さて、筆者は生粋の日本人だが以前に述べたように中国では中国人と外見からはみられ、外国人としての扱いを受けたことはあまりない。まあ特別扱いされたいのは「誰でも」思っているかもしれないが、日本のどこかの赤字エアラインのように外人と日本人ではあれだけ露骨に扱いを変えることは少ない。いや、やっぱり白人のハンサムな男性だと航空小姐(スッチー)はやさしいなぁー・・・
結論ではないが、この客は大切で怒らせたらまずい客、と思わせるのが白人でもハンサムでもない筆者のような人間には必要である。
ある時「深セン航空」で広州から長春に向かう際の話。一口に広州から長春と言えるほどこの2都市の距離は近くない。広州は香港に近く長春は緯度で言うなら旭川と同じ、会社は長旅を案じてファーストクラスを用意してくれた。まあ国際線とは比べられないが、座席はかなりゆったりしており人間扱いしてもらえる。広州の空港に着いてチェックインしようとしたら、係員が急に難しそうな顔をした。たどたどしい英語で「DUTY MANAGERのところに行って欲しい」と言う。まあ時間があったので「やさしく」受け入れて行ったところ、今度は流暢な英語で「大変済まないがファーストクラスがキャンセルになった(ファーストクラスのない機体を使う)リファウンドさせて欲しい。お詫びにラウンジの使用、座席は最前列を提供する。横には誰も座らせない。」なかなか良い航空会社である。ニコニコしながら、しょうがないね、と了解した。さてラウンジから搭乗開始を受けて機内に乗り込んでみると最前列 私の席に、いや私の列に3人おじさん(自分もそうだが)がすでに座っているではないか!中国語で「退きなさい!」と言えればいいが、言えない筆者は搭乗券を見せて「ここは私の席!」をアピールしたが全く言うことを聞かない。「その辺がまだ空いているだろう」と言う感じである。どうもバスか列車のつもりらしい。航空小姐の出番である。英語で彼らに本来の席に移るように言って欲しいと航空小姐に(英語で)言ったところ・・・
「逃げちゃいました」
英語が出来なかったらしい。(苦笑)
次にきたのが責任者?パーサー?チョット期待できそうな、少し年齢が上のお姉さん。英語しゃべれる?って聞くと・・・すかさず「少しですが」と答えたので安心して同じ苦情を言ったところ理解した顔を見せた。しかし次に言った言葉に唖然とした。「こちらが空いていますから、こちらに座ってもらえませんか?」うーん、ほかの客ならまだしも、絶対に筆者は許さない。「いいかーよく聞け、広州のduty managerがこう約束したんだぞー(その後は略)」こちらの剣幕を受けて危うく機長を連れて来るんじゃなかと心配したが、今度はやっと座っているおじさん3人にあんたらの搭乗券を見せて!って言ってるのが分かった。3人とも搭乗券は丸めてポケットに入れてしまっていてなかなか出てこない。出てきましたよ。やっと。一番後ろの列でした。航空小姐がここに書いてある席に移れ、って言ってる、いーじゃないか!その辺に座らせれば!なんて会話が続く。しょうがないって顔でちらっと私の顔を見る航空小姐、絶対だめと態度を変えない筆者、結局おじさんたちは後ろに移っていった。「大変お待たせしました」とは言わなかった。
やっと座れたわけだが、一つだけ良いことがあった。
「この人はうるさい外人客!」という認識が浸透したのだ。(苦笑)
おかげでそれから5時間のフライト中は航空小姐が筆者の横を通る度に「May I help you?」が繰り返された。まあ悪い気持ちではなかったが・・・・
さて、中国国内線といえども国際化は進んでいる空港・機内のアナウンスは、もちろん中国語がメインだが英語も行われる。ただしアナウンスをするからといって、彼らが英語を流暢に話せるかどうかは別の話である。おっと彼らの英語力の話をしたいのではなかった。先回続いている。中国の地名の話である。英語といえども当たり前だが中国語の読み方で地名は発音される。そんなの当たり前!という方、日本で普通に呼ばれている中国の地名で中国語と同じなのは、シャンハイ、ホンコン位だろう。じゃあ北京は?確かに日本語でペキンとは読めない、カントン 廣東料理なんてのも聞くと思うが、これらも英語?のようである。中国語では・・・(ここで言う中国語とは普通語(プートンファ))北京はベイジン(オリンピックでそう言ってましたね)カントンはグアンドンとなる。我が長春はチャンチュンであり、西安はシーアン、大連はダーリアンといった感じである。何となくわかるうちは良いが、重慶のようにチョンチン、無錫はウーシーとなるとお手上げだろう。まだある 中国式の簡略漢字である。中国人も日本の地名は中国語で発音する。お互い様だが初めはどこのことを言っているのかわからなかった。東京はドンジン、北海道はベイハイダオ、九州はジュウジョウなどなど、中国人の方が漢字は日本式もだいたい分かるから日本に来た場合、中国に行った日本人より少し有利かもしれない。日本人の常識は世界の非常識と言うが漢字だと思って油断してはいけないのである。また本題からどこかの首相のように「ブレ」てしまった。ということで中国の空港では英語のアナウンスといえども中国語読みの地名がアナウンスされることにご注意を!
