ムラーノ城 < - KING RED DRAGON - >

近ヒマなので、ネットばかりしてます、そのうちネット難民に

なるかもしれません!いや、もうなってru .........(ノ_ _)ノハゥ

ムラーノ城は男爵の日常と日々感じた事!そして歴史と映像関係に関するブログです

                      左下矢印呉起/第六章掲載!(^^)
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<追・追・追伸/11月始めに映画レッドクリフ

  を観ましたが!近々ブログ予定です!/笑>

董卓の味方だった劉備玄徳?

1三国志の世界


さて三国志といえば後漢王朝時代の末期を舞台に

最終的に天下を三分していく魏・呉・蜀という国の興亡史を

描いた中国の三国時代の話だが、現在でもこの三国時代の

出来事は中国の歴史の中でも最も知られた時代だと思われる

それは三国時代に登場する魏の曹操や蜀の劉備玄徳に

代表される個性豊かな君主や、その君主を補佐して

活躍する諸葛孔明を 筆頭とする数多の天才軍師の姿、

そして何と言っても呂布や 関羽を代表とする豪傑達の

痛快無比な活躍が人々の心を とらえて放さないためだが、

この三国志の内容は三国時代から1100年以上も

経過した明王朝時代の初期に書かれた

大衆小説「三国志演義」の内容が定着したものであり、

実際の三国時代の歴史とは、その内容がかなり違う、

この点は前回のブログでもふれてあったが、

今回は誰もが知る三国志の内容が実際の歴史的事実と

どれほど食い違うのかを検証してみよう!


sekiheki
<画像/映画「レッドクリフ」より、(C)Bai Xiaoyan>


2三国志(演義)と <正史>三国志


さて三国志時代の歴史に関する公式な歴史記録書には

中国の紀元180年から280年に かけての

歴史を編纂した書物に「正史/三国志」という

歴史書がある、これは紀元280年に呉を平定して

三国時代に終止符を打った晋に使えていた

陳寿という人物が編纂したものであるが、

この「正史/三国志」は中国という国の歴史における

正統史という立場にある書物であり

(つまり歴代王朝が認めた公式文書)

もし中国の歴史を古代時代から現代まで説明せよ!

と言われた場合には、三国時代に関してはこの

「正史/三国志」によって説明しなければならないという

事なのだが(別に誰も強制はしていませんが/笑)


現在では三国時代の話になると、

この「正史/三国志」は無視されて「三国志演義」

内容が 引用される事が多い、つまり小説の内容で

歴史が語られる 事となってしまっているのだが、

ムラーノとしてはこうした 三国時代に関する歴史認識は、

それはそれでよいと思っている、 何故なら

こうした事はどの時代、どの国の歴史にも

多かれ少なかれ付き物であるからだ、

たとえば日本の歴史上人気のある人物に

織田信長という人物がいる、


日本の戦国時代はこの織田信長の登場により

一気に統一まで向かう事となったのは承知の

とうりだが、この織田信長が本能寺で横死するさい、

その妻であった 農姫が薙刀を振るい、奮戦する場面がよ

く語られて長らく戦国時代の三賢女の一人として

公然と語られてきた、


しかし歴史に少し詳しい方なら、この農姫が

早い段階から 織田信長に関係する公式文書からは

姿を消していて、 行方不明になっていることは知られていた、

しかし現在でもこの農姫が織田信長を補佐し続けた賢妻であり、

その最後も信長と共に戦ったという内容が信じ続けられている


(こうした農姫と信長のイメージは

 歴史書の僅か一節から 出てきた創作であり、

 江戸時代には定着していたようだが、この農姫と

 信長というイメージは 吉川英治氏の小説

 「織田信長」で決定的となった             )


そして現在よく知られている三国志の物語は正に講談や

小説で創造された農姫の存在そのモノと言ってもよく、

それは存在しない人間が歴史に登場してきたり、

一人の人間の活躍を際だたせる為に歴史的事実をねじ曲げて

しまっているという事なのだが、 現在広く流布する三国志の

物語の全般がこうした形で構成されていると言っていい、


さすがに、ここまでしながら実際にあった歴史的事実と

認識されがちなのは三国志ぐらいであると思われるが、

三国志という一つの時代を認識する時にあまりにもこうした

虚構が多すぎる情報を人々が信じ込んでしまっている事は、

三国志の世界における友情や信義、仁義などという夢を

人々が信じたいという願望の表われかも知れない!

