こんにちは
ひまわりまみーです
このブログへおいでくださってありがとうございます。
どうぞよろしくお願いします
私の父は、母が他界して7年後にバツ2の女性と再婚した。
その女性には、最初のご主人との娘と、2度目のご主人との娘がいて、年齢差は10歳あり、長女は結婚を間近にひかえてた。
次女は父と再婚したときは小学3年生くらいだった。
娘2人の父は違っていたが、母娘3人で仲よさそうだった。
父は再婚したとき、次女だけを養女にしていた。
後妻さんは当時、父が自分の連れてきた子どもを可愛がってくれるのをみると、父に対しての感謝がよけいに出てくると言っていた。
そんなもんだと思う。
次女と私の父はうまくいってたように思う。
次女は高校卒業後、看護学校へ進学し、無事に看護師の道をあゆみはじめた。
そして、数年後結婚。
その結婚式には、私も夫も出席した。
披露宴も終わりに近づいたころ、次女が母親への感謝の手紙を読んだ。
「お母さんが、お父さんと再婚したとき、小さかった私は、お母さんがお父さんに取られてしまうようで、ほんとうはとても悲しい気持ちでした」
その一文をきいたとき、女の子も、お母さんを取られてしまうような、そんな気持ちになるんだなあ、とちょっと驚いた。
まあ、父は子煩悩だったのだろう、次女は父と仲良くなっていくのだが。
私が母親の事をあまり好きではなかったから、よけいにへぇー、そういうもんなんだ、という感じだった。
男の子だって、母親が別の男と再婚するとなったら、やっぱり複雑な心境もあっただろうな、とも思う。
私は、どこかノーテンキというか、あまり深くいろいろと心配する性分ではないのだと思う。
いろいろ細かいことを考えていると、グズグズしてる自分にイラつくようなところがある。
だから、迷うときも、あまりに決められなくて迷っている自分がいやになってきて、そういうときは「やめる」ほうに決断することが多いような気がする。
だから、どちらかといえば、結論を出すのが早いかもしれない。
離婚を経験して、なんでもひとりで決めていかなくてはならざるおえない環境が、ますます、そういうふうにしたんだろうとか思っているけど。
なので、
「もう、いろいろ考えたって物事はなるようにしかならんのやけ。ダメならダメでいいやん、やってみないとわからんしさ」
みたいに、ある意味、投げやり?いや開き直り?的な感じで「GO!」ってこともかなりある。
で、やめとけばよかったって後悔するのもきらいなので、やったことに対して、何かプラスになったことを、ほじくってでも見つけ出して、だからまあ良しとしよう、と考えるクセがついているようだ。
やっぱり、自分が決めてやったことだから、全部を後悔するのは、あまりに自分がかわいそすぎると思うから。
しかし、よく考えれば必ずそこに、やったからこそ得ることができたもの、っていうのがあると思ってる私。
「転んでもタダでは起きない」、これが好き。
当然、子連れの再婚だと、相手と自分の子どもがうまくいくだろうか?とか、もし相手にも子どもがいたら私は自分の子どもと差別なく育てられるか?とか、子ども同士が仲良くできるか?とか考え出せばきりがないくらいたくさん心配することはあった。
が、なんとかなるだろうとしか考えてなかったし、相手ができるまではそんな心配はしなかった。
相手ができて、その相手の状況によって、心配することや、解決しなくてはいけないことを考えればいいのであって、相手も決まらないのにそんなことを心配するだけ時間のムダだと思ってた。
そんないろいろ心配するくらいなら、子連れの再婚をする、こと自体をやめていただろう。
というわけで、私は子連れ再婚活動へまっしぐらに進むのだった。
④へ続く
今回も読んでくださってありがとうございました
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その女性には、最初のご主人との娘と、2度目のご主人との娘がいて、年齢差は10歳あり、長女は結婚を間近にひかえてた。
次女は父と再婚したときは小学3年生くらいだった。
娘2人の父は違っていたが、母娘3人で仲よさそうだった。
父は再婚したとき、次女だけを養女にしていた。
後妻さんは当時、父が自分の連れてきた子どもを可愛がってくれるのをみると、父に対しての感謝がよけいに出てくると言っていた。
そんなもんだと思う。
次女と私の父はうまくいってたように思う。
次女は高校卒業後、看護学校へ進学し、無事に看護師の道をあゆみはじめた。
そして、数年後結婚。
その結婚式には、私も夫も出席した。
披露宴も終わりに近づいたころ、次女が母親への感謝の手紙を読んだ。
「お母さんが、お父さんと再婚したとき、小さかった私は、お母さんがお父さんに取られてしまうようで、ほんとうはとても悲しい気持ちでした」
その一文をきいたとき、女の子も、お母さんを取られてしまうような、そんな気持ちになるんだなあ、とちょっと驚いた。
まあ、父は子煩悩だったのだろう、次女は父と仲良くなっていくのだが。
私が母親の事をあまり好きではなかったから、よけいにへぇー、そういうもんなんだ、という感じだった。
男の子だって、母親が別の男と再婚するとなったら、やっぱり複雑な心境もあっただろうな、とも思う。
私は、どこかノーテンキというか、あまり深くいろいろと心配する性分ではないのだと思う。
いろいろ細かいことを考えていると、グズグズしてる自分にイラつくようなところがある。
だから、迷うときも、あまりに決められなくて迷っている自分がいやになってきて、そういうときは「やめる」ほうに決断することが多いような気がする。
だから、どちらかといえば、結論を出すのが早いかもしれない。
離婚を経験して、なんでもひとりで決めていかなくてはならざるおえない環境が、ますます、そういうふうにしたんだろうとか思っているけど。
なので、
「もう、いろいろ考えたって物事はなるようにしかならんのやけ。ダメならダメでいいやん、やってみないとわからんしさ」
みたいに、ある意味、投げやり?いや開き直り?的な感じで「GO!」ってこともかなりある。
で、やめとけばよかったって後悔するのもきらいなので、やったことに対して、何かプラスになったことを、ほじくってでも見つけ出して、だからまあ良しとしよう、と考えるクセがついているようだ。
やっぱり、自分が決めてやったことだから、全部を後悔するのは、あまりに自分がかわいそすぎると思うから。
しかし、よく考えれば必ずそこに、やったからこそ得ることができたもの、っていうのがあると思ってる私。
「転んでもタダでは起きない」、これが好き。
当然、子連れの再婚だと、相手と自分の子どもがうまくいくだろうか?とか、もし相手にも子どもがいたら私は自分の子どもと差別なく育てられるか?とか、子ども同士が仲良くできるか?とか考え出せばきりがないくらいたくさん心配することはあった。
が、なんとかなるだろうとしか考えてなかったし、相手ができるまではそんな心配はしなかった。
相手ができて、その相手の状況によって、心配することや、解決しなくてはいけないことを考えればいいのであって、相手も決まらないのにそんなことを心配するだけ時間のムダだと思ってた。
そんないろいろ心配するくらいなら、子連れの再婚をする、こと自体をやめていただろう。
というわけで、私は子連れ再婚活動へまっしぐらに進むのだった。
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