著者       免田事件資料保存委員会 編

                                                                   現代人文社 2022年8月刊

 

  免田事件という冤罪史の貴重な資料の集大成がついに完成し、刊行された。

  著者の「免田事件資料保存委員会」のメンバーは、以下の三人である。

  甲斐壮一氏 元 熊本日日新聞記者

  高峰 武氏     〃

  牧口敏孝氏 元 RKK熊本放送社員

  膨大な資料の収拾保管場所を熊本市の熊本大学文書館が提供し、三人はそこを拠点に、資料整理を続け、その進捗状況を全国の支援者向け会報「『地の塩』の記録」を不定期に発行する活動をしてきた。本書は三人のそんな活動の集大成でもある。

 

  本書の案内文

 

   日本で初めて死刑確定囚が再審無罪になった免田事件。事件発生から免田栄の死まで、免田さんからの家族・友人・支援者あての手紙、捜査・裁判資料、報道記事、関係写真など膨大な資料がある。それらは、誤った捜査・裁判や冤罪の支援活動を語る貴重な記録である。それらを整理・編集し、免田さんの〈冤罪との死闘〉を浮き彫りにする。DVD(映画『免田栄 獄中の生』〔シグロ作品〕など収録)付。

 

   950ページ以上の大部で、本体12,000円+税、の高価な資料本なので、個人では求めにくいので、是非、全国の高校、大学、図書で資料として購入して常備して欲しい。

 

   現代人文社のWebサイトで、この総目次と編著者の一人である、高峰武氏による「はじめに」を読むことができる。

 

  http://www.genjin.jp/book/b610697.html

 

 

 本書の歴史的意義、長年の資料保存整理、本書刊行に携わって、感じたことが「はじめに」で、要領よく語られている。

 その「はじめに」のことばを紹介する。

 

       ※         ※

 

〇  はじめに

 

  免田さんに二度会う

 

 気付かなかったことに気付く。私たちか往々にしてぶつかることだが、わが国で初めて確定死刑囚か阿休無罪になった免田事件の資料整理をしながら、あらためてその思いを強くしている。

 (略 この後、事件の概要が述べられている)

 具体的な経緯は本書を読んでほしいが、免田さんの身柄の拘束は別件什の窃盗容疑も含めれば1万2602日に及んだ。23歳の青年が社会に出てきた時は初老といってもいい57歳になっていた。

 なぜ、こんなことになったのか。なぜ34余年も私たちの社会はその誤りを止さなかったのか。一度正す樋会かあったのに、なぜその機会は生かされなかったのか。当初、誤捜査、誤判をIJい続けたのは免田さん一人。孤独な闘いか重い扉をこじ聞けたのだった。

                 ※

 冒頭に、気付かなかったことに気付く、と書いたが、その意味の一つは、「どの立場から見るか」ということである。

 キーワードは、1956年8月の再審開始を認めた西辻判定を取り消した福岡高裁餓が使った「法の安定」という視点である。「法の安定」を重視する立略に立てば、真犯人が新たに出て来るなどというようなよほどのことがない限り、死刑判決の維持に重きが置かれるという面があろう。それは多数の側の社会の安定、と言うこともできる。しかし、免田さんという、一人の人間の視点からすれば、やってもいないことでなぜ死刑になるのか、アリバイはあるのになぜ認めてくれないのか、ということになる。そしてやっかいなことに社会の安定を求める多数の側は、自分らの社会の安定が、こうした「小さな声」を無視するか、あるいは気に留めないことで成立していることに気付かないということがある。元々、本来の法律論は一人一人の人間の息遣いが集大成されて出来るはずのものだろうが、免田事件の34年は生身の人間の切実な訴えが見事に封じ込められてきた歴史であったことを浮き彫りにしている。

(略)

 本書は第1章から第9噂までで構成されているが、日本の戦後司法史でも貴重な第一次資料と思われるのは、第1章=通知に収録した3通の公文灘である。1、2通は死刑確定に伴う執行の手続きと遺体引取りの有無や火送料の説明で、3通目は免田さんが再審請求を行ったので、死川執行が止まった、と説明する通知である。現在、法務省は。再審請求と死刑執行は無関係としているか、免田さんの父親栄策さんへの通知には明確に、再審請求で執行が止まったと書いてある。つまり当時はそのように運用されていたということだ。この通知からは、その時々で恣意的運用を行ってきたわが国の法務行政の実態を知ることかできる。

 第2章=書簡などには、獄中から郷里の父親米策さんらにあてた400通の手紙の主なものがある。免田さんの字には誤字脱字が多い分、肉親の情が感じられ、それが一層免田さんの悔しさが波打つようである。今回、初めて目に触れたものだ。

 最大の支援者たった熊本市の社会福祉施設・慈愛園園長の潮谷総一郎氏への手紙もまた心を打つ。命のありよう、日本という社会の歴史と構造、司法の非情さ。三畳の獄中から出され続けた精神の軌跡は稀有なもので、ここでは人か学ぶということの原点を見る思いがする。

 このほか、第3章は免田さんの講演録など、第4章は免田事件が起きた戦後という時代はどんな時代の色合いだったのかを考察するとともに、死刑執行の問題などをめぐり国会ではどんな議論が交わされていたのかも拾った。第5章は自白調書や原第一審の死刑判決など本書の中核をなす司法の部分だが、ここでは最新免田事件を担当した裁判官や検事の肉声を入れた。ここからは事件が司法の深い所にも影響を与えたことが分かる。第6章は自身の再審無罪判決には不備かあると慰霊の再審を申し立てた免田さんの切実な思いと年金獲得までの長い道のり、第7章は報道などの記録、第8章は写真でたどる免田さん、そして第9章=死という構成である。

 資料の中にはこんなものもあった。

(略)

残念なのは免田栄さんか2020(令和2)年12月5日、亡くなったことである。95歳だった。死囚は「老衰」とあったが、しかしその志の強さは「漏水」という言葉が持つものとは全く無縁であった。最晩年まで見てきた一人としてそう思う。惜しむらくはこの資料集を本人に直接手渡せなかったことだ。返す返すも残念である。

免田栄という一人の人間が残した、日本人としての初めての生の軌跡をどう受け止めるか。そして未来にどう生かすか。柔らかく、人が心から大切にされる社会をどう構想するか。資料群から問われているのは、他ならぬ私たちであると思っている。

(後略)

 

         ※        ※

 

   高峰氏らが資料整理の間に発行した「『地の塩』の記録」を読ませていただいたときも、この度のこの「はじめに」の言葉に触れても、戦後日本には真の意味での民主主義は実現しておらず、その中の司法の世界も歪な世界であることに、驚愕しつつ、心底、怒りを覚えたものである。

   その象徴が、高峰氏も書いている「法の安定」を重視する法曹界に身を置き、底辺の民の実体を知らない世界で、のうのうとエリート街道を生きてきた者たちの、自分たちの権威と面子を優先する、おどろくべき非常識ぶりだろう。

「真犯人が新たに出て来るなどというようなよほどのことがない限り、死刑判決の維持に重き」を置くということは、自分の仲間である裁判官が下した判決を覆すことは避けたいという司法エリート族の閉じた、仲間内感覚そのものである。彼らにはそれが常識だが、真実の世界では非常識であることに盲目である。

彼らの非常識は、閉じた蛸壺社会で、今後も生きのびるだろう。

わたしたちは、そのことを、しっかり自覚しておいた方がいいだろう。