さて!今回はそうした事は横に置いとくとしても、

三国志の内容(三国志演義)が実際の三国志(正史)

どれほど違うのかの検証に入ろう!


3劉備は正義の味方?

さてまず本題に入る前に、正史とされる陳寿が

書いた正史/三国志という歴史書の構成が

どういうふうになっているかを説明しておこう、

「正史/三国志」は紀伝体という手法で書かれた

歴史書であり、

魏志(魏書・魏国志)呉志(呉書・呉国志)蜀志(蜀書・蜀国志)

から構成されていて、この下にそれぞれの三国に属した

個人の列伝が構成するという形で一つの歴史書になっている、


この「正史/三国志」は魏の後裔となった

晋王朝に使えた陳寿が編纂した歴史書であるため、

魏(晋)側から書かれた記述が多いとも思われがちだが、

(魏に属した人間の方が格上的な表現も確かにある)

陳寿自身が蜀の出身者であった為、歴史は勝者によって

作られる的な偏った記載は少なく、魏・呉・蜀の三国を

公平に扱い記述してあるといえるだろう、

これに比べて「三国志演義」は歴史書である

「正史/三国志」を元として書かれていながら、

完全に三国の内、蜀の側に立って書かれている

書物である、これは晋から隋、唐、宋、元、明と王朝が

移り変わっていく歴史背景において、後漢王朝から

帝位を簒奪した魏の正当性を認めない 主に

儒学者層の意見を反映した結果であると言えるが、


この考え方は宋から明にかけて三国志の時代背景を

取り入れた当時の芝居や講談、また民間伝承に

大きな影響を与えたらしく、蜀において漢王朝(蜀漢)を

再興したという立前の劉備玄徳を正統とする

世論をそのまま三国志演義が取り入れて行く

切っ掛けとなり、以後は曹操は悪玉、

劉備は善玉という構図を創りあげる事になった!

そのため広く知られる事となった三国志(演義)の

物語がどれほど実際の歴史(正史/三国志)と

食い違うかは、蜀の側に立って活躍した人物の

物語(列伝)を追えば一目瞭然となっていく、

中でも三国志の豪傑として三国志の物語の前半を

縦横無尽に活躍する関羽の活躍は実際の歴史と

これほど違うの?という見本とも言えるかもしれない


関羽は張飛と共に三国志の豪傑を代表する猛者だが、

後に蜀国を興して漢王朝の正統を継承した(勝手にです/笑)

