三保、清水(2018.4.30)
murabie@自宅です。
遅くなりましたが、4/29より出かけた1泊旅の2日目の報告です。
2日目の朝はゆっくりしようとも考えたのですが、天気予報は遅くなるほど
曇りになるといい、できるだけ富士山をきれいな姿で見るためには
早く行動開始するに越したことはないと考え、水上バスの始発よりも
早くなったので路線バスに乗って三保松原を目指すことにしました。
バスは清水の大きな街から、水上バスの乗り場に作られた日の出桟橋に
きれいに整備されたエスパルス何とかという施設を大きな建物の間に
垣間見ながら、湊橋の所で若干古い街並みの風情を感じたものでしたが、
この先はあっという間に、巨大な工場の倉庫ばかりが無機的に並ぶ領域へと
変わっていきます。
右手に初日訪れた日本平の山の姿が現れ、そちらへ向かう道と分岐して
三保半島の領域に入ると道沿いにはまた素朴な、時の流れの遅そうな風情の
街並みが続くようになり、そして前方の空にはうっすらとしてはいましたが
富士山の姿が堂々と浮かび上がるようになりました。
三保松原入り口というバス停で下車し、何でもない住宅街の中を進んでいくと、
町の中に新緑がこんもりした御穂神社の神域が現れ、その正門の大鳥居に
回り込むと神域の中にはさほど大きく無い神殿がいくつか配されて、
そして鳥居からまっすぐ続くようにして、神の道という名の、三保松原から
連続する松並木の中に車道から守られるようにしてまっすぐ伸びる遊歩道が
始まりました。
いろいろな形、いろいろな樹勢の松の木が立ち並ぶ遊歩道は住宅街に囲まれ、
家並みの向こうに静岡の街を囲む山並の姿、そして反対側には富士山の姿も
時々見ることができ、やがて海岸沿いに連なる松原と交差しそうになった
ところで、いろいろな店の並ぶ賑やかな観光地的な雰囲気が形成され、
道は砂丘を上るように、鬱蒼とした松原の中を上るようになりました。
鬱蒼とした松原の中には巨大な松の木がたくさん集まり、中には風のせいか、
複雑に幹の折れ曲がったようなものもたたずみます。その中に、
空へ飛び立とうとする鳥のように幹を斜めに伸ばし、枝も下の方へ伸ばす
羽衣の松というものも、伝説を持つ松の木としてたたずみます。
そして道は松原を抜け、広大な海に面してひたすら広大に広がる
砂浜へと続きました。
東側を見れば、松原に寄り添われる砂浜の上の青空に、中腹にそれこそ
羽衣のように筋雲を従えながら、頭を白くした富士山の姿が堂々と
浮かび上がってきたのです。
こうなるとやはり海ともコラボさせたくなって、ひたすら海岸の波打ち際
ぎりぎりまで歩みを進めてやると、また松原と砂浜と海のバランスの
変わった新しい絵画が出来上がり、さらに東の方へ、何人かの釣り人たちが
釣り糸を投擲するあたりへと足場の悪い中ずんずんと進み、海岸のカーブの
具合や砂州の高低など様々な要因でそのたびごと松原、青空、砂浜、海原の
バランスの変わる新しい背景に浮かび上がる凛々しい富士山の姿をたくさん
楽しむことができたのでした。
気がついたら園内にめぐらされた遊歩道を散策することなく、海岸沿いに
延びる堤防上の道へ直接上ることとなっていました。高台から眺め渡す
海岸線に穏やかに波を寄せる海の上には伊豆半島の山並みの姿も見られます。
そんな砂浜の海を眺めながら、せり出してくる松原と前方の空にうっすら
浮かび上がる富士山の姿をコラボさせた写真をたくさんカメラに収めながら、
穏やかな温かい気候の下のんびりと、三保半島の先端に向かって歩みを
進めていきました。
やがて松原は途切れ、そこに真っ白で細身の三保灯台が姿を現します。
陸地自体がここをひとつの突端として、ここから先の海岸線は北の陸地の方へ
伸びることになり、前方には海峡のように横たわる穏やかな青い海の上に
うっすらとした富士山の姿が浮かび上がる風景となります。
新緑の鮮やかな松原に囲まれるような格好となった海岸にはちょっとした
