その夜、




あの日以来顔を合わすことのなかった夫が




和室の戸をいきなり開けた。




そして例の白い用紙を私の方へ突き出しながら言った。




「なんだ、これは!?」




なんだこれはって、




自分が書いていながら何を言ってるのだろう。




「見たら書いてあったから、私も書いたけど」




そっけなく答えた。




夫は、チッというような不満そうな顔で




何も言わずまた向こうへ行った。








それから二、三日後だったか




夫が、自分がしばらく実家の方へ戻るから




別居して冷静になろうみたいなことを言ったと思う。




それを聞いて




なにをいまさら言ってるのか、としか思えず




「もう結論を出してるのに




そんなことしても私の気持ちは変わらない」と




言った。






夫は親の手前、そういうふうにしたかったようだ。






別居生活は約一ヶ月くらいだったように覚えている。




その間、私は何をしていたのだろう。






その頃、実家の父に再婚を前提に




付き合っている女性ができていて




私の子供を連れて遊びに行くからと




父と共に家へたずねてきたことがあった。




そのときに父が長男の様子が変だと言った。




やたら暴力的になっているようだと。




それから、その女性が




私の様子が以前と比べるとおかしいと気づいて




何かあったのかと聞いてきた。






私はその女性に何もかも話した。




その女性は離婚経験者で




彼女の話すことは




そのときの私にとっては励みになることばかりだった。




そして、ますます離婚への決意は




固まっていった。






しかし、それでも二人の子供をかかえての




将来のことを考えると不安で押しつぶされそうで




まだまだ現実を直視することも怖くて




職探しとか、この家を出た後に住むところを探すとか




しなくちゃいけないとは思ってるけど




全然しようとしてなかった。






そして、例の大学生の姿を毎朝みることを




生きがいのように




不安でたまらない心をごまかそうとしていたのか




その想いを生きる支えのように




彼に没頭している自分もいた。




そして、半分破れかぶれな気持ちで




彼に告白の手紙を書いた。




決して「重い」と思われないように




何度も何度も書き直した。






ラブレターとか書くのは生まれて初めてだったけど




結果よりも




自分の想いを正直にありのまま吐き出したかった。




だから彼に返事は求めなかった。




彼も私のことが少しでも好きだったらいいのに、




とは思っていたけど




現実、彼とどうこうなろうなんて、




いや、正直に言えばなってみたいけど




それでも、そんなことはあんまり考えてなかったと思う。




ただ、今までの自分じゃできなかったことを




やるってことが




そのときの自分にとって




大事なことだったんだろうと、今は思う。






やはり、夫との生活の中で




自分の本音をさらけだすことのできなかった




反動だろうか。






小さい頃から引っ込み思案の




自信のない子だった。




失敗することがいやで




人からだめなヤツとわらわれることがこわくて




萎縮して何もできない子供だった。




思春期になる頃から




そんな自分がいやでいやでたまらなかった。






少しずつそんな自分を変えるため努力した。




でも、恋愛に関しては、




自分から告白するなんて絶対できないし




結果、振られるなんてことになったら




惨め過ぎて




絶対イヤだと、かなり臆病だった。






それでも、働き出して




なんとなく彼氏もできて




結婚もできて、子供もできた。




が、離婚。






今でこそ、離婚するのも




なんだかずいぶんと世の中に違和感なく




受け入れられてしまっているようだけど




まだまだ当時は




肩身がせまかった。




「離婚する」と決断するまでには




最終的には子供のことが一番問題だったけど




最初は、やっぱり世間体とか、見栄とか




そんなことと自分とのたたかいから始まったし。






とにかく彼に手紙を渡せた。




軽蔑されたくはなかったから




真心こめて告白の手紙を書いた。




彼は遠方の大学に下宿して通っていて




父親が亡くなったため、一時休学して




母親の元に帰ってきているのだった。




そしてこの春、また大学へ復学するため




ここを離れることに決まっていた。






出発する日、彼が住所を書いた紙を渡してくれた。




それが、彼が私にできることの精一杯の事なんだと




心からありがたく思った。










それから数日後




「別れたいならお前が出して来い」と




夫が離婚届を持ってきたので




迷うことなく




役所へ提出した。




忘れもしない、平成四年四月二十四日。