仏さまにの前に座っていると
いろいろなことが頭に浮かんできた。

自分自身と向き合うことのできる大切な
時間だ。





長男に対して 心配で心配でたまらない。

なぜ長男はあんなふうなのだろう?

私が心配しているのがわからないのだろうか?

いや、もう ほっとけばいいじゃないか。

いや、ほっとくわけにはいかない。

母親の私が困るから?

いや、そうじゃない。決してそんな訳ではない でも

もっとちゃんと出来ないのか、といつも思っている。

長男がもっとこうだったら、ああだったら
私はそんなに心配しなくてもいいのに…

長男を見ていると無性に腹が立ってイライラする。

それはなぜ?

そして、つい邪険にしてしまう。
ひどい言葉を投げつけることばかり。

親から言われたら すぐ行動して。
ボーッとしてないでさっさとやって。
何度も同じこといわせないで。
一回言ったらわかるでしよ。
ぐずぐずするな。
そこどいて、じゃま。

そんなことばかり言ってしまう。
なぜ?なぜ?
次男だって同じ我が子なのに次男にはなんの文句もない、何をしても腹が立たない。
なぜ?なぜ?なぜ?

自問自答がはじまる。



私が見ている長男は
幼かったころのわたしによく似ている。

私はあの頃のわたしが嫌い。

だっていつも母親に文句ばかり言われてたから。

ぐずぐずしてる。
ボヤッとしてる。
テレっとしてる。
ヘマばかり。

そんなこと言われていたあの頃のわたしに
長男はそっくりなようで、
だから腹がたつ。
親に文句言われ続けていたあの頃のわたしをみているようで。



でもそれって、なに?


ハッと思った。

私はわたしが親にされていやだったことを、

おんなじことを長男にしているじゃないか。

そんなつもりは全くなかったのに。
そう、そんなつもりはなく、でも知らず知らず同じことしてた。

自分がされて嫌なことを人に対してする、っていうのが大嫌いな私。

それを自分のポリシーのようにしていたのに

私は、あろうことか
我が子に対して
自分がされていちばんいやだったことをしていたなんて。


愕然とした。

それに気づかされたとき


私は仏さまに泣きながらあやまった。

私が産んだ子どもであっても 決して
自分の所有物ではない。
この私の子どもたちは、仏さまから預かって育てさせていただいているのだ。
それなのに、私は自分の感情とか気分の良し悪しのままに 子どもにそれをぶつけていたのじゃないか。
子どもといえども、一人の人として
尊ばなければならないのに。

なんと、浅はかだったのだろう。
なんと愚かなことをしていたのだろう。

そんな思いが どっと押し寄せた。

ごめんなさい、仏さま。
許してください、愚かな私を。
ごめんね、長男よ。




そして、私の母のことをおもった。

母もまた、その母との関わり方が何かしら
影響しているのかなあと。


長男に対してちゃんと愛情表現できますように、と祈った。

長男とのこじれてしまった親子関係が
どうか、まともになりますようにと
祈ることしか それしか思いつかなかった。













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