園地ができ、海岸沿いには小さい飛行場が存在するように地図には現されて
いましたが、遊歩道も堤防の下になり、時折堤防の上に登る階段が現れると、
荒れ地の背の高い雑草が富士山のかっこいい姿を彩るような風景が展開する
ようになっていきます。
遊歩道はいったん車道と一緒になり、うっそうとした松原の中の道の
雰囲気を体験することもできましたが、飛行場の端の所で再び海岸沿いに出て、
砂浜で釣り糸を垂れるたくさんの人たちの前に広がる青い海原に、凛々しい
富士山が浮かび上がる風景にまた出会うことができました。
道沿いに並ぶ松の木の間で、松の枝をフレームとして富士山の姿を配置して
みたりと、歩みを進めながら引き続き様々な富士山の姿をカメラに収めつつ
のんびりと歩みを進め、海側には浮桟橋のような堤防が立ち、対岸には
いかつく作られた港に巨大なタンカーが停泊し、ここからの内海はそのものが
巨大な港といった風情となっていきます。海峡のような海にはひっきりなしに
小舟から大きいフェリーまでが行きかいます。
そして富士山に対峙するようだった海岸線がついに真崎で突端を迎えます。
ここにも灯台があるはずだったのですが今は広い砂浜のみが残り、突端へ
せり出す松の枝と富士山の姿を一緒にカメラに収めて富士山としばしの別れを
告げ、いかつい建物に囲まれた海に面する砂浜へと歩みを進めていきました。
ここはたくさんの家族連れが集まって思い思いに、潮干狩りだったりウィンド
サーフィンだったり、ちょっと早いような気がするけれど海水浴だったりを
楽しんでいたりする、きわめて明るく楽しい海の風景が広がっていました。
水上バスの乗り場を確認して海岸をあとにし、背の高いワシントンヤシの
きが街路樹になる南国リゾートのような大通りを少し突端の方へ進み、
せっかくなのでこの地に構える二つの東海大学の博物館を見学することに
しました。
まずは子供向けには恐竜が展示されているとしている自然史博物館へ、
3階には恐竜の展示ということで、広い展示室をいっぱいに使う巨大な
恐竜の全身骨格の化石が展示され、こんなに巨大でも脳はたったのこれだけしか
なかったんだということが実感を伴って理解できるようになっていたり、
また卵の展示ではたくさんの赤ちゃんがふ化しているところの再現模型が
小さいこの人気をさらっていたり。2階に降りると今度は哺乳類の展示となり、
人類が滅ぼしたという主題のもとにマンモスやオオツノジカなどのまたも
巨大な全身骨格がたたずんでいたり、そして1階に下れば静岡県の自然に
関する展示となって、富士山や南アルプス、安倍川や富士川などの違いを
算出した岩石などを比較して細かく説明していたり、県内で出土した
サメの歯をはじめとする化石たちが展示されたりと、壮大な所から身近な
所まで様々な自然について学ぶことができるようになっていました。
そして子供向けには水族館ということになっている海洋科学博物館へ。
中には水族館としていろいろな海洋の生物がいろいろな形で展示され、
サンゴ礁の生き物、アマモ場で絡まって生きるタツノオトシゴや複雑な
動きを見せるヒトデ、砂から顔を出して複雑に揺らめくチンアナゴ、
たくさんの魚が泳ぐ中に優雅に巨体を揺らめかすエイやサメたちの泳ぎやら、
駿河湾の自然として黒潮に乗ってやってくるけれど冬を越すことはできない
熱帯魚やら、群れを成して泳ぐイワシやら、そしてクマノミの群れや、
イソギンチャクと一緒に泳いでいるところなど、いろいろ印象的な生物を
見ることができます。見せ方も工夫されていて、ところどころ下からのぞいたり、
球体ガラスを利用して一緒に泳いでいるかのような視点で見ることができたり。
そして単なる水族館でなく海洋博物館なんだということで、入り口にも
常に波を発生させている水槽がありましたが、海藻のことや水圧のこと、
波のことなどの物理的な内容や、海水1トンから得られる食塩の量の展示など
