空よりも天高く -13ページ目

東日本大震災

気がつけばもう3月。ずいぶんと東京は暖かくなりました。
仕事に戻ってからというもの、また昔のように
毎日があっという間に過ぎていきます。

2011年、東日本大震災があったあの日、
私は2回目の抗癌剤治療を終えて、退院をする日でした。

2回目の抗癌剤も、副作用がほとんどなかったことで、
きちんと食事もできたせいか、12日間で退院になりました。


その日の朝、私は初めて形成外科に呼ばれ外来に向かうと、
そこには紳士風のとても素敵な先生がいました。
Dr.ニヒルです。

3月末に控えたガンの切除手術と、再建手術の説明でした。
緊張した面持ちの私が挨拶をすると、先生は真面目な顔で話を始めました。

まず、口腔外科の先生方が、右の下顎の骨を切除し、
その後で、左膝下の足の腓骨の一部をとって、
顎の代わりの骨にすること。

そして、卵大の大きさに切除されることになった
右耳の下あたりの頬の皮膚と、癌が転移した舌の1/3、
それと口の中の内側に、
お腹の皮膚と、足の皮膚を血管ごと移植すること。

先生は、紙に書きながら黙々と、そしてゆっくりと
説明をしてくださいました。

手術後1週間は、集中治療室にいること。
2週間は、人工鼻をつけているので声をだせないこと。
3週間は、食事ができないこと。

そして、先生はこう言いました。

手術する時に、右頬の神経を切ってしまうので、
右側の顔の、口端や頬が上手く動かなくなると。


それを聞いた途端に、
緊張で張り詰めていた私の目から涙が出始めました。

手術の概要は、主治医から聞いていた内容と同じだったのですが
想像力の欠如なのか、今まで目の前のことに必死だったせいなのか
未来の自分というものを全くイメージできていなかったので
たぶん本当の意味で、病気の重さを感じた瞬間だったのかもしれません。


「先生、私、笑えなくなるのですか」

「そんなことはないけれど、あなたも頑張らなくてはいけないよ」




それから私は、挨拶を終えて、
口腔外科の外来にいる主治医のところに行くと
主治医は元気な声で、"どうだった?"と私に聞きました。

「先生~ショックだったぁ~~~!」

そう言いながらも、また涙がボロボロとこぼれて、
Dr.ニヒルから聞いた話を伝えたけれど、
なんだか明るい主治医と話をしていたら、
突然吹っ切れたように楽になりました。


"なってしまったものは、仕方がない"


それから私は、退院手続きを終えて、
抗癌剤で体力の落ちた体でヘトヘトになりながら一人家につき
昼食には、入院中無性に食べたかった豚トロ弁当を食べて
昼寝をしようとしたその時です。

今までにない、大きくて、揺れの長い地震がおきました。

倒れそうになるテレビを押さえて、揺れが治まるのを待ちましたが
食器棚の中にあった茶碗が落ちて、
観葉植物の入った花瓶は倒れて床は水浸し、
安物の組み立て式の3弾シェルフは、中身ごとバラバラに崩れました。


それから手術までの3週間弱の間
度々続く余震を心配しながら、情報量の少ないニュースと
繰り返し流れる同じ映像を見ながら、
ただ何も考えずに、手術までの毎日を過ごしました。


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昨年の11月、仙台の松島に訪れる機会がありました。

観光地であるそこは、逆にとても綺麗に復興されていて
地盤沈下によってできた道路上の海水の水たまりを除けば
ぱっと見たところでは、地震のひどさが伺えないくらいになっていました。

友人とレンタカーを借りて、海沿いに北に向かうと
偶然辿りついた町がありました。野蒜(のびる)という町でした。

そこは、1年半たっても、電信柱が倒れたまま使われていないJRの駅や
窓ガラスがなくカーテンが海風で泳ぎ、校庭がところどころ沈没した学校。
以前は、松林が一面にあったという更地。

電車が開通していないので、
子どもたちは遠くの学校に通うことができないのだそうです。


風が吹く寒い日、
被災地の状況を見に来た復興支援ツアーのバスが着くと
廃墟となった駅の前でボランティアの方たちが、温かいコーヒーを差し出し、
写真を見せながら当時の話しをしてくれます。

背後の防波堤が、ベリベリベリという音を立て、
振り返るとはるか向こうにも海水はなく、海底までが見えていたことや

父親と車に乗り込もうとした時に、ヘドロに飲み込まれて流され、
堪忍と諦めかけた時に、助けてくれた人がいたこと。

そして車に乗っていた父親が見つかった時には
既に他界していたこと。

野蒜駅


同じ事を、何度も何度も繰り返し話をしているだろうに、
その日も真剣に、まるで昨日起こった出来事のように
一生懸命、私達に話をしてくださいました。


自分のことに必死で、何もしなかった私に、
その人は明るい笑顔でこう言いました。


「こうやって、ここに来てくれただけで嬉しいの」



一日も早い復興を、心よりお祈り申し上げます。



色紙

(現地ボランティアの方による色紙イラスト)