劉備玄徳との桃園での近いが有名だ、しかし実際に

この桃園での義兄弟の契りを結ぶという場面も、

正史である三国志には出てこず、これも創作話しであって

歴史上はまったく存在しない、


また関羽については、その剛勇さから一騎打ちが

誰の頭にも思い浮かぶだろうが、関羽がその最初に

その強さを発揮する有名な汜水関の戦いも実際には

虚構の話しである、この汜水関の戦いは

紀元190年に洛陽に入って都を 占拠した董卓に対して

各諸侯が反董卓連合を結成して戦いを挑むという

歴史進行から起こった戦いだが、実際には反董卓連合が

洛陽に向けて進撃するという話も三国志演義によって

作られた虚構である<これが史実だと思われている>


もちろん袁紹や曹操を中心として反董卓連合が

結成された事は事実であったが、実際に三国志に

登場する英雄や英傑が一同に会したという事実はない、


そのため劉備が公孫瓚の客将として関羽や張飛を

引き連れて、この反董卓連合に参加していたという

事実もなく、だいたいが公孫瓚 自身が反董卓連合に

参加していないのだ、 この時期に公孫瓚は

中郎将・都亭侯の後漢王朝の官位を 得ていて、

北辺の幽州付近の警備について 異民族相手の

戦いに奮戦していたが、紀元191年には 30万とも

いわれた黄巾賊の残党を討伐した功績から

後漢王朝から奮武将軍を拝命し、薊侯に封ぜられている、


この時期は董卓が少帝を廃して(最終的に殺害)陳留王の

劉協を献帝として相国(漢の宰相)の地位についていた

時期であり、その権勢を欲しいままにしている頃だ、

そのため公孫瓚は少なくともこの時期には董卓の意向により

奮武将軍と薊侯の地位を与えられていると言っていい、


劉備がこの公孫瓚の元に身を寄せたのが、

ちょうど191年のころであり、これ以前に劉備は

後漢王朝の地方で続発した黄巾賊の討伐のための

義勇軍に度々参加して戦功は治めていたが、

諸事情で任官と放浪を繰り返していた、

こうしたなかで、かって同郷で学友であった公孫瓚の元に

身を寄せたわけだが、この時点ですでに反董卓連合は

曹操が単独で汜水関に進撃する中、後漢の将であった

徐栄の待ち伏せに合い、あえなく敗北、曹操軍が

壊滅すると集結していた反董卓連合も洛陽に

向けて進軍しないまま空中分解にいたっている状況である、

<この事が武帝紀や曹洪伝、後漢書に記されている>


こうした事から関羽が汜水関で董卓の配下であった

華雄という猛将を一刀のもとに斬ったという話自体が

作り話しである事がわかるが、 三国志演義では

さらに関羽の活躍により汜水関を 突破した反董卓連合が

次の関門であった虎牢関の戦いで、三国志きっての猛将!

呂布との対戦となり、この虎牢関の戦いでも関羽が

張飛と共に呂布と戦い、 ついには劉備も加わり三対一の戦い、

「三英戦呂布」が 展開されるわけだが、元来、反董卓連合に

劉備達が参加していないのだから、こうしたエピソードも当然ない、


ちなみに汜水関と虎牢関という二つの関があるように

三国志演義では描写されているが、実際には汜水関と

虎牢関は同じ関であり、呼び方がちがうだけであった、

この反董卓連合の解散後、南の南陽に割拠していた

孫堅が諸事情により遅れて遠術と合流しているが、

彼はそのまま荊州方面から単独で洛陽方面に進出して

董卓を脅かして快進撃を続けている

<このとき関羽が斬ったとされる董卓の配下の

  華雄が孫堅に敗北して殺されている      >

これに怯えた董卓は洛陽を焼き払い、

長安に遷都を強行したのは三国志演義に

もあるとうりだが、こうした歴史的な進行状況をみると、

洛陽から董卓を 追ったのはあくまでも孫堅一人であり、

三国志演義では、 どうみても反董卓連合に参加していない

劉備と関羽、 張飛の活躍によって汜水関と虎牢関を

突破して洛陽にまで到達したように書かれている、


そして現在では、この三国志演義の劉備、関羽、張飛の活躍が

実際の歴史事実の出来事に取って変わってしまって

いるわけだが<そう思っている人が多いという事です、あくまで>

こうなると、もうほとんど歴史の捏造状態と言っていい!(笑)


ちなみに関羽が三国志に登場するのは

正史/三国志によると劉備が公孫瓚の元に転がりこんで、

青州の刺史の救援に成功し、公孫瓚から平原の相に

任命された時の事であり、張飛と共に別部司馬という

役職に就いたという記述が関羽伝にあるのみである、

この出来事は(推測では)やはり紀元191年頃の

出来事であり、これ以降、関羽伝は紀元200年まで

関羽の活躍を全く記してない、つまり紀元184年から

始動し始める三国志において、関羽は実に16年間も

実際の歴史上では活躍していない事になる、


さて、今回の三国志に関するブログでは

「正史/三国志」や「後漢書」の内容から 実像の

三国志に迫ろうとしたが、 三国志という歴史絵巻が

途方もない長さで、登場人物だけでも異常に多いので(笑!)

これ以降はムラーノ城を訪問してくれた方々に

興味があったら正史の三国志の世界を調べてもらう事にして、

今回ブログをしていて気づいた事を 書いておこう!


