました。
今日はJR経由で東海道線を下り、住宅街だけでなく大きな工場までもが
雑多に車窓に現れつつ、石灰岩を採掘したのか一部切り刻まれた形の
山を含む山並みが背景となるのどかな田園へ進むと、なんとそこには大きな
虹の姿が現れてくれたのです。

空は晴れていましたが今日は北風が強くて肌寒さも感じられました。
この街を目的地として訪れるのは、もしかしたら高校時代以来かもしれない
偉い久しぶりだったわけですが、今日はじっくりとこの街を楽しもうと
考えていました。
ここは水の都であるらしいことは知っていたので、町内を巡る水路に沿って
散策することにして、所々古めかしい建物も見られる駅近くの裏通りを抜け、
大垣城の外堀であったらしい水門川がJRの線路をくぐってくる所から
散策を始めることにしました。

川の周りにも味わいのある古い建物が姿を見せ、川に沿う遊歩道にも噴水が
作られたり植物で装飾されたり、そしてミニ奥の細道ということで、芭蕉の
句碑が点在していたりして、のんびりと散策を楽しむことのできる道に
なっていました。
東西方向の大通りと交差するところの近くにこんにゃく屋が掘り当てた
らしい掘り抜き井戸発祥の地碑が佇みますが、遊歩道はここからは素朴な
住宅街の雰囲気となり、いくつかの綺麗に作られた橋が架かります。
程なく川沿いの神社の境内には栗屋公園の湧水という自噴井が、庭園の
ように楓などが植えられて道が周回するように掘り込まれた底の所で
こんこんと湧きだし、周囲の木々の間を縫う小さい水路の源となっている
綺麗な公園となっていました。

川沿いに南下していた道が次の大通りと交差するとき、川の流れには
水門が建ち、そしてかなり幅の広い道路の対岸まで地下を流れて、
小公園風に整備された所へと進んでいました。ここは大垣城の東総門の
跡地だといい、ここからが本格的に外堀として機能していた領域と
なるようでした。園地の片隅には赤い千本鳥居が並ぶ貴船神社という
小さいお社が佇み、園地も水に親しめる円形のステージのような
広場のようになっていました。

ここから先は水門川の流れは東西方向になり、きわめて道幅の広い大通りに
沿って堀割のような姿で流れ、遊歩道もその堀割に寄り添って、街路樹や
藤棚によって装飾される美しい道となります。
タイルで舗装される美しい商店街となる中央通りを横切ってさらに歩みを
進めると程なく、駅からまっすぐ南下してきたきわめて道幅の広い大通りと
交差します。

交差点は新大橋という綺麗に作られた橋となります。駅前の自転車屋さんに
掲示されていた、あるアニメの聖地となっている、主人公が告白した
ところとか何とかいうらしいですが、大きく広がった明るい青空のもと、
商店街とともに明るい雰囲気を作ります。しかし交差する大通りの歩道に
設けられた屋根の上に覗く建物は、なんというかすすけたコンクリート
ばかりが並ぶ、昭和レトロ的風情を色濃く示しているものばかりで。

水門川沿いの遊歩道を引き続き西へ進むと、程なく北からやってきた別の
流れとの合流点となりましたが、水門川はそのまま、官庁街のように大きい
建物が集まるようになった街の中を進んでいきます。バラエティーに富む
形の橋が水路を跨いでいきますが、龍の口橋とか武者溜橋とか、いかにも
城跡といった感じの名前のつけられた橋が架かります。武者溜橋は古い橋が
並行して架けられてその上が花壇となっていて、枯れかけてあまり綺麗な姿
とは言えませんがコスモスによって装飾されていました。

程なく水路が南へ向かって屈曲するポイントに差し掛かり、一応橋は
架かっていましたが、屈曲後すぐにかかる橋との間の領域すべてが
広場のように整備されていて、きわめて広々とした交差点の風景が
広がります。
その地点の外側には大きな鳥居の立つ八幡神社の神域が広がり、
大きくて綺麗なお社がいくつも建ったり、綺麗な松や夫婦イチョウの木が
立っていたり、小さい犬の親子の像が立っていたりと綺麗な境内になって
いたのですが、多くの参拝客が目当てとするのが、入口の鳥居のすぐ近くに
こんこんと湧き出す大垣の清水であるようでした。
櫓に囲われた内部が少し掘り込まれ、その底で大量の清水がこんこんと自噴
していたわけですが、たくさんの人が車で乗りつけ、ペットボトルならまだ
かわいいもので、たくさんのタンクを持ち込み、人によっては電動ポンプを
自慢げに利用していたりと、現象自体は美しいし水も雑味がなくておいしい
ものなんだけどちょっと風景がなあ、って感じになっていたり……

