きのう、去年の6月に書いた記事に
いいねをつけていただきました
10ヶ月前になるんだなあ、
ちょうど心屋塾のジェニーさんのマスターコースに行きだす前だったんだなあとか
いろいろと思いだしたりして。
10ヶ月前のことだけど
もっと前のような気がする
心屋心理カウンセラー まみーです
そしてまたきのう
子どもって
お母さんの笑顔が大好きなんだよねーって
やっぱり
お母さんの笑顔をみたいだけなんだよなーって
感じたことがあったので
再アップします
よかったら読んでいただけると嬉しいです
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幼い頃から自信のない子どもだった。
自分から進んで何かをやるなんて、考えられない子どもだった。
いつも人の後から、人の振りをみて動くような子どもだった。
自分から大人に向かって口をきけなかった。
自分のことをどう思ってるか、表情や言葉のちょっとしたニュアンスで敏感に察知してた。
少しでも私のことをよく思ってなさそうだったら、黙って殻に閉じこもった。
私のことを優しい眼差しでみてくれる人とは話ができた。
そんな人に対しては、おしゃべりだったし、笑うことができた。
けれど、そんな大人はごくわずか。
ほとんどの大人は、私のことを可愛げのない子だ、と思ったろう。
なおさらオドオドとした様子をみて、冷たい視線を向けられてるように思えた。
そして、ますます卑屈になってしまう。
そんな子どもだった、私。
子どもって、親がどんなふうに子どもに接するかがとても大事。
私の母はもう亡くなって三十年経つし、きいたことないが
私が何をやっても、何をしゃべっても、
受け入れてもらったり、認めてもらったことがなかったんだろうな。
小さかった頃の母の記憶は、いつも私をとがめてたり、けなしたりで、ほめられたなんてことあったかな?みたいな。
ただ、ニコニコ黙って話をきいてくれて
よかったね
楽しかったね
かなしかったね
さびしかったね
うれしかったね
つらかったね
おどろいたね
がんばったね
とか、そんな言葉で受けとめてくれるだけで、ずいぶん違ったんじゃないかなあと、そんなふうに思う。
一度だけ、母にほめられたことを、とてもよく覚えている。
いや、ほめられたというよりは、喜んでくれたというか。
小学校1年生のときの国語の本読み。
本を見ずにそらんじた。
そしたら、母は喜んだ。
そう、笑った顔をみたとき、すごく嬉しかったんだ。
そうだ、そうだ。
そうなんだよ。
いつも不機嫌な母親の顔ばかりをみてたけど、あのときは、ほんとうに笑顔だったなあ。
笑ったお母さんは、とても優しくみえたんだ。
だから、お母さんの笑顔がみたかったんだよ。
だから、国語の勉強を頑張ったら、お母さんが笑顔になるって思って。
それ以来、ずーーっと国語の成績だけはとても良かった。
国語が大好きになって、勉強するのが楽しくて、どんどん頭に入った。
けど、他の嫌いな科目は全然やる気も起こらず、さっぱりだったけどね。
だが、大げさかもしれないが、国語が好きだったことが、その後の私の人生の救いになったのかもしれないと、おもえるぐらいだ。
とにかく
お母さんの笑顔って、
子どもにとっては絶大なんだよねー。
子どもって、お母さんを喜ばせたいんだね。
笑顔にしたいんだ。
だから、お母さんが笑顔じゃなかったら、子どもも悲しいんだよ。
そして、子どもも心からの笑顔にはなれないんだ、きっと。
お母さんが笑顔でいること。
これって、とっても大事なことなんだー。
お母さんが、いつも笑っている顔をみるだけで、子どもは、自分はここにいていいんだって安心できるのかな。
どんな自分でも、お母さんのそばにいていいんだって。
だから、母親の私こそが、笑ってられる毎日を過ごすこと。
そういうことなんだ。
子どもに笑いかけてみよう。
それが、いちばん子どもの存在そのものを認めることになるんだ。
お母さんの笑顔で、子どもは、自分は生まれてきてよかったと思えるんだね。
そんなことを思いました。
あなたは、笑顔で過ごせてますか?
まずは、自分が笑顔でいられること。
それがいちばん大事かな。
私は数日前の夜、腰を痛めました。
夫とソファーを持上げて、降ろすときにピリっとやりました。
さすがに、痛いときは笑えないですぅ。
そんな日もありまふ。
だから、ムリして笑うこともないとおもいますけど。
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体の調子が悪いときなんて
笑いたくても
笑えないしね。
そんなときは無理に笑うこともないし。
ときどきでもいい
ときどきでいいから
大好きーって
言葉で伝えて
抱きしめてあげよう。
今日もさいごまで読んでくださってありがとうございます
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