監督のお母さんはやさしい人だった。
最後のお別れの日まで機嫌の悪い日は1日もなかたようにおもう。だから監督のような人間がどうしてうまれたのかわからない。
 小柄で控えめな母が世間で1度だけそれはそれは、大きな声で怒鳴ったことがある。監督が小学生の1年か2年のころ年末デパートに買い物にいった。店内は人だかりで盛況。当時のデパートのエレベーターは白いレースの手袋をはめたエレベーターガールが操作をとりしきっていた。折から年末、 一つ見送って次のエレべーターに真っ先に乗り込んた。母の手をしっかり握ってをエレベーター奥のかべを背に立った。次の瞬間どどーとものすごい勢いでひとが乗ろ込んできた。エレベーターガールの制止も聞かず我先に次から次へと。。エレベーターガールは「ドアが閉まります。お気をつけください。上に参ります。」とだけ言った、その瞬間、母がすさまじい大きな声で「小さな子供が乗っています。これ以上おさないでください。大変危険です!」と叫んだ
 みんな振り返って着物姿の小さな母と子供をみて一瞬動きがとまった。母の大きな声に圧倒された、そして何人も降りてくれた。母はたじろぎもせず、ずっと私の手を握ったままだった。一言も発しなかった。怒っていたのかもしれない。監督は泣きそうになって母の手をぎゅっと握っていた。
 
 母は偉大だ。母は子のために生きすべてをささげやがてこの世を去っていく。
そして母は今も監督の心の中で生きている。
                                         監督