南下するようになった水門川に沿って、堀割のような流れの対岸に素朴な
民家が石垣の上に乗るように佇む風景を見て進んでいきます。
やがて川の外側には、やはりあるアニメの聖地になっているらしい、確かに
美しいたたずまいを見せる興文小学校が現れ、そして堀の内側には
真新しい市役所の巨大な庁舎が立ちはだかるようになっていきました。
大通りを横断し、巨大な市役所の新庁舎を対岸に見て、堀割に沿う道を
川が屈曲すればそれに合わせるようにして南下し、やはり聖地らしい
桧で作られた升を専門に扱う小さい店で桧の香を満喫したりしました。

そして次の大通りを横断する所には、また聖地となっているらしい
白い木造瓦屋根のチーズケーキ屋の建物が建って、西の方からの流れと
合流して屈曲する水郷のような雰囲気の所へと進んでいきます。
合流地点には美登鯉橋という橋が架かりますが、このあたり大きな鯉が
川の中に大量に棲息しているみたいで、地元の親子連れがパンをばらまくと
黒くて大きい鯉が寄ってたかって食い散らかすという風景が繰り広げられて
いました。
そして屈曲して東へ少し進む水門川を眺めれば、正面には虹の橋という
らしい吊橋が架かり、左手の流れに面する大きな建物に付随する赤い大きな
時計台のような建物が建って、その下の斜面から細い水が流れ下り、岸辺に
立ち尽くす柳、強い北風に煽られ、右手には何かしらの公共施設から、
遊歩道を跨ぐようにして大量の水が滝のように流れ落ちているという、
水の豊かさをこれでもかといったばかりに示している風景が
作られていました。

そしてさらに屈曲して南下するようになった水門川のほとりはさらに
緑地や街路樹で穏やかに装飾されるようになり、奥の細道むすびの地として
整備されている領域へと進んでいきます。
水路の外側には大きな駐車場が広がり、そこに接するように記念館が
設けられていましたが、藁葺き屋根でありながら壁は赤く塗られいろいろ
装飾がされている無何有荘というらしい史跡が建ち、そしてそのとなりには
むすびの泉という、やはり地元の人たちが汲みにくるくらいに有名な泉が
完全に人工的に平面的に建築された領域の中にわきだしていたりもしました。

水路には小舟が係留され、そして樹木で装飾された岸辺には、芭蕉と
東因というお付きの人の像が建ち、古めかしい建物の立つ対岸へと
回り込めば、住吉灯台という木造の燈籠の立つ足元が船町港跡ということに
なっているようで、涌き水を出発点とする水路沿いに植物が繁っているように
綺麗な園地として整備されているところでした。

綺麗に整備されている川沿いの遊歩道を少しだけ戻ると、大垣城の領域を
囲むように分岐する牛屋川のきわめて細い流れとの分岐点が現れ、
その場所が大垣城の西総門跡ということになっているようでした。
ここからは城郭内を通っていたという旧美濃路をたどることにしましたが、
広大な道幅の道に吸収されるばかりのような感じだったので、
あえて街道からははずれ、東西方向の川沿いの桜並木の道をのんびり
散策していきました。
川沿いの道には、対岸の民家からの鉄製の橋が多く架かるようになって、
大垣駅から南下してくる大通りへと交差していきます。

そしてさらに東の方へ進む道をたどると、割と立派に整備された本陣跡や
跡を引き継いでいる飲食店?が古めかしい建物の壁面に様々な説明の看板を
掲示している問屋場跡といった史跡が現れてくるのですが、その周辺に広がる
街道沿いの風景はあくまで昭和レトロ的な雰囲気だったりもします。
小さい商店の店先に立派な道標が佇んでいたりもする不思議な風景にも
出くわしましたが、旧美濃路は本町通の商店街に吸収され、綺麗では
あるのだけれど昭和レトロ的な風情を色濃く残す、ブロックで舗装された
道沿いの綺麗に装飾された商店街の間を伸びていきました。

