「いじめという言葉を無くして犯罪名で呼ぶべき。だからいじめは無くならない。」

 

いじめは、内容相応の罰を与えるべき

だと思うし、それはいじめの抑制や再犯を防ぐ事につながると思います。

 しかし、いじめという言い方を無くし、メディアや学校が、何かしらの罪名で呼ぶことにしたところで、抑制にはつながらないし、何の意味もない行為だと断言できます。

 

 呼び方を変えところで、誰かが厳しく叱ったり、被害届を出したり、民事で訴えたりしないと、加害者はい何のダメージも受けない訳で、意味がありません。犯罪=必ず罰則が与えられるもの、でもありません。

 

 上記の様な主張をする人は、いじめを犯罪名で呼ぶ事で、加害者が罪の重さを認識し、いじめを躊躇するようになると思っているようですが、人はいじめに限らず、何かの行為をする時、その行為の名称なんて意識しません。

 例えば食事をする際、自分が今からする事は「食事」、今している事は「食事」、などと名称を意識しながら食事する人は殆どいないと思います。意識するのはせいぜい食事に誘ったりする時くらいです。

 いじめをする時も「○○をいじめよう」などと行為の名称を頭のなかで喋ったり、口に出していじめをしようと呼びかける事は基本的に無いはずです。いじめをしている時に、それをいじめだと指摘される事も少ないと思います。そもそも加害者は、自分がやっている事がいじめに該当するとすら思っていない事も多い。いじめと分かっていても、いじめと認めない加害者もいます。

 よって、いじめを犯罪と呼び方を変えたところで、そもそも加害者らは、その行為をする前、している最中に、いじめという名称は意識しないのですから、全く意味がありません。

 

 名称は自分でいくらでも好きなように呼ぶ事が出来ます。メディアや学校が、いじめを犯罪呼びで統一しても、それを国民に強制させることは出来ません。普段の会話や、頭の中で喋る時、その名称を言うのが憚られると思えば、別の言い方を自分で作るでしょう。

 ただ呼び方を変える事で、加害者がいじめを躊躇したり、罪の意識を感じるようになるという心理現象が本当に起こるのなら、喫煙を殺人と呼べば喫煙を躊躇したり、嫌いな食べ物を好きな食べ物の名前で呼べば、食べれるようになるという現象も起きるはずです。当然、被害者の方でも心理的変化が起こるはずです。いじめを犯罪呼びする事で、自分が受けた被害をより酷いものに感じ、自殺率が高まると思いますし、逆にもっと軽い言い方「いじり」や「かわいがり」と呼べば、被害者が傷つきにくくなり、自殺率が低くなるという現象も起こるはずです。


 また、いじめという言葉が事の重大さを矮小化させているからという理由で、いじめという言葉を無くすべきという人もいますが、それを言うなら子供を虐待する親が、よく言い訳(矮小化)として使う「躾」という言葉も無くさなくてはいけません。

 

人を殺す事を「殺人」と呼ぶ事については、軽い、矮小化なんて誰もいいませんし、法律にも殺人罪があります。しかし殺人は無くなっていません。戦後から連続して減ってはいますが、毎年数百件は起こっているし、殺人が減ったのは、殺人という呼び方のせいではないはずです。罪名となっている行為をしても必ず逮捕されるわけでもなく、逮捕されても、必ず被害者が納得する判決が出るわけでもありません。

 

  

スピード違反は誰もがしてはいけない事だと認識しています。違反すれば罰を受ける事は皆知っています。しかし多少のオーバーなら捕まらないし、事故も起きないので車の運転では誰もが程度の差はあれスピード違反をしています。しかし、パトカーが近くにいたり、オービスがあるところでは皆、普段よりスピードを押さえます。こうした現象を考えても、いじめが法律違反で、罰を受ける行為である事を認識する事が、抑制に繋がるとは到底思えません。抑制効果は、スピード違反と同じで、罰する立場の人に見られる事にあると思います。

 

いじめを無くす為には、予め、どういう行いがいじめに該当するか教え、教師のみならず、子供同士でも監視させ、いじめを受けたり、目撃すれば必ず報告する事を義務付け、いじめに対し、厳しい罰を与える事を事前に示し、実行する事で、いじめは減ると思います。いじめという言葉を無くす事自体には何の意味もありません。

 

 

                                                  以上。