海洋から得られる資源、動物の動く仕組みを機械で再現したメカニマルなど、
なかなかもののついでで訪れるにはあまりにもボリュームの大きい展示で
あったように感じました。
最後に屋外展示になっている津波の再現実験を見学。水槽で海底の沈降隆起を
発生させると海岸の街を模した部分に大量の水が襲い掛かるというもの。
海というものをじっくり考察するための情報をたくさん得ることができました。
博物館を出るとお昼時となっていて、今回利用した切符についている、清水港の
飲食施設での昼食券を利用するため、いったん清水の街側へ水上バスで戻る
ことにしました。
周りの弓なりの砂浜でたくさんの人たちが海水浴を楽しんでいた無人の
三保桟橋をあとにすると、小さい船は横に長く伸びて途切れる三保の松原と
雲が少し増えながらもまだ何とかかっこいい姿を保っている富士山とを
同時に海の上に見ることのできる素敵な風景の中を気持ちよく進みます。
船はあっという間に、新緑のみずみずしいこんもりした丘の足元にたくさんの
巨大な人工建造物を配したいかつい清水の港へと近づいていきます。
乗組員の方は自然の風景だけでなく停泊する船や、周囲に立ちはだかる
建造物についても、きっと遊覧船とも引けを取らないくらい詳しく説明して
くれました。これから立ち寄る江尻の港はJR清水駅にも近いところに
なるようでしたが、冷凍マグロが大量に水揚げされることで有名な所であり、
よく見れば確かになんとか冷蔵などと書かれた、冷凍マグロを保管する
巨大な施設がたくさん沿岸を固めているようでした。中にははごろもだの
ニチレイだの見たことのあるブランドのマークが大きく描かれているものもあり、
そんないかつい風景に出迎えられて、たくさんの人が水上バスを待つ江尻桟橋
へとたどり着きました。
早速桟橋に隣接する清水魚市場河岸の市の建物へ足を踏み入れると、お昼時の
せいか大変な混雑で、行列の出来ている店もたくさんある状態でした。
それでも奥へ奥へと進み、一番奥にあった漁協直営という飾りつけも質素な
食堂に行くとすぐに入ることができていて、ゆっくりとマグロ丼などという
贅沢な昼食をいただくことができました。
この施設は飲食店の集まるまぐろ館と、海産物を売る店舗の集まるいちば館に
分かれていて、次の出航の時間までいちば館の中にも足を踏み入れてみれば、
生簀を持つ店に泳ぐ魚たちの姿を楽しみながら、鮮やかな魚の切り身が並ぶ
たくさんの店とそこに集まるたくさんの人たちによる賑わいをつかの間楽しむ
ことができたのでした。
江尻桟橋から対岸の三保へ戻る水上バスは、すぐには対岸に渡らずに、巨大な
冷凍施設や豊年の食用油の巨大な工場などを見ながら、巨大な観覧車や
レンガ風の建物など娯楽施設としても整備されている感じの日の出桟橋へ
立ち寄ってから、海原へと漕ぎ出します。対岸に立つ日本軽金属のアルミナ精製
工場であるらしい、複雑にコンベアで連結されている巨大な建物と、しばらく
前まではボーキサイトが山積みにされていたらしい広大な空き地を目指し、その
近くを航行しつつ、空はさらに曇ってきましたがまだまだなんとか見られている
富士山と、海の途中まで伸びて途切れる三保の松原のコラボの風景へ近づいて
行き、風も強くなって少し強く揺さぶられるようにはなりましたが無事に、
さっきより水と戯れる人の姿が少なくなったような気がする三保の桟橋へと
戻ってくることができました。
ヤシの木並木の通りへ出て、清水駅方面へ戻るバスに乗り込み、造船所の
集まるいかつい工業地帯から、時の流れが遅そうな素朴な街が道路沿いに
できている三保本町の方へ進んでバスを降り、街の裏手に隠れるように
広がっている三保ふれあい広場というところを訪れました。
ここは自分も本で読んだことしかない、末期はたった1往復の旅客列車が
貨客混合で走っていたという清水港線の終点の清水駅の跡地であるらしく、