こうして大垣城の外堀だったところをほぼ一周して、さっき通った東総門の
辺りに戻ってこれたので、今度はその中心となる大垣城の方へと歩みを
進めてみました。
昭和レトロ的なすすけたコンクリートの建物の集まる路地を伝って、
駅からまっすぐ南下してくる大通りと交差し、いったん商店街の南端に
店とともにならぶ大手いこ井の泉というのを、ビルに囲まれた中に
見つけました。
ここも少し低く掘り込まれた所から水が湧き、その周辺がちょっとした
庭園のように木々が植えられて美しく作られた所でした。

そして少し駅の方へ商店街を戻り、大垣城の東門から城内へ入っていきます。
石垣の上に白壁の東門の他、天守を取り囲むように白壁の櫓などが建ち、
その内部で緩やかに屈曲する石段の道の上に、昔訪れたけど休館日だった
覚えのある天守閣が美しい姿を示しています。
今日こそ入館を果たすことができ、とにかく最上階を目指したわけですが、
この間の岐阜城とは違ってテラスのようにはなっておらず、窓ガラス越しに
外の世界を見渡す形式となります。
しかも残念なことに、昔はお城が一番高い建物だったらしいのだけれど、
今はお城より高い建物が市街地に密集するようになったおかげで、
望んでいたような展望には出会えないことになってしまいました。
城の西側の公園が広がる領域の向こうが比較的建物の背が低く、
頭を白くした伊吹山を中心にして晴天のもとに山並みが美しく横たわる
風景が、唯一満足できたものとなったのでした。

天守閣をあとにして、引き続き周辺を彷徨ってみます。
天守閣の乗る領域にはごつごつした石の積まれる石垣が良く残されて
いますが、門の方は鉄門跡や埋門跡など、積まれた石垣が開かれたり
削られたりしたような形だけが南東側に残ります。
北西側には隅の櫓も含めて白い姿が復元され、外側から見れば晴天のもとに
お城の天守を引き立てるように美しい姿を作りますが、その土台となる
石垣には石灰岩も使われているようで、フズリナの化石を大量に含む石の
姿も見られました。
石垣を上って天守閣の足元の石垣も見てみると、北西端には明治時代の
洪水の水位が刻まれていたり、おあむの松というらしい細身の松がまっすぐ
伸びていたりするところもありました。

周辺に広がる大垣公園の中には例の聖地となっているらしい、いくつかの
滑り台がまとめられたような大きい遊具が佇みますが、基本的には快晴の
青空のもとに広大に青々した芝生の広場が広がり、外周が樹木に囲まれたり、
巨大な神社に守られていたりする、穏やかに散策できる綺麗な園地となって
いたのでした。

城内の散策を終えて南西の方へ歩みを進め、東西方向の大通りを横断し、
真新しい市役所の建物の足元をさらに南下し、このあたり建物も大づくりに
なって道幅も異常なまでに広い荒涼とした雰囲気を感じる町並みとなりながら
緑地公園の類も道端に姿を現したりします。
さっき歩いた、水郷のような四季の広場の領域をかすめ、チーズケーキ屋の
側からさっき見た美登鯉橋へ戻り、虹の橋や滝のトンネル等に囲まれる
豊かな水の風景をもう一度見た後、ここで西の方からまっすぐ合流してくる
やはり堀割のようになっている川に沿って西の方へ歩いていくことに
しました。

空は晴れているのだけれど時々ぱらりと雨が降るような状態だったのですが、
ここに来て、相変わらず晴天なんだけれど傘が必要なくらいの雨が降るという
不思議な空模様となっていきました。
水路のような川は岸が広めに取られ、その中には所々、本物の泉なのか
どうかはわかりませんが水のわき出す領域が作られていたりして、
周囲は住宅地に囲まれて柳などの木で装飾される綺麗な遊歩道となります。
スイトピア通りという南北方向の大通りと交差すると、テニスコートと
広大な広場だけの西公園という領域の中に流れと遊歩道は進んで、
別の水路と合流するところに児童公園が設けられ、流れは暗渠へと
吸い込まれて、西公園通りという通りとぶつかって遊歩道も終了と
なりました。

このあたりにくると住宅街といった感じではなく、広い道の周りに
大きな工場の類が集まるようになり、青空も広く広がるのだけど
荒涼とした寂しささえ感じる風景が主となっていきます。
なんとか雨がおさまった晴天のもと、そんな道に沿って北へ少し進むと、
養老鉄道の線路が駐車場越しに見られるようになってきました。
貨物の関係もあるのか構内は割と広くたくさんの線路が並び、
その周りには遠くからも見えたイビデンを初めとする大きな工場が
囲んでいます。
そんな大きい工場が集まる一角に、木造瓦屋根の古い姿を保ちつづける
ような西大垣駅が、立派な駅舎とは裏腹にひっそりとした雰囲気のなか
佇んでいました。
建物の壁も柱も、改札口のラッチも味わいのある木造で、その向こうの
工場を背景とするホームにちょうど列車が静かに入ってきた所で、
美しい鉄道の風景を見ることのできる駅だったように感じました。