現在認識されているところの三国志の善玉であり、

主役ともいえる劉備玄徳について 気づいたのだが、

劉備はその最初に飛躍する切っ掛けを同郷であり、

学友であった公孫瓚の 配下になる事により掴み、

三国時代の歴史に登場する 事となっているが、その後

公孫瓚の命令で徐州の陶謙の支援に行き、

陶謙に気に入られた事により徐州の牧となって、

ようやくと一国一城の主として三国志の群雄と

肩を並べる事になっている、 その後ふたたび流転の

人生を歩んで、荊州の劉表の元に転がりこみ、

劉表が死ぬと事実上、劉表の後釜に座って

ここで初めて三国鼎立が見えてくる歴史的事実がある、


考えてみたらこうした劉備の人生において終始、

友好関係にあったのは公孫瓚、陶謙、劉表の三人であり、

この三人によって劉備は歴史に登場する事が

できるようになり、そのつど人生を流転しながらも、

地位や名声、人材、また政治的な地盤を 手に入れて

群雄としての勢力を築いていくのだが、


この公孫瓚、陶謙、劉表の三人は共に紀元190年の

前後に大悪人のレッテルを貼られる事となる董卓から

地位や名誉を得て、その後も反董卓連合に加わらなかった

メンバーなのである!(あまりこの点に着目する人はいないが!)

こうした事から劉備はこの董卓に対しては友好的な態度を

取り続けた人物達の力を得る事により、 後に蜀を興す事と

なっているのは面白い事実かもしれない


(注/反董卓連合は紀元190年当時、 袁紹、

 王匡、張楊が洛陽の対岸 <黄河の反対側>の

 河内に布陣し、 張邈、張超、劉岱、橋瑁、袁遺が

 陳留郡の酸棗に軍勢を集結、 袁術が南陽にあって

 洛陽の董卓を包囲する体勢をとり、さらに孔伷が

 潁川に駐屯、 韓馥が鄴にあって後詰めを

 務めていたのだが、 これら彼らの位置関係を

 見てもわかるように、 反董卓連合はそれぞれの

 地域に分散して いたのが実情であり、実際には

 反董卓連合の諸将は董卓討伐どころか自分たちの

 治める地域の支配体制を確立するために行動していた

 のが実情であった、そのため烏合の衆である

 反董卓連合には戦う意志がなく、大軍を要した

 董卓軍に挑もうとする諸侯もいなかったと

 正史/三国志には記述されている<武帝紀>

 さらにこの反董卓連合には参加していない諸将も

 実際には大勢いて、劉表などは中立を保っていた

 らしいが、この点は簡素すぎる正史/三国志の内容の

 解釈の仕方によっても変わってくるかもしれないが、

 劉表が荊州刺史に任命され襄陽に本拠地 さだめるのは

 紀元190年ごろの話であり、

 <後漢書には孫堅が荊州刺史の王叡を 殺害した後に

   劉表が荊州刺史に任命されたとあり、

   これだと反董卓連合が結成された後に董卓により

   荊州刺史に任命された事になるのだ         >

 この時期は董卓が後漢王朝の実権を握っていた時期であり、

 この事からも劉表は董卓により官位を得ていた可能性が

 あるわけだが <ほぼ確実でしょう>また劉表に関しては

 正史/三国志にも反董卓連合に参加したという

 明確な記述もない、この他にも後に徐州の牧を

 劉備に譲る陶謙は反董卓連合が結成されても

 これを傍観して、董卓が長安に遷都をすると祝賀の祝いを

 述べて貢ぎ物を出したりしているぐらいで、董卓の死後には

 詔勅により徐州牧に昇進して安東将軍に任じられている、

 陶謙はその後、公孫瓚と彼の元から派遣されてきた劉備、

 また単経<三国志演義に出てこず>らと連携して袁紹らと

 敵対状態に入っているが、これらの歴史的な事実を

 つなぎ合わせると、劉備が完全に反董卓連合とは

 一線を画す親董卓派とも呼べるライン、公孫瓚、陶謙、

 劉表ラインから出てきた人物である事がわかるだろう   )


こうした事実は劉備が三国時代を生きていく上で

実質的に得る物が多かったのは反董卓連合の

メンバーたちからではなく、董卓とは友好関係にあった

者たちであったという歴史の記述から読みとれる

当時の人間関係の構図だが!


