あのポンセが激怒!?岩本勉氏 日本ハム“河川敷球場”での思い出「午後2時で少年野球に譲らないと | ハロー・ベースボール!

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「転職活動のメモと野球観戦記」から始めましたが、
ほとんど野球のことだけになっています。

大学三年以降のことを考えて、
二年生の秋に、横浜から、

授業にも.練習にも通い易い、都内に引っ越して、

それからは、
ほぼ毎日、
練習で、多摩川を渡るときに、
日本ハムのグランドを見ていたので、
岩本さんの話に、
懐かしくなった。

同期に誘われて、
新丸子から歩いて、
練習を見に行ったことも有った。

プロ野球選手を
間近に見ることが出来て、
なんか不思議な感じもした。

日本ハムが、北海道に移転して、
練習グランドも、鎌ヶ谷に移転、

多摩川グランドは、
少年や、ときに、高校生らしき選手?
のグランドになった。

が、あるとき、大雨で、
グランド全体も川の流れの一部になって、
その後、電車から見たら、

外野のフェンスは全滅。
おそらく、
以前は金属製のフェンスだったが、
遠目でも、
棒にロープのようなフェンスと置き換わり、
とても残念に思った記憶もある。

その後、
大改修?なのか、
ホームベースの位置を、
少し動かしたと思う。

対岸の讀賣のグランドは、
何年か前に、
思い出したように、
讀賣の一軍が練習したことが有ったが、
どうなっているのだろか?

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 元日本ハムの岩本勉氏(51)が1日放送のフジテレビ「ジャンクSPORTS」(土曜後5・00~)に出演。1986~90年まで日本でプレーした元大洋ホエールズのカルロス・ポンセ氏(64)との“エピソード”を明かした。

 毎週土曜午後5時にお引越しとなった同番組は「昭和のスポーツ遺産 プロ野球編」として初回放送。今の時代では考えられない昭和プロ野球の逸話の数々にスタジオから驚きの声が上がった。

 岩本氏は、かつて日本ハムが練習場を少年野球とシェアしていたことを聞かれ「今でこそ北海道で大ブレーク中の北海道日本ハムファイターズですけど、東京にいた日本ハム球団の時は、練習場はまず多摩川の河川敷。あそこは河川敷法が厳しくてバックスクリーンがないんですよ。川崎市が“所有”していたので、午後2時になったら少年野球に球場を譲らないといけなかった」と説明した。

 さらに河川敷球場ならではのエピソードも披露。「ある時、イースタンリーグの公式戦も行われていたんですけど、当時大洋ホエールズにポンセがいたんです。彼が調整で2軍の試合に来たことがあって、テレビで観ているポンセが来たと日本ハムの選手がエキサイトしていたんですよ」と前置き。「そしたら試合でヒットを打った次の日、ポンセがいなかったんです。ああ、もう一軍行ったんかなと大洋ホエールズの同級生に聞いたら“違うねん。シャワーもないような球場で野球が出来るか!!と言われた”と怒りともに欠席してたんです」と明かし、スタジオの笑いを誘った。