そんなわけで


以前助けた人のことがあってから
夫は少しずつだけど
過去に関わってきた人たちのことを
わりと話してくれるようになった。



それらの人たちは、
夫の仕事の関係で
関わらざるおえない人たちばかりだ。


そういう人たちの
面倒をみていた夫は
いつもお世話になる総合病院があった。




夫は自分の会社の社長業をしていたが
いつもヨレヨレの作業着に
かかとを踏んづけたままズックをはいて



ほんとにしょっちゅう
一年365日のうちの大半
朝も昼も夜も夜中も


病気のひと、
怪我したひと、
泥酔したひと
事故にあったひと


いつもドロドロな人たちを
肩にかついで
自分もドロドロになりながら
病院の救急へ運び込むのだった。


そして、

毎日、病院にやってきて
その人たちに
下着やら衣類やら
食べ物やら
かいがいしく届けるのだった。


そして、その人たちに代わって
きちんとお金を払い
手土産を持ち
深々と頭を下げて。


いつも礼儀正しく
律儀で
でも、走り回っていた。



いつしか、病院の一部の人が
夫のことを
神様のような人
と言っていたとか、いないとか。




でも
最近まで
そんなことは知らなくて


たまたま
昔の知り合いと出くわして
この人は、神様のような人やけ
と言われたといって
驚いていた。




私は、神様の話は知らなかったが
そういった苦労話を
時々はきいたことも
あったような。



けど、社長さんだけど、
そんなこともしてたのね
大変だったね、
ぐらいの捉え方しか
してなかった。




でもこのごろは



夫は今まで
ずっと人の為に生きてきたようなもんだな。


夫のまわりにいる
縁のある人たちの為に


自分を犠牲にして
尽くしてきたんだな。


誰でも真似できることじゃない。


過去世からの
どんな因果であったとしても


やっぱり
それができたということは
すごいことだ。



と、そんなふうに
思えるようになった。





「人」っていうのは
360度、いろんな角度で
全部みえるものが違う。


こちらからだと、こうみえるが
あちらからだと、ああみえる
みたいな。


そして、みる側の見方ひとつで
また みえるものが
違ってくる。





夫から、
社長だったころの
昔話をきいて


「お父さんは
たくさん徳を積んでるきてるから


何にも心配しなくても
これからは幸せになっていくに
決まってるじゃないか」



と思わず言っていた。



先週の心理学の勉強で
自分のことを自分でほめよう
認めよう
いたわろう
という
セルフラブということを
学んだので


夫にも


自分は、大変だったけど
ほんとに人の為に頑張ってきたな
お疲れさん




自分を抱き締めてほしいと


自分を褒めてほしいと




ほんっとに そう思ったから





「お父さん、すごいよ」



「お父さんじゃなきゃ、できんかったことやん!」



「お父さんは、素晴らしいよ」




って、言ったんだよね。











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