(ムラーノだけでしょうか?こう解釈するのは?<笑>

 しかし実際に劉備は仕方なく曹操、袁紹の元にも

 転がりこんでいる事実もあるが<反董卓連合ライン>

 袁紹からは得るモノは全く無く、曹操との関係に関しては

 彼の暗殺計画にまで加担しているから、

 友好関係であったとは言えない、これにひきかえ董卓の

 腹心であった呂布からは徐州を奪われながらも、

 人質になった妻子を返してもらい、領地を奪われながらも

 下邳を与えられ、 ここに関羽を駐留させているのである、


さて、もし董卓が紀元192年に呂布に殺されず、

もう少し才覚があって、逆に反董卓連合を鎮圧する

勢いでも示していれば、おそらく董卓を中心に

結成された董卓連合(公孫瓚、陶謙、劉表、劉備)が

歴史に登場する事態も考えられなくもないと

考えたムラーノだが!

(実際に公孫瓚、陶謙、劉表、劉備たちは

 元は反董卓連合のメンバーであった、

 袁紹、曹操、孫堅<孫策・孫権>遠術らと

 死闘を繰り広げているのである       )


まー仮定はこのぐらいにしとくとしても!(笑)

やはり董卓に率いられて戦う劉備や関羽!

張飛の姿は歴史が変わったとしても見たくはないと

思うのはムラーノだけではないでしょうね!(笑)


sekiheki2
<画像/映画「レッドクリフ」より、(C)Bai Xiaoyan>


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三国志・夢の世界

先日、三国志を映画化したレッドクリフ(赤壁)が

日本でも公開されたが、今回はそれにちなんでと

言うわけではないが!世界でも知られている

三国志時代(中国の紀元184年~紀元280年の時代)

ついてブログしょうと思う!( ̄▽+ ̄*)きら!


1三国志の真実


さて以前ムラーノは三国志について少しだけ

ブログした事があったが、

そのさい現在伝わる三国志の大部分の

イメージが大衆用の娯楽作品としてかかれた

小説「三国志演義」の内容が定着したものだと述べた、


engetu
(画像(C)光栄/青龍偃月刀、三国志時代に

 豪傑の関羽が使ったとされる武器だが、

 実際には三国志時代より700年後の

 宋時代に開発された武器であった     )


この「三国志演義」は実際の三国時代から

約1100年たった明王朝時代(1368年~1644年)の

前期に書かれた書物と言われ、現代でもその題名や

内容を知らない人がいないほど有名な

原書となっているが、日本でも有名な吉川英治氏の

小説「三国志」やNHKの人形劇「三国志」も

「三国志演義」の内容を元として作られた作品であった、


そのため有名過ぎるぐらいの書物であり、
「三国志演義」という600年以上も前の原題で

誰もが認識しうる作品であるが、


その著者についてはわからない部分が多く、

そうした事から「三国志演義」は宋代から

明代にかけて確立していく三国時代を元とした

芝居や講談、また民間伝承らが集大成されていく

課程で生み出された当時の商業ベースによって

創りだされた作品であったと考えられるが、


(注/一般には羅漢中もしくは施耐庵の

 作品とされているが実在の人物かもわかっていない)