確かに細長い敷地にきっと当時のままであると信じられるホームの跡と、
保存されている小さいDLとアルミナ専用のタンク車だけが、ここが鉄道施設で
あったことを物語りながらも、広場にはたくさんの桜の木が植えられ、地面は
芝生の上に大量のシロツメクサが繁茂している、この時期みずみずしい緑の
公園となっていました。
津波から非難するための鉄筋製のテラスが2つ設けられているほか、池や水路の
配された公園に、自転車用と歩行者用の道が交錯するように設けられ、
敷地は線路末端側にも少しだけ伸びて、造船工場にさえぎられるように終了
していましたが、清水側へはここから遊歩道が伸び始めていました。
このような道にありがちな、新緑の街路樹や色とりどりの花の咲く花壇が
道端や道の真ん中に配されて、楽しく歩けるようにはなっていましたが、
廃止からかなり時間がたっているためか、鉄道時代の遺構はほとんど存在しない
ように感じられました。
散策は適当に切り上げて大通りに戻り、三保の方へ引き返すように歩みを
進めても、晴れていた午前中のように道の前方に大きく富士山の姿が見られる
こともなく、曇り空になった中を歩いていくことになりました。
訪れようと思った日帰り入浴のできるホテルが、午前中に訪れた美保灯台の
近くにあるらしかったので、三保松原入り口の案内に従って素朴な住宅街へ
伸びる道へと分岐していき、朝とは違う入り口を目指すも結局は御穂神社の
大鳥居に出てしまい、神の道は避けて公営住宅の集まる辺りへ進んでいって
ようやく三保松原の園地から海岸を伸びる自転車道へと復帰することができ、
朝と同じ風景だけれど、広大な海の上に大きく浮かんでいた伊豆半島の山影
どころか、富士山の姿もほぼ見えなくなってしまった曇り空の海を眺めながら
大量の松の木のすべての枝から情報へ新芽が伸びてアンテナのような雌花も
たくさんついているのを観察しながら、ひたすら灯台へ向かって歩みを
進めました。
やっとのことでたどり着いたホテルは、灯台の近くの松原に囲まれて
うっそうとした雰囲気の中にある大きな建物でしたが、いろいろな所にちょっと
時間の流れを感じてしまうようなところでした。
それでも温泉であることは間違いなく、まだ旅の途中ではあったけれど、
ここまでの汗を流しのんびりと疲れをいやすことができました。
浴後三保本町の方へ戻る道も、津波から避難するテラスがあったり、
みかんの花が咲く木がたたずんでいたり、すぐに松原を抜けたら何でもない
住宅街だったり、その中に東海大の付属学校が大きな敷地を占めている中を
進んだりする、徐々に落ち着いてきた気温の中心地よく歩くことのできる
道でした。
夕暮れの風情が漂い始めた、いかつい造船所の街と素朴な街の境目あたりで
バスを待ち、時の流れの遅そうな街を貫いて走る帰りのバスに乗り込み、
日本平への道と分かれて大型商業施設を通過するといかつい無機的な大きな
倉庫ばかりが並ぶ工業地帯へと進み、再び生活の匂いが漂い始めた
清水の街へと帰ってきてすぐの港橋というバス停で下車して、今日最後の
散策に入ることにしました。
清水といえば清水次郎長というくらいの知識はあったけれど
どんな人だったのかは知らないままに、関係の施設を巡ってみることに。
バス停のすぐ近くには、古めかしい木造の建物に末廣という文字の書かれた
末廣旅館を復元した建物がありました。なんでも市内の別のところで、
柱や梁などを再利用していた建物があったらしく、それらを使ってこの地に
再建された、清水次郎長が建てた宿だったらしく、建物自体はきれいで
新しいところが多かったのだけれど、次郎長ゆかりの家具などの品々が
展示され、2階には次郎長が作った英語塾がマネキン人形で再現されて
いたりもするところでした。
近くには清水の街を貫いて流れてきた巴川に、灯台の飾りが欄干に乗る橋が
かかり、河口近くで水量も多くゆったりした流れにたくさんの小さな船が