西大垣駅の前で西公園通りはほぼ直角に折れ曲がる格好となり、イビデン
等の大きい建物に囲まれる広々した道が東の大垣市外の中心部へ向けて
伸びはじめるところのようにも見られます。
イビデンの門前にはちょっとした庭園が設けられ、落葉してしまった木々や
今まさに花盛りの椿か山茶花の木の間に短い遊歩道が伸びていたりして、
そんな道を楽しみつつ荒涼とした大通りを東へ進むと、さっき横断した
スイトピア通りと交差し、ここから北方向へと進路を取っていきます。

この通りも工場の集まるなかの荒涼とした雰囲気が感じられましたが、
広々したと下りの中央分離帯のように水路が通っているという面白い
構造にもなっています。
道沿いには三菱ケミカルの工場も建ちますが、その敷地内のフェンスの
向こうには千本鳥居が並び、その奥には合成稲荷となづけられている
稲荷神社の小さい社の姿も見られました。
対岸にはおそらく公共施設であるスイトピアという施設が、丸みを帯びた
大きな姿を示すようになり、東西方向の大通りと交差すると、
木戸公園というただの広場がただの木々に囲まれただけの公園が現れ、
そこからすぐの所が、2方向から大垣駅を目指して伸びる養老鉄道の
線路が分岐しはじめる地点となって、2つの踏切の間に室駅という
小さい無人駅がひっそりと佇んでいたのでした。

そして最後にスイトピアのところから大通りを東へ向かい、道幅は広く、
建物も大きい荒涼とした風景が続きながらも、だんだん素朴な店舗の姿も
見られるようになってきて、建物の間に大垣駅の大きい姿が見られるように
なると、昭和レトロ的な南北方向の商店街へと合流を果たしたのでした。

当初の目論見よりも時間をかけてしまった感じで大垣駅へ帰り着いたの
ですが、まだ他を訪れられる時間だったので、時刻表を繰りながら
いろいろ作戦を考えました。
東海道線がこの強風でダイヤ乱れを起こしているようでしたが、養老鉄道の
駅へ向かうと、揖斐方面への列車がちょうど出発するところだったので
思わず飛び乗ってしまいました。
列車は大きな建物が主となる車窓のなかを進みましたが、北大垣辺りまで
進むとだいぶ建物は小さくなって、揖斐の方の池田山や金生山、そしてその
足元に三角形に刻まれた裸の山の姿に囲まれたのどかな田園といった風情に
なっていきました。

3つめの東赤坂という、ホームだけの無人駅で下車しました。
西側は大垣市ですが、東側は神戸町になるようで、神戸町の観光案内の
看板が大きく掲示されていましたが、駅の周囲は基本的には静かな農村の
雰囲気が広がります。
ここからJRの支線の美濃赤坂駅へ向けて旧中山道が通っており、その道を
たどってみようと考えました。

旧中山道はなんということはない大通りで、広い道幅に素朴な民家が
集まりますが、道沿いだけなのか、建物の間からは田園風景がのぞき、
その奥には三角形に刻まれた山の姿も見られます。
ここに来てまた、空は晴れているのに傘が必要なくらいの雨が降り出して
しまいました。傘をさしながら、分岐した旧街道を歩んでも、しばらくは
どこにでもあるような住宅街の中といった雰囲気ばかりが続いていきます。

杭瀬川という小川と出会い、蛍が住んでいることを教えてくれる石碑を
巡って、対岸の町並みの背景にこんもりした金生山がそびえる風景を見て
杭瀬川を渡り、南北方向の大通りと交差してさらに進むと、
ここからが赤坂宿の始まりとばかり、道沿いにはいきなり古めかしい
板張りで格子戸の古い重厚な建物が現れはじめます。
雨が強くて一つ一つの建物を堪能する余裕はなかったのですが、
とりあえずしっとりした旧街道の雰囲気をようやく味わうことができた
ことを楽しみながら、西の方へ歩みを進めていきます。