こうした形は日本では江戸時代に、やはり作者が
謎の人物とされる浮世絵師の写楽の作品が有名であり、

こちらも現在の研究では当時の浮世絵を

出版していた版元が浮世絵師(数人)に依頼して作品を

描かせ、それを写楽に仮託して販売したもので

あったと言われている、つまり「三国志演義」もこうした

娯楽芸能界の体制(大勢による企画モノ)から生まれた

作品であった事が推測されるわけだが、


こうした商業ベースによって生まれた作品は

つまらなければ全くお話にならず

(利益を出す事を目的として作られている、あたりまえか、

 でも認識できない人は一生かかっても認識できない   )
特に書物として発刊される場合は芸術性などは

論外で(絵画的な価値観)とにかく読み手を飽きさせないで

豪快かつ痛快な内容に民衆が拍手喝采し、

人情を織り交ぜながら最後は大衆が涙して、

いつまでも心に残る作品でなければならない、


そのためには少々事実を歪曲(脚色)して面白可笑しく
するのだが、三国志演義は正に、そうした要素を

集大成した作品と呼べ(取り入れすぎた作品)現在でも

世界中に、その内容が受け入れられ過ぎて

しまったせいか、ほとんどの人が実際に三国志演義の

内容が三国時代に起こった実際の出来事、

つまり正史だと考えているようだ、

(どちらかといえば、三国志ワールドを信じたいという気持ち

 なんでしょうね、でもやっぱいいです!三国志の世界は/笑)


で!次回では三国志演義の世界における
脚色部分がどれほど実際に起こった出来事と
違うのか
ブログしてみょうと思います!( ̄▽+ ̄*)きら!

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コンパス モールス コード

☆おもしろ腕時計12☆

SECTOR/コンパス トーチ

インターナショナル モールス コード

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コンパス・トーチはイタリアの

スポーツウォッチメーカ、セクター社の

商品の中かでも人気のリストウォッチで

日本でも雑誌等で紹介されて人気商品となった

時計だが、セクター社といえば超一流の

冒険家ばかりを集めた「限界なき集団」

No Limits Teamへのサポートが有名だ、


フリーダイビングの無呼吸潜水3部門で

世界記録を樹立したウンベルト・ペリッツァーリや

地球赤道世界一周単独横断に成功したマイク・ホーン、

またローボートによる大西洋無支援横断に

成功したビクトリア・マーデンに腕時計を供給し、

その支援活動を行ってきている、


コンパストーチはそんなセクター社ならではの

時計で、文字盤にモールス信号パターンを

表記し、時計内部に内蔵された強力な

LEDライトをつかって素人でもコード表を

見ながらモールス信号を発信できるという

優れモノ、遭難した時などに赤色レーザーを

発して航空機や海上の艦船に自分の居場所を

知らせる事ができる、

8時側のボタンを押すことで4時側の

 丸い部分からレーザーが発せられる)
sec2
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ケースは今流行の48mmのビッグサイズで

50メーター防水、さらにデュアルタイムで

二各国同時の時刻を確認できるようになっている


以前に紹介したブライトリング社の

エマーシェンシーが電波により救難信号を発し、

40万円近い高額時計であった事を考えると、

定価5万7千円(さがせば4万円代前半で買えるようです)

はかなり格安かもしれません!( ̄▽+ ̄*)きら


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歴史クイズに挑戦

超!お久しぶりのムラーノ男爵です!( ̄▽+ ̄*) キラ!

何と10月1日以来ブログの更新をしてませんでしたが!

久々にアメブロに帰還です!(^^)y


今回はコリン星に帰っていたわけではないのですが(笑)

新しいモバイル用のホームページを立ち上げようと

奮戦中でした!(ほとんど怠けていましたが/笑)


この間に学生時代の部活動の先輩が立て続けに

お亡くなりになり、葬儀に出席して数十年ぶりに

仲間と会って改めて自分の年齢を感じさせられる

10月となりましたが、この年になって

学生時代のメンバーに再会すると改めて

昔を懐かしむ気持ちが自分にもあったんだな、

と気づかされました!(ほとんど20世紀少年?/大爆!)

( ̄へ  ̄ 凸 おまえは友達!! (  ゚ ▽ ゚ ;)ウォーロボットが!


gudo
(画像/通夜の終了後に集うムラーノ男爵達)


さて!今月はホームページを立ち上げようと

CGIやらスクリプトをネット上で物色していましたが、

簡単にjavaスクリプトを設定して

クイズや問題集を造れるサイトを発見!

取りあえず歴史クイズを

アップしてみました!オォ!( ̄▽+ ̄*)

 

歴史4択クイズ!


よかったら使用してみてください!( ̄▽ ̄)=3

歴史をどれくらい知っているか判定できます!

<ムラーノ城!完全復活ももうすぐか?/笑>


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