陸中大橋、上有住、釜石市街(2019.8.10) | 旅の虫速報

陸中大橋、上有住、釜石市街(2019.8.10)

murabie@釜石市です。

今日はこの旅初めての雨の旅となりました。でも熱帯の雨という感じでは
なく、昨日までと比べ気温もぐっと下がった涼しい日となりました。
今朝はいつもより1時間ほどゆっくり過ごしてから、釜石線の列車に乗って
内陸へ向かい、丘陵に囲まれて内陸へ広がる釜石の街の建物が
だんだん小さく、背景の山並みがだんだん大きくなっていって、
住宅街は田園へ、そして山道へと移り変わっていくのを眺めつつ、
今日は陸中大橋駅に降り立ちました。

オメガカーブで有名な駅で、陸中大橋を出て行った列車は数分後、駅を囲む
丘陵の中腹に再び姿を現してから遠くへ旅立っていくのを見ることが
できましたが、それが過ぎてしまえば辺りは山並みに囲まれ、
至ってひっそりと静まり返ってしまいます。
駅を挟む丘陵の足元にはホッパーと言うらしい貨物駅にありそうな
コンクリートが格子状に組まれている建造物に釜石市の観光資源の
宣伝が描かれていたり、構内も広く取られていたりして貨物駅のような
雰囲気を感じる駅になっています。
駅前の空地も広々とした感じでしたが、今駅の周辺に存在する街並は
極めて小さく、郵便局だけが真新しくてあとは昭和から時が止まったままの
ような建物が集まります。

雨の中、赤い橋を越えて奥へ進んでいくと、街並は途切れ、建物もほとんど
現れなくなり、その代わりに昔建物があったかのような、規則的に水平で
四角い区画が道路を固めるように広がり、そしてきっと昔のままの街路樹が
並んでいます。
ここは釜石の製鉄を成り立たせる鉄鉱石を採掘していた釜石鉱山の跡地、
というより鉱山を囲む街の跡地ということのようで、駅から鉱山へ向かう
このメインストリート沿いには、かつては社宅があったたり診療所があったり
購買があったりした所なのだと。

そしてかつて事務所だったという白い四角い建物がある領域へ進んでいくと
広場のような広大な敷地が、巨大な山並みに囲まれて広がり、山肌には
なんだか要塞か秘密基地のように、コンクリート製の人工的な建造物が
広がっていました。
敷地の周辺には煉瓦造りの建物やら古くて大きいきっと昔から使われていた
であろう建物が少しだけ残り、また屋外展示なのか、ここで使われていた
機関車の類が、文字通り雨ざらしになっていました。

白くて四角いコンクリート造りの旧事務所の建物に入場料を払って
入館すると、中はかつて鉱山が賑わっていた頃の事務所の雰囲気が
そのまま残されている感じで、机椅子はそのまま、当時使われていた
電話機やら文房具やらがそのまま残されていて、今はもっとコンパクトに
高性能になっている事務機器の古い姿を目にすることができてなかなか
面白いところです。
2階に上がるととなりにあった自前の小学校の教室が再現されていたり、
鉱物標本や釜石鉱山周辺の地形の立体模型が展示されていたり、
電話交換機がそのまま展示されていたり、当時使われていた様々な道具、
中には発破のための爆薬や装置なんかも含めて展示されていたり、
診療所の診察室が再現されていたりと、当時ここがどのような所
だったのかをよく知ることができる所だと思いました。

しとしとと雨の降り続く表に出てみれば、切り立つ丘陵の表面のコンクリート
製の人工建造物はこんな天気でも静かに何かを語ろうとしてか佇み続けます。
左手の丘陵は鉄鉱石の、右側は銅鉱石の選別所の建物の基礎であった
らしいです。
一応それなりに広い範囲に立ち入ることができるようにはなっていて、
傘をさしながら要塞のような山の間を歩いていたら、近くの草むらに
2頭の鹿の姿が…… 今回の旅ではやたらと野生の鹿に出くわします。
銅の選別所側に歩みを進めると、旧事務所のとなりに、自前の小中学校の
高知だったところが更地で現れます。旧事務所の展示では、この学校も、
また陸中大橋駅からここまでの間の道沿いも、最盛期はとても賑やかだった
ということを伝えています。以前松尾鉱山を訪れたときにも感じたような、
諸行無常というのか、かつて賑やかだったのに今ここには何もないみたいな、
不思議な感覚に陥ってしまいます。

