東日本大震災
気がつけばもう3月。ずいぶんと東京は暖かくなりました。
仕事に戻ってからというもの、また昔のように
毎日があっという間に過ぎていきます。
2011年、東日本大震災があったあの日、
私は2回目の抗癌剤治療を終えて、退院をする日でした。
2回目の抗癌剤も、副作用がほとんどなかったことで、
きちんと食事もできたせいか、12日間で退院になりました。
その日の朝、私は初めて形成外科に呼ばれ外来に向かうと、
そこには紳士風のとても素敵な先生がいました。
Dr.ニヒルです。
3月末に控えたガンの切除手術と、再建手術の説明でした。
緊張した面持ちの私が挨拶をすると、先生は真面目な顔で話を始めました。
まず、口腔外科の先生方が、右の下顎の骨を切除し、
その後で、左膝下の足の腓骨の一部をとって、
顎の代わりの骨にすること。
そして、卵大の大きさに切除されることになった
右耳の下あたりの頬の皮膚と、癌が転移した舌の1/3、
それと口の中の内側に、
お腹の皮膚と、足の皮膚を血管ごと移植すること。
先生は、紙に書きながら黙々と、そしてゆっくりと
説明をしてくださいました。
手術後1週間は、集中治療室にいること。
2週間は、人工鼻をつけているので声をだせないこと。
3週間は、食事ができないこと。
そして、先生はこう言いました。
手術する時に、右頬の神経を切ってしまうので、
右側の顔の、口端や頬が上手く動かなくなると。
それを聞いた途端に、
緊張で張り詰めていた私の目から涙が出始めました。
手術の概要は、主治医から聞いていた内容と同じだったのですが
想像力の欠如なのか、今まで目の前のことに必死だったせいなのか
未来の自分というものを全くイメージできていなかったので
たぶん本当の意味で、病気の重さを感じた瞬間だったのかもしれません。
「先生、私、笑えなくなるのですか」
「そんなことはないけれど、あなたも頑張らなくてはいけないよ」
それから私は、挨拶を終えて、
口腔外科の外来にいる主治医のところに行くと
主治医は元気な声で、"どうだった?"と私に聞きました。
「先生~ショックだったぁ~~~!」
そう言いながらも、また涙がボロボロとこぼれて、
Dr.ニヒルから聞いた話を伝えたけれど、
なんだか明るい主治医と話をしていたら、
突然吹っ切れたように楽になりました。
"なってしまったものは、仕方がない"
それから私は、退院手続きを終えて、
抗癌剤で体力の落ちた体でヘトヘトになりながら一人家につき
昼食には、入院中無性に食べたかった豚トロ弁当を食べて
昼寝をしようとしたその時です。
今までにない、大きくて、揺れの長い地震がおきました。
倒れそうになるテレビを押さえて、揺れが治まるのを待ちましたが
食器棚の中にあった茶碗が落ちて、
観葉植物の入った花瓶は倒れて床は水浸し、
安物の組み立て式の3弾シェルフは、中身ごとバラバラに崩れました。
それから手術までの3週間弱の間
度々続く余震を心配しながら、情報量の少ないニュースと
繰り返し流れる同じ映像を見ながら、
ただ何も考えずに、手術までの毎日を過ごしました。
*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*
昨年の11月、仙台の松島に訪れる機会がありました。
観光地であるそこは、逆にとても綺麗に復興されていて
地盤沈下によってできた道路上の海水の水たまりを除けば
ぱっと見たところでは、地震のひどさが伺えないくらいになっていました。
友人とレンタカーを借りて、海沿いに北に向かうと
偶然辿りついた町がありました。野蒜(のびる)という町でした。
そこは、1年半たっても、電信柱が倒れたまま使われていないJRの駅や
窓ガラスがなくカーテンが海風で泳ぎ、校庭がところどころ沈没した学校。
以前は、松林が一面にあったという更地。
電車が開通していないので、
子どもたちは遠くの学校に通うことができないのだそうです。
風が吹く寒い日、
被災地の状況を見に来た復興支援ツアーのバスが着くと
廃墟となった駅の前でボランティアの方たちが、温かいコーヒーを差し出し、
写真を見せながら当時の話しをしてくれます。
背後の防波堤が、ベリベリベリという音を立て、
振り返るとはるか向こうにも海水はなく、海底までが見えていたことや
父親と車に乗り込もうとした時に、ヘドロに飲み込まれて流され、
堪忍と諦めかけた時に、助けてくれた人がいたこと。
そして車に乗っていた父親が見つかった時には
既に他界していたこと。
同じ事を、何度も何度も繰り返し話をしているだろうに、
その日も真剣に、まるで昨日起こった出来事のように
一生懸命、私達に話をしてくださいました。
自分のことに必死で、何もしなかった私に、
その人は明るい笑顔でこう言いました。
「こうやって、ここに来てくれただけで嬉しいの」
仕事に戻ってからというもの、また昔のように
