旦那さまをご機嫌にする
素直なかわいい妻になる方法をお伝えする
心理カウンセラー まみーですI






たしかね

離婚届出したあと

思ってたんよ。




もしお母さんが生きてたら

きっと離婚しなかっただろうって。



もし、お母さんが生きてたら



絶対ガマンしなさいっていうだろうし

離婚なんてするもんじゃない

他の夫婦だっておんなじ

どこも似たようなもん

男はみんな、そんなもん

女がガマンすべき

あんたがわがまま

あんたが折れなさい

離婚なんてみっともない

人様から笑われる

人様からバカにされる

出戻りって笑われる

世間体が悪い

親に心配かける

親に迷惑かける

親が笑われる

離婚したらどうやって生活するの?

子どもはどうするの?

誰が育てるの?

あんた子どもふたりどーやって育てるの?

女が働くなんて、そんな簡単じゃない

世の中を甘くみるんじゃない

絶対、苦労する

子どもが片親じゃかわいそう

とにかく辛抱しなさい

先方さんにも迷惑かける

結婚式も盛大にしてるのに




そんなことを言うだろうと思った。

だから

たぶん

親のいう通りに

ガマンしていたかもしれないと思う。




そして実際

私が離婚を決断できずに悩み、葛藤したことは

まさに、これらの呪いのような言葉の数々を

ひとつひとつ

まるで鉄の鎖をブチ切るように

断ち切っていくことだった。


私をがんじがらめにしている鎖を。



お母さんは7年前には死んじゃっていないのに

私はそう言うであろうお母さんから

お母さんが放つであろうその呪いから

逃れようと必死にたたかっていた。


そして同時に

自分のお腹の底に隠してるものも みつめざるおえなかった。




せっかく、会社の跡継ぎと結婚したのに

玉の輿っていわれてるのに

だから、ほかの友達と比べて優越感を感じていたのに

友達のなかでは誰よりもはやく持家を建てたのに

家は5LDKで庭には芝生をはってブランコもあるのに

まだ結婚してない友達もいる中で、私は結婚して子供もいるわ

それがひそかな自慢だったのに

みんな私をうらやましいと思ってるに違いないわ

それが私には快感だったのに

私だって負けてないわって思えてたのに


私はそれを全部捨てることができるのか?



離婚なんかしたら

きっと他の友達はお腹の中では笑うだろう

人の不幸は蜜の味

いい笑いものになるだろう

心の中ではバカにするだろう

ざまあみろって思われるかもしれない

お金持ちから一気に転落

嘲笑されるんだ、きっと…


そんなことより

子どもはどうなる?

ふたりの子どもの父親を奪うのか?

自分の勝手な都合で?

ふたりの子どもの人生を変えてしまうのか?

そんなこと許されるのか?

その罪悪感をずっと抱えたままで生きていけるのか?



私はそれに耐えられるのか?

その全部を受けて生きていけるのか?

そんな重いもん からって生きるくらいなら

笑いものにされるくらいなら

ビンボーになるくらいなら

離婚なんかしなくてよくない?

今のまま、ガマンしててもいいんじゃない?

わざわざ離婚する意味があるのか?

なんのために離婚するんだ?

ふたりの子どもを犠牲にしてまで?



次から次へと出てくる私の中の観念。

呪いの暗示

妄想

執着

見栄

罪悪感





そのひとつひとつの言葉を

ほんとにそうなの?

もしちがっていたら?

もしそうだとしたら?

そして

私はどうしたいの?

私はどうなりたいの?



自問自答していた。

そのひとつひとつを壊していかなければ

前へ進めない

そんな感じだった。



ただただ

そのことと向き合い続けていたように思う。



でも簡単じゃなかった。

そこらじゅうを

のたうちまわりながら

怖さとたたかいながら

あるときは、血ヘドを吐きながら

あるときは、涙を流しながら


なんでこんなもんにしばられてるんだ!!

なんで、どうして、こんなもんを手放すのが

怖いんだ?!

そうあがいて、もがいて、苦しんだ。



ああ、誰か勇気をください。

この私を縛る鎖を断ち切る勇気を!


