以上のコピーでは読みにくいと思いますので、その中から特に重要な箇所を以下に抜粋して紹介します。

 

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免田串件資料保存委員会 高峰 武「『人間の復活』をかけた闘い」
 

「社会に帰った私、当時のかかわりに感想を求めますと、「俺達は仕事でやった」

「今更非難するな」「ご苦労さん」福崎、野田、木下の順です。…(略)・:本当に人

の世はおろかなものです」

 原文のまま紹介しましたが、ここに出てくる「禍崎」は、免田事件を捜査した熊本県の人吉警察署の福崎良夫主任刑事、「野田」は免田さんを殺人罪などで起訴した熊本地検八代支部の野田英男検事、「木下」は死刑判決を言い渡した熊本地裁八代支部の木下春雄裁判長です。免田さんは無罪判決の後、刑事、検事、裁判長にそれぞれ直接、誤ったその責任と「なぜ私を?」を正していました。この手紙に出てくるのがその3人の答えだったのです。手紙で免田さんは「人の世はおろかなものです」と沓いていますが、私たちこそ、なぜこんなことになったのかを考えねばなりません。

 

 

 ここではやはり、自白を「証拠の王」とする捜在側の根深い考えがあります。法律が変わっても捜査の側は変わっていませんでした。自分たちが白白させておいて、その自白を前提に証拠を集めていく、こんな流れができていました。検察官も裁判官もこの「つくられた自白」にもとづいて判断をしたのです。冤罪事件に共通するのは、この「つくられた自白」が証拠の柱になっていることです。じつは、免田さんの無実を証明する証拠は捜査段階でもあったのですが、それが第一審段階で口の目を見ることはありません

でした。当時の捜査について、後に事件を検証した最高検察庁は「泥縄式捜査」と痛烈に批判しています。

 

 

 

免田事件資料保存委貝会牧口敏孝「読書は生き抜く力を与える」

 

 免田さんが獄中で読んだ本は2000冊です。その内の1000冊が免田栄文庫に残されています。これまでに600冊について目録を作りました。いま言えることは、死刑囚としていつ執行されるのかわからない死の恐怖に毎日怯えながらも、34年間を生き抜くことができたのは、多くの本を読むことによって、免田さん自身の精神力が強靭なものに変化していったからではないのかということです。

 

 

潮谷氏へ送った手紙の中で、免田さんは次のように述べています。

 「毎日6時半に起き点訳、11時まで続け、その間9時より10時まで運動が行われます。11時以後は書物や本を銃みます。日本人の起源、生命の起源、日本記の起源、キリスト教の起源、この頃は、私の部屋は起源ブームです。本を読むことでいろいろなことが教えられ、この点この生活では恵まれていると言ってよいでしょう。」

 免田さんの梢神面が知的好奇心の塊になっていることがわかります。免田さんは、説んだ本の中に赤鉛筆で次の言葉に印をつけていました。

 「無知は恐怖を生み、知識は確信を与える」(『人間の歴史 先史・古代篇』)。免田さんは読書によって、最終的になにを知ろうとしたのでしょうか。潮谷氏への手紙に次のように記しています。

 「真実は通さねば真の人権と民主主義は守られません。私は自分の一生を、あれはかたよった人閻だとは言われたくありません。人間とはなにか、それが知りたいのです」。

 

 

免田事件資料保存委員会 甲斐壮一「獄中の心情を知る手紙の数々」

 

  獄中での画期となる出来事は、第3次再審請求で出た再審開始決定(西辻決定)。しかし、検察の即時抗告によって上級審で「法の安定を欠く」として取り消され、「幻の決定」となってしまいます。

 「現在のままでは私もしにきれません(中略)いかなる事がありましょうとも 最後まで神様を信じて 無実が晴れるHを信じて居ります」

 一度開いた再審の門を再び閉ざされた無念さを、免田さんは潮谷氏にこう綴っていました(1959年5月1口消印)。免田さんの父栄策さんは再審開始も再審無罪の報も聞くことなく、1971年4月、74歳で亡くなりました。

 「父の死去は本当に悲痛な問題でした。よるべなき迷子子羊となってしまい 死刑の判決より痛いだげきを受けました(中略)でも私は決してまけません 相手が強ければ強いほど勇気をもやしてむかってゆきます。私にはそれだけの理山と信念があります」(同年5月25日消印)。

 手紙を解読しながら、行問から免田さんの息遣いが聞こえてくるように思えました。無実の罪を晴らし、生きて家族や支援者の元へ帰るという、その信念、執念が浮かび上がってきます。

 

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 この抜粋文だけでも、警察、検事、裁判官という、公権力の座にあるものたちの、心の中にある差別的で、自己を顧みるという謙虚さを欠いた、傲岸不遜がうかがえます。

 とくに私が憤りを感じるのは、無罪の証拠があるのに、「検察の即時抗告によって上級審で「法の安定を欠く」として取り消されたというくだりです。

 彼らのそのような誤ったプライドと狭いテリトリー意識のようなもののせいで、免田さんは永い獄中生活を強いられたのです。

 これは他人事ではない。

 この国に住むわたしたちに、いつふりかかるかもしれない、恐ろしい冤罪の内実なのです。