浮かび、川岸は港の大きな建物と、古めかしい味わいを感じる小さな
たくさんの民家たちで囲まれています。
堤防には絵が描かれていたりして、川に沿って少しだけ下流の方へ進むと、
荘子の墓という、墓石は小さいけれど樹木も植えられて大事にされている一角が
現れました。咸臨丸事件の際に政府軍の命令で放置されていた幕府軍の
兵士の遺体を清水次郎長が率先して回収して葬ったというような話らしく。
橋を渡って対岸に渡ると、次郎長商店街という、いたるところに次郎長の
イラストが掲げられる、何十年か前だったらどこにでもありそうな素朴な、
小さい商店が集まって歩道に庇が連なる商店街が現れました。
祝日の夕方ともなればシャッターを下ろす店も多かったけれど所々小さな
店が開く通りを進んでいくと、その中に紛れ込むようにして、次郎長の生家で
あるという小さい古い建物が現れました。無料で公開されている所では
ありましたが、夕暮れ近いこの時間では公開時間は終了となったようでした。
街道沿いには赤い大鳥居が立ち、そこから路地へと分け入ると美濃浦稲荷という
さほど大きくない稲荷神社が立ちます。神域を囲む石の柵の中に、出資者的な
感じで清水次郎長の本名が刻まれているのが確認できるところです。
伏見稲荷の分社であることを名乗り、さほど広くない敷地に赤い鳥居が連続し、
本殿も古くはないのだけれどきれいに赤く塗られている建物となって、
住宅街の中にみずみずしい森を伴ってたたずんでいました。
ここからさらに、みずみずしい森に沿って住宅街の中を進み、別の大きな
通りへ出ると、交差点に大きな建物と比較的広い駐車場を持つ梅蔭禅寺と
いう寺が現れます。ここには次郎長の墓があるということだったのですが、
だいぶ夕暮れが深まったいま、拝観時間は終了して門は閉じられ、辺りは
ひっそりと静まり返るばかりでした。
そんな感じで次郎長関係の史跡をざっと巡った後は、どんどん薄暗くなっていく
素朴な住宅街を、清水駅へ向かってひたすら歩くのみとなりました。
八千代橋で巴川を渡れば、川を囲む住宅街の空に夕焼けの領域が現れ、
新清水駅に近づくほど、暗くなった街にあかあかと明かりをともす飲食店も現れ、
静鉄、JRと線路を立て続けにくぐれば、水量の多い川をゆっくり渡る静鉄の
列車とかっ飛ばすJRの列車のどちらにも出会うことができ、そして交差点に立つ
小さい水神の姿を横目にさらに歩みを進むと、昨日も暗くなってから訪れた
清水銀座の商店街が、日曜日だった機能に比べると少しだけシャッターを開けて
いる店を増やしているのを確かめることができました。
そしてJRの線路に従って昨日も歩いた道から、昨日は歩かなかったJRの清水駅
方面へ進んでいくと、そのまま清水駅へ続く賑やかそうなアーケード商店街が
始まりました。ここもシャッターを下ろした店が多いような感じでしたが、
清水駅に近づくにつれて案外飲食店の類がたくさん店を開くようになってきて、
思ったより寂しさを感じずに歩くことができたのでした。
こうしてアーケード商店街を抜けると、その間にほぼ完全に夜になってしまって
いたJR清水駅の駅前へとたどり着いたのでした。
20年前にJRから静鉄に乗り換えたことがある駅でしたが、その時とは違う
きれいで大きな高架駅となり、ロータリー状のバスターミナルをたくさんの
飲食店が囲むにぎやかな駅でした。
ちょっと最後の街歩きに予想以上に時間がかかり、せっかく江尻港の近く
なのだから夕食も市場でなんて考えていたのに時間が危なくなってしまい、
どこででもできそうな夕食だけとって、帰りの列車に乗り込んだのでした。
あとは車窓に何も見えなくなった東海道線の普通列車でひたすら上り、
沼津で東京方面行きに乗り継いで小田原まで来て、最後の贅沢として
小田急ロマンスカーに乗り換え、GSEデビューを果たし、まだ新車のにおいが
漂う新しい特急列車の乗り心地をしばし楽しんでいったのでした。