一通り自由に見られる領域を巡ったところで、雨の中、社宅の跡地の緑の
ステージが道沿いに連なる昔は賑やかだったはずなんだなあといった感じの
道を陸中大橋駅へ戻っていきました。
残念ながらSL銀河の運転日であると言う情報を直前に得ていながら
その時間には間に合わなかったりしたわけですが、駅よりもさらに先へ進んで
実はここにもあった社宅跡地を見つけたり、そしてオメガカーブを越えた
列車が通る赤い鉄橋を高台に見つけたりとかもすることができました。

ここまで雨は仕切りに降り続いていたのですが、こうして駅へ戻る
タイミングでどういうわけか天気は急速に回復し、雨も止んだばかりでなく
空には晴れ間まで覗くようになってしまいました。
次に乗る列車まである程度時間があって、もともと賑やかだった社宅のあとの
領域などをもう一度散策したり、陸中大橋駅を出た列車が突入するトンネルの
上に出て駅と下界の谷の風景を見渡したり、駅から見られた少し奥にある
小さいホッパーを目の前で見ることに成功したりとかしているうちに、
次に乗る列車の時間がやって来てしまいました。

花巻行きの列車は陸中大橋駅を出ると、トンネルに入りつつ
オメガカーブを越え、駅付近の風景を下界に見てさらにトンネルに進み、
いくつかのトンネルの後仙人峠の山並みの風景を見てからさらに
長いトンネルを進んで、すっかり冷えきった車体が一瞬で水滴に覆われた
所に現れた上有住駅へと進んで行きます。

もはや天気は晴れといっていい上有住駅に降り立ち、午後はこの駅の
すぐ近くにある滝観洞(ろうかんどう)という鍾乳洞を訪れることに
しました。
青空の元に明るい緑色の高い山肌が周囲を囲む上有住駅から谷底へ下り、
受付で料金を払い、長靴とヘルメットとジャンパーを借り受け、いざ
洞窟探検へ出発します。

入口の小川に架かる風恋橋という赤い太鼓橋を渡ると、中に入らなくても
ここが発見されたきっかけでもある冷たい風を感じることができましたが、
中に入ると、この世界の厳しさを存分に感じることのできる所でした。
何より道がとても細く、屈んだりしゃがみながら歩いたりしなければ
ならないところが結構あったりするところで、複雑に折れ曲がったり
する所も多いので、実際の距離の数字の割には際奥部に達するまでの
距離が長く感じられたりします。
鍾乳石はあまり発達していない感じではありますが、それでも乳房石
みたいなちょっとふふっとなる感じのものもあったり、ウミユリの
化石が模様のように1センチ程度の大きさとなって大量に石灰岩に
紛れ込むところがあったり、洞穴サンゴという石灰岩の表面に細かい
突起が大量にできているところがあったり、ノッチという定常的な
地下水の流れによって平らな岩盤ができていたり、スコラブという
地下水の渦によって石灰岩が魚の鱗のように侵食されていたり、
また一定の水滴の落下によって石灰岩に穴がうがたれていたりと
案内に従えばいろいろな形に成長した鍾乳石を発見することもできます。

そしてやっとの思いで末端へ近づくと、女滝という岩盤の間に細い
水が勢いよく流れるところがあり、また大きく洞窟が穿たれた空間には
観音像が飾られるところがあり、そして最奥部には天の岩戸の滝と
名付けられた、やはり大きく穿たれた洞窟のとても高い所から、
何に伝わることもなく大量の細い水がただ自由落下してきてものすごい
勢いで飛沫が上がるという、地下にこんな激しいものが隠されているなんて
という驚きをもって受け入れられるものすごいものを見つけることが
できた喜びを、摂氏10度の冷たい快適な空気の中で存分に噛み締めることが
できたのでした。

