結婚して一年後、妊娠。




逆子で、体操しても戻らず、陣痛を待たず帝王切開で出産。




赤ちゃんを産めば、おっぱいは誰でも勝手に出るもんだと思っていた。




母乳を出すということについて知識もなかったし、




その産婦人科医院の看護師さんも助産婦さんも具体的に何にも教えてくれなかった。




何をどうすればいいか全然わからなかった。






こんなときに頼りになるのは母親だ。




が、母は5ヶ月前に急逝していた。




主人の親は病院にこなかったんじゃないだろうか?




いや初孫だから来たはずだろうけど、全然記憶にない。






主人の実家は会社を経営していて、




父親が社長で母親も事務、夫も営業で働いていたし、




私も子供を出産するまでパートで働いていた。




主人の母は、そんなに世話焼きタイプじゃなかったと思う。




今思えば、実母が死んだばかりってわかってるだろうに




嫁が出産するにあたり、心配も干渉もされたような覚えがない。




仲が悪いっていうわけでもなかったけどねえ。




考えてみれば、私も電話一本かけてないし、相談もしなかったな。




私の方が、近づきづらい壁を作ってたのかも。




あー、きっとそうかも。






実母は胃がんで亡くなったのだが、




気がついたときは手遅れ状態だった。




7月末に検査入院、ガンとわかり




開腹手術してみたが、どうにもならない状態のため




そまま閉じ、10月に入って




10日が50歳の誕生日だったが




それを待たずに亡くなった。




母がガンだとわかったときに、主人の母親に電話した。




そのとき、人間性を疑ってしまうような信じられないひと言を




主人の母親は言った。




私の母と主人の母親との間に特になにかがあったわけでもないのに。






そのひと言を聞いたとき




唖然として何も言えず、怒るより




人の親が、楽しみにしている初孫の顔もみることができず




ガンで余命2、3ヶ月といわれてしまったのに




そんなことしか言えないなんて




なんてかわいそうな人なんだろうか・・・




と心からそう思ってしまったことは




鮮明に覚えている。






そんなことがあったので、




私は主人の母親に対して、いい感情はもてなかったと思う。






とにかくそんなわけで




実母もいないし、義理の母親もアテにできないし




赤ちゃんのオムツ交換くらいができるようになった感じの




状態で、退院したはず。






今思うと、知らないってことは怖いことだ。




不安すら認識できないままで、そんなんで子供とか育てて




大丈夫なのか!?




そして、最初のささいなツマヅキが、




子供を育てていく親になるための自覚とか




子供への愛情とかにも




影響してくることもあるんじゃないだろうか、




って、今だからおもうけど。








前夫と私の事に話しを戻そう。




「釣った魚に餌はやらない」などというが




結婚後の夫は、恋人同士だった頃とは




えらく態度が変わっていた。






自分がカチンとくるとすぐにカッっとなって




やたら物を投げつけるということがわかった。




たとえば




傘が飛んできて、幸いよけることができたが




私の後ろのガラスの引き戸に当り、




ガラスが粉々に割れ飛び散った。




何か気に入らなくて、家の壁をグーで殴り




家の壁を、借家の時と自分の新居の時と2度ぶち壊した。






子供が産まれて間もない頃




ちょうど子供が寝たので




やれやれひさしぶりに




バタバタしないでお風呂に入ろうと思い




髪を洗っていると




なにやら怒鳴り声が。




夫が早めの帰宅をしたらしく、




子供が目をさまして泣き出したようで




「子供が泣き出したから、もたもたしないで




さっさと風呂から上がってこい!!」




と、すごい剣幕で風呂場に怒鳴り込んできた。






いったい、なんなんだろう。




悪いことしたわけじゃないのに、なんでそんなに怒鳴る?




あんたには、優しさとか子供への愛情とかないの?




夫に対して冷めた目で見ている私がいた。






喧嘩になるようなことはできるだけ言ったり




したりしないようにしている自分がいた。




私が大人になればいいのだから、と心に言い聞かせながら




生活するようになっていた。






夫の態度も次第に威圧的になって




私がちょっと口答えでもしようものなら




「それ以上何かいうと、打ちくらすぞ」(叩きのめすというようなニュアンスの方言)




などと、なにかと言う様になっていた。




私の心は冷めていくばかりだった。






そのころは二人目の子供も2歳くらいなっていた。




表面的には、仲むつまじい家族にみえただろう。




主人の親の援助もあって、30歳前には5LDKの一軒家を




新興住宅街に購入し、




庭には芝をはり、子供のために砂場をつくり




文句なく幸せな家族のようにみえただろうに。






ある日、夫はいつもより早めに帰宅した。




玄関から居間へ直行し




仕事着も着替えず、




その場に座ったかと思うと




その日発売されたばかりの「少年マガジン」を




むさぼるように読み始めた。






4歳の長男が、早く帰ってきたお父さんと遊びたくて




漫画を読みふける夫のそばにまとわりつく。




私はカウンター越しに夕食の準備をしながらその様子を




何気なくみていた。




と、夫がいきなり長男をはらいのけ




後ずさる長男めがけて漫画本を投げつけた!




泣き叫ぶ長男。




顔面に当り、新しい紙のせいで顔が切れて血がでている。




あわてて駆け寄り長男を抱きとめる私。




「あんた、自分の子供なのになんちゅうことをするのか!」




本当は怒鳴りたかったけど




私の表情をみた夫は




それ以上の恐ろしい顔で私を睨みつけたのだ。




「なんかひと言でもこの俺に言ってみろ、




おまえもただじゃおかんけの」




絶対そう言ってる顔だった。




怖すぎて、逆らえなかった。






そんなことがあっても




その時の私は、離婚しょうなんて




まだ全然思ってもなかった。




我慢するしかないって思ってたと思う。








この状態って、明らかに「DV」だよね。




今、久しぶりにリアルに思い出したけど




やっぱ、離婚してよかった。




なにがどういけなかったのかわからないけど




こんなのって、やっぱり変と思う。






離婚する半年くらい前に、長男の七五三で




家族で写真館で記念写真を撮った。




お参りに行った帰り、階段を降りながら




突然、頭をよぎったこと。




「もしかして、これが家族で写る最後の写真かも」。




直感が的中してしまった。