今日も産経新聞は1面トップで「荒天時 乗船代案なし 学校側 国の安全指針軽視 辺野古転覆」。
22面でも「研修旅行 現役教員も憤り 下見で船安全性確かめず」と扱っている。
私立学校を所管する京都府は勿論、文部科学省も当時の状況、何よりもどうしてこういう事態に至ったのか国民に説明すべきである。
昨日札幌で正午から北海道を代表する企業である道路工業株式会社の親睦会である「エゾ松会」に鈴木貴子代議士と出席し挨拶する。
今年1月21日、中田良孝会長が亡くなられたが、中田隆博社長を中心に人間関係を大切にされ、人情、信義、恩義、人としての心構えを大事にする先代の教えを継承している。私もその「中田イズム」を持って政治家として歩んで参りたい。
昨日の夜は東京で昭和44年中川一郎先生の秘書になったときの上司である若狭靖さんと自民党幹事長をされた武部勤さんと懇談する。
若狭さんは昭和46年29歳で北海道議会議員になり8期務め、その間道議会議長にも就任され、その後地元の厚岸町長を6期務めた。
武部さんは昭和46年の統一地方選挙で道議会議員選挙に出馬し、若狭さんと同期当選である。このとき自民党の公認を得られず中川一郎先生が表に出られないので、当時23歳の私が遊説の弁士、後援会作り等を行った。後に自民党幹事長になるスタートとなった。
昭和58年中川一郎先生が亡くなったとき、若狭さんも武部さんも後継の1人として名前が挙がった。私は若狭さんが中川先生の後継で良いと考えたが、中川昭一さんを担ぐ人たちは受け付けなかった。その年の12月の選挙では私も出ることになり、武部さんも出た。2人とも無所属での闘いで、若狭さんは中川昭一さんを応援した。結果は、定数5人中社会党議員が3人、自民党は中川昭一さんだけで、無所属の私は4番目で当選し、自民党は急遽追加公認を決めた。この時、武部さんは残念ながら落選だった。
50年以上の付き合いで、近くて近い関係の3人だが、3人での会食は初めてだった。いろいろな想い出話に触れ、有難い人生を振り返る。
今朝一番の女満別空港行きに乗り、根室管内標津町、中標津町、別海町、根室市の鈴木貴子後援会会合に出席する。2月の総選挙で根室市、根室管内は72%の支持を戴き、20時当確の原動力の地区で力強いご支援に心からの感謝を申し上げた。
鈴木貴子、40歳、当選6回、政治センス、頭の回転は申し分ない。何よりも私、鈴木宗男を反面教師にしており、これから人間力をつけていけば10年後、20年後結果が付いてくるだろう。しっかり努力、精進してほしいと願うものです。
18日のコメント
i-gatsby777さん、アメリカとイランの直接対話で解決することを願っています。
ひでおさん、いつも有難うございます。
katsuosatohさん、検察の抗告禁止をさせることが再審法改正の一丁目一番地です。
tobias-teaさん、再審法改正のスタートは袴田巌さんの冤罪でした。検察がこのことに思いをいたせば落ち着く話です。
松村訓明さん、間違った権力の行使をチェックするのが国民から選ばれた国会議員の使命です。しっかり取り組んで参ります。
kairoscronos310さん、歴史上、終わらない戦争はありません。一日も早く終わらせることが一番です。次の協議に期待しています。「りくりゅうペア」最後までドラマチックでした。
鈴木貴子標津町新春交礼会
鈴木貴子中標津町新春交礼会
鈴木貴子別海町新春交礼会
鈴木貴子根室市新春交礼会







