いろんな人生経験で、他人を信用するというのは難しいな、と思う時がありますよね。

 人は経験や記憶の積み重ねで「信用」や「安心」を作っていくものです。
 誰かに対する自分の信用や安心もそうですし、
 誰か(何か)への、自分が感じる信用や安心も経験や記憶の積み重ねが作っていきます。

 「経験や記憶の積み重ね」と言っても、その為には時間がかかるとはかぎりません。
 たとえば、
 「大きくて有名な企業の作る食品だから安全だろう」という信用は、その企業が「大きい会社だから」とか「有名だから」「CMしている商品だから」といった、いつのまにか積み重なっている記憶や経験を信用しているのです。
 
 ところが、その企業の商品に「産地偽装があったとか」「食中毒が出た」という事があれば「信用」「安心」は裏切られます。
 自分の中のその企業に対して積み重なっていた記憶や経験が崩れてしまったのです。
 「記憶のレンガ」「経験のレンガ」を積み重ねて出来た「信用の壁」が大きかった人ほど崩れ方は大きく、受ける精神的なショックも大きくなります。
 
 これは、人間関係、恋愛関係でも同じ事が起きます。
 家族、同僚、友人、恋人、との付き合いでも、「経験」「記憶」が積み重なって「信用」「安心」が作られます。

 経験や記憶は積み重なり「信用、安心の壁」を作っていき、人はそれに寄りかかっています。

 人は寄りかかっていた物が無くなるので倒れて痛みを感じます。 
 「信用、安心の壁」が崩れた時に倒れるのも痛いのです。

 大きくてしっかりした壁で、寄りかかり方が強ければ強いほど崩れて倒れた時の痛みは強いものです。 
 心から信じていた人に裏切られることはとても辛い事ですよね。
 実はそれは、積み重ねてきた自分の記憶に裏切られたと言う事でもあるのです。

 自分の記憶・経験に裏切られるのがこんなに辛いのでは、誰も信用したくなくなる人もいます。誰ともかかわりたくない。もう恋なんてしたくないと思う人もいます。
 
 
 さて、
 恋愛で欠かせない事に『自己開示』があります。
 『自己開示』とは、自分の事、自分の内面をおおやけにすること。自分のプライベートなことを相手に話すということです。個人情報や物の考え方や価値基準などもプライベートなことです。 

 好きになった人には自分のことをわかってもらいたいものですよね。
 わかってもらえるともっと好きになるものです。
 
 恋愛では、互いの『自己開示』が欠かせないのです。
 
 どんなに「あなたが好き、大好き、愛してる」と言われても、相手が何者かわからないのではその想いにこたえようがありません。 
 逆に、『自己開示』が出来ない相手というのは、その程度の相手だとも言えます。
 
 そして、
 自分が『自己開示』すればするほど、自分の相手への想いは増していくと言われます。自分のプライベートを話せば話すほど相手のことを好きになるという事ですね。
 そして、相手はその『自己開示』を受ければ受けるほど好感度を上げていくと言われています。自分のプライベートを話せば話すほど、相手は自分に好意を持ってくれると言う事です。
 もちろん、相手が嫌うようなプライベートの情報ではダメです(笑)

 『自己開示』することで、相手が自分に持ってくれる好意がどの程度の好意かはわかりません。「大好きになった」になるかもしれないし「良い人だな」というくらいかもしれない。
 それでも、『自己開示』しなければ相手は自分を本当にはわかってはくれないのです。
 
 恋愛では互いの『自己開示』が、互いを信頼させ絆を強くし愛情を深めていくのですね。
 「遊びの恋」が『自己開示』で「真剣な恋」に変わっていくということもあります。

 『自己開示』は男性より女性のほうが良くするとされています。
 女性は、友人同士でも『自己開示』を良くしますから、『自己開示』が一つの楽しみである女性も多いようです。『自己開示』しているうちに、相手をどんどん好きになっていくというのも女性のほうが多いようです。
 『自己開示』は意識して行うこともあれば無意識の場合もあります。それに対して、自分にとって望ましい印象を与えるために意図的することを『自己呈示』と言いますが、
 女性に比べれば、男性の場合は『自己開示』よりも『自己呈示』をする方が多いかもしれません。男性がプライベートを話すときは、何かしらの狙いがある時が多いように考えられます。
 例えば、女性と「親密になりたい」という狙いや相手に「どうしても信用されたい」という様な狙いです。
 

 意図的であれ、無意識であれ、
 『自己開示』すると言う事は、相手を信用していくという事ですよね。
 『自己開示』していけばいくほどに、自分の中には『自己開示』したという経験・記憶が積み重なっていきます。

 その積み重ねた記憶・経験で出来た「信用、安心」が崩れるということは、積み重ねた相手に裏切られたということです。
 自分の記憶・経験が崩れることは絶望的な気分になることもあるでしょう。
 
 デンマークのキルケゴールという哲学者は『死にいたる病とは絶望のことである』と書いています。
 「絶望」するのは恐ろしいことですね。
 
 それでも、『自己開示』が出来なければ「本物」の恋愛は出来ないのです。恋愛だけでなく、人間関係でもそうです。
 記憶を積み重ねなければいけない。信じなければいけないのですね。
 そうしなければ、本当に愛することも出来ず、本当に愛されることも難しいのです。
 好きになってほしければ、愛してほしければ、『自己開示』しなければいけない。信じなければいけないのです。
 
 誰かを信じずにはいられない。崩れた時に「大きな悲しみ」「絶望」があるかもしれなくても、人は自分の記憶・経験に寄りかかっていなければ生きていけないのですね。