毎日があっという間に過ぎていきます。
2011年、東日本大震災があったあの日、
私は2回目の抗癌剤治療を終えて、退院をする日でした。
2回目の抗癌剤も、副作用がほとんどなかったことで、
きちんと食事もできたせいか、12日間で退院になりました。
その日の朝、私は初めて形成外科に呼ばれ外来に向かうと、
そこには紳士風のとても素敵な先生がいました。
Dr.ニヒルです。
3月末に控えたガンの切除手術と、再建手術の説明でした。
緊張した面持ちの私が挨拶をすると、先生は真面目な顔で話を始めました。
まず、口腔外科の先生方が、右の下顎の骨を切除し、
その後で、左膝下の足の腓骨の一部をとって、
顎の代わりの骨にすること。
そして、卵大の大きさに切除されることになった
右耳の下あたりの頬の皮膚と、癌が転移した舌の1/3、
それと口の中の内側に、
お腹の皮膚と、足の皮膚を血管ごと移植すること。
先生は、紙に書きながら黙々と、そしてゆっくりと
説明をしてくださいました。
手術後1週間は、集中治療室にいること。
2週間は、人工鼻をつけているので声をだせないこと。
3週間は、食事ができないこと。
そして、先生はこう言いました。
手術する時に、右頬の神経を切ってしまうので、
右側の顔の、口端や頬が上手く動かなくなると。
それを聞いた途端に、
緊張で張り詰めていた私の目から涙が出始めました。
手術の概要は、主治医から聞いていた内容と同じだったのですが
想像力の欠如なのか、今まで目の前のことに必死だったせいなのか
未来の自分というものを全くイメージできていなかったので
たぶん本当の意味で、病気の重さを感じた瞬間だったのかもしれません。
「先生、私、笑えなくなるのですか」
「そんなことはないけれど、あなたも頑張らなくてはいけないよ」
それから私は、挨拶を終えて、
口腔外科の外来にいる主治医のところに行くと
主治医は元気な声で、"どうだった?"と私に聞きました。
「先生~ショックだったぁ~~~!」
そう言いながらも、また涙がボロボロとこぼれて、
Dr.ニヒルから聞いた話を伝えたけれど、
なんだか明るい主治医と話をしていたら、
突然吹っ切れたように楽になりました。
"なってしまったものは、仕方がない"
それから私は、退院手続きを終えて、
抗癌剤で体力の落ちた体でヘトヘトになりながら一人家につき
昼食には、入院中無性に食べたかった豚トロ弁当を食べて
昼寝をしようとしたその時です。
今までにない、大きくて、揺れの長い地震がおきました。
倒れそうになるテレビを押さえて、揺れが治まるのを待ちましたが
食器棚の中にあった茶碗が落ちて、
観葉植物の入った花瓶は倒れて床は水浸し、
安物の組み立て式の3弾シェルフは、中身ごとバラバラに崩れました。
それから手術までの3週間弱の間
度々続く余震を心配しながら、情報量の少ないニュースと
繰り返し流れる同じ映像を見ながら、
ただ何も考えずに、手術までの毎日を過ごしました。
*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*--*
昨年の11月、仙台の松島に訪れる機会がありました。
観光地であるそこは、逆にとても綺麗に復興されていて
地盤沈下によってできた道路上の海水の水たまりを除けば
ぱっと見たところでは、地震のひどさが伺えないくらいになっていました。
友人とレンタカーを借りて、海沿いに北に向かうと
偶然辿りついた町がありました。野蒜(のびる)という町でした。
そこは、1年半たっても、電信柱が倒れたまま使われていないJRの駅や
窓ガラスがなくカーテンが海風で泳ぎ、校庭がところどころ沈没した学校。
以前は、松林が一面にあったという更地。
電車が開通していないので、
子どもたちは遠くの学校に通うことができないのだそうです。
風が吹く寒い日、
被災地の状況を見に来た復興支援ツアーのバスが着くと
廃墟となった駅の前でボランティアの方たちが、温かいコーヒーを差し出し、
写真を見せながら当時の話しをしてくれます。
背後の防波堤が、ベリベリベリという音を立て、
振り返るとはるか向こうにも海水はなく、海底までが見えていたことや
父親と車に乗り込もうとした時に、ヘドロに飲み込まれて流され、
堪忍と諦めかけた時に、助けてくれた人がいたこと。
そして車に乗っていた父親が見つかった時には
既に他界していたこと。
同じ事を、何度も何度も繰り返し話をしているだろうに、
その日も真剣に、まるで昨日起こった出来事のように
一生懸命、私達に話をしてくださいました。
自分のことに必死で、何もしなかった私に、
その人は明るい笑顔でこう言いました。
「こうやって、ここに来てくれただけで嬉しいの」
一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。
(現地ボランティアの方による色紙イラスト)