程なく水路のような小川が現れ、さっきむすびの地で見たような形の
台形状の灯台がさらに背を高くしたような構造物が川沿いに建つ、
赤坂港跡という所が現れました。
巨大な石灯篭が立つ足元の川岸は綺麗に整備され、そして川岸には
赤坂港会館という、瓦屋根だけど白い洋館風の綺麗な建物も建って、
綺麗な風景を作ります。

中山道沿いの雰囲気はさらに古めかしいしっとりとしたものとなり、
古い建物ばかりが集まるかのような町並みとなっていって、紛れ込む史跡や
化石を含む岩石を扱う石材店のショーウィンドウを見つけたりしながら
降り続く天気雨の中さらに西へ進みます。
不意に貨物線の線路とも交差しましたが、その地点が赤坂本町駅跡との
ことで、言われてみれば駅舎だったっぽい廃屋のような建物の前に
駅前広場のような区画があり、廃屋の裏手に回り込めば線路沿いに
細くて短いホームまではっきりと残っていたりするところでした。

赤坂宿の本陣跡は石碑だけが残るただの広場となっていましたが、
程なくたどり着いた赤坂宿の中心部にも、古めかしい木造瓦屋根の
重厚な建物が密集して、いい雰囲気を作り出していました。
東西方向の中山道に対して南北方向からも別の街道が交差してくる
要衝ということのようでしたが、紛れ込む脇本陣跡はその当時から
そのまま旅館として機能していたりもするようでした。

交差点には何やら工場のような敷地が古い建物に囲まれるように存在する
ようで、南北方向の細い路地沿いにも高密度で古い板壁の建物が並び、
それこそタイムスリップでもしたかのように、古い町並みにどっぷりと
浸ることのできる町並みとなっていました。
そんな路地を抜けて、JRの美濃赤坂駅へとたどり着きます。むしろ
駅裏に併設される西濃鉄道の貨物駅の方が広い領地を広げる感じの
荒涼とした雰囲気を持つ駅でしたが、貨物列車は存在せず、ようやく雨が
あがって爽やかに晴れた空のもと、木造の無人駅は静かに佇んで、
自転車置場に侵食されている駅前広場からは、町並みの背景となる
金生山の姿を、青空のもとに眺めることができました。
以前ここを訪れたときは夜だったのですが、明るいときに訪れることで、
実はとても濃厚に旅情を味わうことができる町だったことを知ることが
できて、急遽訪れた甲斐があったように感じられたのでした。

ところがここから大垣に戻ろうとしたら、本線のダイヤ乱れの影響が
波及して折り返しの列車がやって来ないという事態となってしまいました。
まあ15分程度の遅れで済んだわけですが、寒空のもと列車を待つ地元の
人が案外多く見られた感じです。
辺りは夕暮れの色を示すようになり、大きな工場の集まっていた美濃赤坂
駅をあとにして進んでいくと田園の集落といった感じとなっていって、
案外たくさんの人が列車を待っていた荒尾駅を出て本線と合流すると
車窓は逆に広大な田園が広がるものとなっていきました。
そしてたくさんの通勤列車が集まる車庫の間を列車は進み、夕方の
大垣駅へと戻っていきました。

実は樽見鉄道の北方真桑という駅に今日この時間行ってみたい理由があり、
列車の遅れで乗り換えができなくならないかとやきもきしていたのですが、
大垣駅の構内を端から端まで大急ぎで移動することで、ちょうどぴったり
乗り換えをすることができました。
以前も乗ったことがある路線でしたがその時と大きく雰囲気は変わらず、
建物を疎らに含む田園風景から長良川を渡っていくと、幹と枝だけになった
富有柿の畑が広大に広がるのどかな風景の中へと進んでいきましたが、
刻一刻と辺りは薄暗くなっていきます。

そして北方真桑駅にたどり着いても駅の営業は実は年末休業に入っていて
目的を達することはできず、でもそのまま折り返すのもしゃくなので、
名鉄の廃線あとくらい探してみることにしました。
辺りはどんどん暗くなっていき道もわかりにくくなっていきましたが、
線路と直行するように揖斐線通りという道が延びていて、その道に入って
いけば、南に広がる田園か荒れ地かの向こうに不自然に築堤が横たわって
いるのを見つけることができ、近づいてみれば確かに、その上部には
バラストが残っていました。
築堤の向こうには住宅街があり、そこへ向かって坂道が上ってきて、
踏切のあとのようなものを形成しているところも見つけることができて、
なんとかここを訪れた意義を見つけることができたのでした。

あとはもう完全に夜になった中、樽見鉄道、そして本線を乗り継いで
岐阜へと帰るのみでした。