今日の産経新聞1面トップに「自民党総裁選9・20投開票 首相と石破氏 一騎打ちへ」という大見出しがあり、サブ見出しで「参院・吉田氏『反安倍なら支持せず』」という記事がある。冒頭の部分を紹介したい。

「総裁選はこういう事になりましたが、終わったらまた仲良くやりましょう」
今月11日、党参院幹事長、吉田博美の携帯電話が鳴った。電話の主は首相の安倍晋三だった。
 数々の国会を乗り切ってきた吉田と安倍の絆は深い。にもかかわらず、吉田は、師匠である元参院議員会長、青木幹雄の意向をくみ、党総裁選で参院竹下派が元幹事長の石破茂を支持する方針を打ち出した。安倍からの電話を受け、吉田の胸に忸怩たる思いがこみ上げてきた。
 「私は石破氏の記者会見に頭に来ているんです。あれじゃ、首相に対する個人攻撃じゃないか。石破氏には『反安倍を掲げて総裁選をやるなら支持できない』と言ってやるつもりです」
 安倍は石破への評論を避けつつ、こう応じた。
 「とにかく今後も緊密に連絡を取り合いましょう」

 安倍総理の周到な気配り、政治家としての懐の深さが伝わってくる。一方、吉田氏のおかれている立場も伝わってくる。
 このやり取りを読みながら、小渕恵三先生が加藤紘一氏らと争った(平成11年の総裁選挙)を想い出した。結果は小渕総理の圧勝であった。
その後の閣僚人事で加藤紘一先生は小渕総理に電話をかけてきた。「うちからは誰と誰を入閣させてほしい」ということだった。
 小渕総理は毅然として「加藤君、俺に歯向かっておきながら、これを頼む、あれを頼むは筋が通らないのではないか。聞く耳持たない」と電話を切った。その場にいた人は小渕総理の迫力に一瞬沈黙した。私が「総理のおっしゃる通りです」と口を切り、元の空気に戻った。
 橋本龍太郎政権で幹事長をしていたのは加藤先生で、小渕派の中には加藤シンパもかなりいた。
 それから加藤紘一先生は表舞台に出ることはなかった。平成12年11月、ときの森政権にクーデターともいえる、いわゆる「加藤の乱」を仕掛けたのが最期だった。
 自民党総裁イコール内閣総理大臣である。たった一人のリーダーを選ぶには、敵か味方がはっきりしなくてはならない。戦国の世であるならば、勝つか負けるかで、首が飛ぶのである。
今の時代、そういったことはないが、相当な決意と覚悟を持って、司々(つかさつかさ)にある者は考えなくてはならない。
その点、石破氏は本当の戦いをわかっているのかどうか首を傾げざるを得ない点がある。
 「石破を支持したら冷や飯だとか冷遇だとかいわれている」などと言葉にするだけでも甘い。総裁選挙は言葉の遊びをする戦いではない。
 この点でも安倍総理の胆力が比較にならないほど勝っている。だから日本は安心なのである。
 午後の便で旭川に飛び、士別で大変お世話になった方のお通夜にお参りに行く。
振り返れば、中川一郎先生時代からのお付き合いで、心からのご冥福をお祈りした次第である。