長男は私から発せられる言葉や、言い方のニュアンス、そのときの表情にとても敏感だ。


こちらはそんな気持ちはないときでも
責められたり軽蔑されたり、非難されたりしたように感じ過ぎるようなところがあるように思う。


そして私は長男に対して、いつも否定的な言葉ばかりしか言っていなかったんだなと、今でこそ はっきりと自覚し、また認めることができるようになったが、
当時はまだ、なんとなくそうなんじゃないか?程度だった。


あの「休みたい」と長男が言ったあの朝

ここが私にとっての正念場だ、と思ったのはすごく覚えている。

今までの私から変わらなければいけない日だったのだ。

「本人に任せる」

他人に対してならできることが、なぜ我が子には簡単にできないのだろう。

あの朝、私は「心の底から 本人に任せる」ということをできるか、でかないか
試される日だったんじゃないかと
今になってみれば そんな気もする。


私の心の中に渦巻く押しつけや苛立ちや、怒りの感情を取り払って、彼をひとりの
大人として声をかけようとすることは、簡単なことではなかった。


長男が生まれたときから
私は知らず知らずに ずっとやってきたことを、やっと気づかされたが
それを改めて、まるで正反対のことをやることの大変さ。

でも、私が私を変えなければ。




自分がどうしてもきつければ休めばいいと思うし 自分が考えて決めたらいいんじゃない?


ほんとうに 友達に話しかけるように、
投げやりな言い方だと思われないように、

そう念じて そんなふうなことを言ったと思う。





長男はだまったままだった。

そして、じっとそこに座ったままだった。














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