とうとうそんな気持ちまでもでてきた。

必死に祈るように。




何にも食べられず

一気に痩せて

どうやって子どものことをやっていたのかも記憶にないし

手も震えるようになってしまった。



もういい加減、この悩む苦しみから解放されたかった。

なんだか見も心もボロボロになった気がしてた。

心はやつれ果てて憔悴してた。




いま思えば、

「離婚する」が前提だったと思う。


私の心はすでに「離婚する」という答えを出していたんじゃないか。


だから、自分にかけられた呪いを

自分を縛る鉄の鎖を

必死に解こうとしていたのかもしれない。



私は、最終的に


「人からどう思われるのかということばかりに囚われていること」

に気がついた。


「長ーい目でみたらどうなるかわからない人生を、ほんの一瞬の自分と他人を比べて

ちっぽけな目先の損得に振り回されて、ほんとうの自分の気持ちを失ってしまうこと」

に気づいた。


「他人がどう思うかばかりを基準にして生きていたら、自分の本心はどうなってしまうのか?」

「自分の人生は自分が生きるんだ、他人が自分の人生を生きるわけじゃない」

「だったら、自分の人生をどうするかなんて、自分が決めていいんだ」

「他人が自分の人生を幸せにできるのか?そうじゃないよね」

「他人が自分の人生のなかでおこる辛いこと悲しいこととか嫌なことを肩代わりしてくれるのか?」

「もし離婚して大変ねえと言う人がいて、その人がじゃあ生活費あげるよといってお金をくれるのか?」

「自分の人生に起こるできごとは、ぜんぶ自分もち」

「だったら人からとやかく言われる筋合いないんです」

「だったら自分の意思で生きていこう」

「貧乏だからとか、金持ちだからとかで人の幸、不幸が決まるわけじゃない」

「片親で育った子どもがみんな非行に走るのか?んなわけないよね」

「両親がそろっていたって不良になるし」

「結婚してるから幸せとか、してないから不幸せとか、そういうのはない」

「ならば離婚したから不幸だと決まっているのか?」

「結局、どんな状況であれ、どんな自分であれ、自分が幸せだと思えれば幸せなのだ」

「ということは、なにごとも自分の受けとめかたひとつで、幸にも不幸にもなるってことだ」



「人からどう思われようと、私は私であることに変わりはない」

「自分に正直に生きよう」

「自分の気持ちを偽ったまま生きていくのは苦しいと思う」

「どんな自分であっても自分は自分だ」

「人が私の価値を決めるんじゃない。私の価値は私が決める」

「私は私に誇りを持てばいいんだ」



私はだんだんとそんなふうに考えるようになっていった。



それでも、子どものことは大きかった。

ここにはもう書かないけど、いろんなことを考えめぐらした。



私は、罪悪感を抱えることを選んだんだろうと思う。

そして

最後には

「この母親を選んで生まれて来なければならなかった

この2人の男性それぞれの宿命なのだ」

と思うことにした、というか

そう思わなければ、離婚なんてできなかった。



私を縛っていた鎖は、もうほとんど役に立ってなかったと思う。



次第に気持ちが落ち着いていくなかで

離婚への覚悟ができていったんだと思う。



もうこれ以上は

頭がおかしくなりそうだと

これはもうこの辺で

なんとかしなければと

決着をつけなければという頃だった。


いまだからそう感じるが、

そうなるようにして

そうなっていたようなできごとが重なっていった。



最後のとどめのように

まるで見えない何かに動かされるように

そして私が、私の覚悟を試すかのように

そのとき

もうひとつのありえないことを実行した。




人生のなかでの4度目の大大バンジー。





なんて、私の人生はハチャメチャなんだろう。



おとなしくて

めだつのがイヤで

引っ込み思案で

消極的で

暗い顔して

笑わなくて

ぼーっとしてて

てれーっとしてて

なんにもしゃべれなくて

なにか言おうとしたら涙が出て

いつも人がどうするかばかりみてて

どこにいても自分の居場所がなくて

まるで

自分なんてなかった私が



こんな私になるなんて

誰が思っただろうか(笑)


そのくらい

私にとって離婚というのは

人生観をガバッと180度ひっくり返したような、そんなできごとだったのです。



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