道は往復するだけなので帰り道も、狭い道をなんとかこなしながら、
面白いものをいろいろもう一度楽しみながら戻っていくことができたの
ですが、下界に出ると余りの気温の差で、涼しい方の今日の空気でさえ
熱気として感じられてしまいます。
そして困ったのはカメラにも大量の結露が発生してしまったことで、
外側につくのは拭き取ればいいのだけれど、レンズの内部の分解できない
所にまで結露が生じてしまったようで、ファインダーを除いても真っ白に
なってしまったりして、復旧するまでに1時間ほどがかかってしまいました。

上有住の駅は本当に山奥といった感じで、辺りに集落のようなものは
見当たらず、ほぼすべてがこの滝観洞関係の施設ばかり、駅からここへ向かう
道をそのまま進めばすぐに行き止まりになってしまい、線路が長い
トンネルから出るところの踏切に事情はよくわからないけれど慰霊碑が立ち、
そして踏切の先には銅やら鉱山であるらしい立入禁止の領域が広がって
いるようで、背景となる山並みには石灰岩と思われる採石場が削られた山が
佇んでいました。
そして本当なら白蓮洞というもう一つの鍾乳洞があり、現在は立入禁止と
なっているのですが、駐車場の跡地まではなんとか進むことができて、
洞窟云々よりも、復活した青空の元に折り重なる緑の巨大な丘陵の中に
上有住駅がぽつんと小さく佇んでいる絵になる風景が展開する、すてきな
所を見つけることができたのでした。

釜石へ戻る列車は少し奥れてやってきて、しかも混雑した状態で、
車掌も乗務する状態でやってきました。
仙人峠の長いトンネルを抜けて釜石市に入ると、どんなに小さな駅でも
必ず大きな荷物を転がす人が下車していって、帰省ラッシュに差し掛かって
いるということを強く感じたのでした。

釜石に戻ったのもいつもより少し早めになったので、最後に釜石の市街を
散策していきました。
晴れ間も覗いてはいたのに釜石に戻るとまたどんよりと曇り空に
なってしまいましたが、気温は涼しいままでいてくれて歩きやすかったです。
丘陵に囲まれた平地に高密度に発達する釜石の街並を、丘陵に沿うように
先日すでに訪れていた薬師公園を通過して進んでいくと、市街の中央部、
大きなホテルなども集まるところの近くの山沿いに、石応禅寺という
石造りのトンネルのような立派な山門を持つお寺が佇み、囲む斜面すべてが
その寺の墓地になっているという凄まじい所を見つけることができました。
そのお寺の賛同の脇には青葉公園商店街という、震災の被害に遭った
お店のためのプレハブがいまだに2軒ほど生きているという所も
あったりしました。

ここから海の方へ向かう青葉通りは真ん中に遊歩道が設けられている
綺麗な通りとなっていて、大きなホテルや飲食店も集まる市街の中心部の
ようになっています。
ここから、バスでも通った大通りを北の方へ進み、市街を跨ぎ越す道路を
くぐってさらに先へ進むと、魚市場の領域へと進んでいきます。
港のいかつい建造物が集まる領域と隣接するけれど多少は優しい感じに
なった釜石の海の風景を、気軽に大きく見渡すことができ、対岸には
釜石観音が海に面する丘陵の上に佇む様子も眺めることができる、
穏やかな港となっています。
海岸には魚河岸テラスというおそらく公営の施設も設けられていました。

そしてせっかくなので帰り道は、震災当時テレビで流された釜石の映像を
振り返るように、市役所の近くを通っていきました。
高台に上っても今日は至って穏やかで平和な風景しか見られないの
だけれども、市役所や関連する公共施設の建物にはほぼ必ず、3.11の時の
津波の到達点を表す表示がされているし、ネットで検索すれば簡単に、
目の前の街が当時どういう状況だったのかを表すテレビで流された動画を
見ることができてしまいます。
例えば大槌とか鵜住居とかのように、今現在荒涼とした雰囲気になって
いないのは、やはり大きな街ですぐに新しい建物が再建できる条件に
あったからなのかなあなんて感じたりもしながら、
そんなあまり新しい感じのしない新しい街に見つけた中華料理屋で
今日も釜石ラーメンをいただいたのでした。