そういえば、中学三年のとき一ヶ月だけ学校に行った。
私が仕事をやめたのは自分が学校に行かないからだと感じて 一応、私に悪いと思って行ったんだろうと思っているが、どうなんだろう?

担任の先生にも尋ねてみたが、同じような答えだった。
これもまた、ほんとうのところは本人に確認してもいないし、聞いてもあまり覚えてなさそうな気もする。



あと思い出すのは、胸ぐらをつかみ合って大喧嘩したときに、左肩を押されて突き飛ばされたときのこと。

私はふいをつかれバランスを崩し、思い切り後ろへ倒れた。
後ろはガラス窓だったから 倒れた衝撃でひび割れた。
針金が格子状に入ったサッシだったから割れて飛び散らなかったのだろう。
それにヘタをすれば、4階からまっ逆さまに落ちてたな。

ほんとに思い切り後ろへ倒れたから、一瞬ヤバい!と思ったが、思わず力任せに突飛ばしてしまった長男の表情も、私が窓へぶち当たった瞬間、しまった!というような顔をしていた。

あの時は、あとで長男にそのことを話すと
大げさに倒れやがって、と強がって言っていたけどさ。


あの頃すでに身長は私と同じ170センチくらいあったし、どう考えたって私のほうが負けるに決まってるけどね。

あれ以来 私も長男もああいう喧嘩はやめた。

ただ、やはり親としては子どもの機嫌をうかがって、気を使ったりするべきじゃないと思ってたし、たとえ腕力では負けても、どこまでも親として、子どもが間違っていることは間違っていると正すべきだ、腹に決めていたと思う。

あと、何か子どもと真剣に話さなければならないときは、親も未熟なひとりの人間として、正直に子どもと向き合おうとも思っていた。

私はわたしの気持ちを、長男がそのとき わかろうとわかるまいと 正直に話そうと決めていた。
いまはわからなくても、いつか必ずわかるときはくる、と。

今にして思えば、あの胸ぐらをつかみ合ってにらみ合いした喧嘩も
あれがあったから プラスになったことは絶対あるはず、と確信しているくらいだ。

といっても どうかな?なんてね。
思おうとしてるだけかな。ま、いいけど。

いま確かに言えることは、いい思い出だということだけか。

次男はどうしてたのか?
あの喧嘩の最中は、へやの隅っこで嵐が過ぎ去るのをじっと待ってたようなかんじだろう。

とにかく、次男はとりあえずはなんの問題もなかった。
成績もなかなか良好で、勉強しろといわなくてもちゃんと勉強した。
忘れ物もなく、プリント類もきれいに渡すし、私にとってはいうことなしだった。

部活は自分の意志で、中学のときはしないと決めたと言っていた。

中学三年の夏休みから塾に行きだした。
もっと早く行かせてやればよかったとおもったが、次男自身が家庭の経済のことを考えて遠慮してしまったようだ。

が、無事に志望校へ合格し、高校時代はウエイトリフティング部へ所属、不利な体型ながらインターハイへも出場した。









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