先の項で日本の常識という言い方をしたが、世界の常識?が中国で通用しないことが多々ある。たとえば・・・ビールである。
ビールの味ではない。冷えたビールが少ないのだ。「ピンダ ピジュ」(冷えたビール)といわないと最悪は真夏でも常温のビールがでてくる。え?とは中国の非常識ではない。考えた上での事なのだ。
もともと中国は国土が広い。従って物流なども未だに日本と同じというわけにはいかない。長春にも日本料理店はあるが新鮮な刺身などは期待する方が酷というもの、まして昔は鮮度という面ではたとえ瓶詰め、缶詰であっても安心してはいけない。
ということで、物を生で食べることは果物以外ほとんどない。飲み物も瓶詰めの水が普及したのは最近のことであり、水を飲むときもお湯を飲むことが多い。そういう事だからビールも冷えてない物を飲むことが多いため、冷えたビールを飲むという習慣さえつい最近までなかったようだ。ビールは冷やして飲む。中国では新しくまだ普及していない常識である。(最近は都市部を中心に冷えたビールを飲む習慣が一般化しているが、地方ではまだまだである)
飛行機のお話がずいぶん脱線してしまった。
こんな事を書いていたら、知らない間に飛行機が長春でなく大連に着陸していた。英語のアナウンスが今一つだが、いろいろな情報を総合すると長春に着陸しようとしたが強風で着陸をあきらめ、行き先を大連に変えたようだ。いまタンクローリーが来て翼の燃料タンクに給油中である。給油は加油(ジャーヨ)というが、頑張れ!という意味でも使う。「北京加油!」とオリンピックの際に応援していたのを覚えていらっしゃるだろうか?さあて加油は終わったようだが・・・いったいいつ飛び立つのか?迎えに来ているはずの運転手の孫さん!待っててくださいね!
先の項で日本の常識という言い方をしたが、世界の常識?が中国で通用しないことが多々ある。たとえば・・・ビールである。
ビールの味ではない。冷えたビールが少ないのだ。「ピンダ ピジュ」(冷えたビール)といわないと最悪は真夏でも常温のビールがでてくる。え?とは中国の非常識ではない。考えた上での事なのだ。
もともと中国は国土が広い。従って物流なども未だに日本と同じというわけにはいかない。長春にも日本料理店はあるが新鮮な刺身などは期待する方が酷というもの、まして昔は鮮度という面ではたとえ瓶詰め、缶詰であっても安心してはいけない。
ということで、物を生で食べることは果物以外ほとんどない。飲み物も瓶詰めの水が普及したのは最近のことであり、水を飲むときもお湯を飲むことが多い。そういう事だからビールも冷えてない物を飲むことが多いため、冷えたビールを飲むという習慣さえつい最近までなかったようだ。ビールは冷やして飲む。中国では新しくまだ普及していない常識である。(最近は都市部を中心に冷えたビールを飲む習慣が一般化しているが、地方ではまだまだである)
飛行機のお話がずいぶん脱線してしまった。
こんな事を書いていたら、知らない間に飛行機が長春でなく大連に着陸していた。英語のアナウンスが今一つだが、いろいろな情報を総合すると長春に着陸しようとしたが強風で着陸をあきらめ、行き先を大連に変えたようだ。いまタンクローリーが来て翼の燃料タンクに給油中である。給油は加油(ジャーヨ)というが、頑張れ!という意味でも使う。「北京加油!」とオリンピックの際に応援していたのを覚えていらっしゃるだろうか?さあて加油は終わったようだが・・・いったいいつ飛び立つのか?迎えに来ているはずの運転手の孫さん!待っててくださいね!
中国での飛行機の話をしようとすると、あまりいいことが書けない自分に気がつく。
まあ苦笑いで済むものなら良いのだが、サービスの基本の神髄を直接肌で感じられると自分に言い聞かせている。
さて中国と一口にいうが、どれだけ広いかどれだけの方々が実感されたことがあるだろうか?
小生が今住んでいる長春はまだロシア国境まで500キロ以上ある場所だが、ここからみなさんご存じの香港や少し内地に位置する重慶まで直行便がないにしても、5時間半位かかる。東京バンコックやシンガポールが6時間位だと思い出すとその広さが実感できるだろう。(上海成田は2時間半です)
従って中国全土を担当する駐在員としては飛行機での移動が多くなる。さすがにいつも5時間ということはないが、1時間半から2時間は普通である。
赴任前に心配していたのが、機体の信頼性。「旧ソビエト」の「イリューシン」「ツボレフ」なんかがまだ飛んでたらどうしよう!なんて思ったものだ。赴任してみたら拍子抜け!100%ボーイング、エアバスの割合新しい機体であった。今もエアバスのA321で離陸を待っているところである。
でも操縦が下手なんじゃないの?とご心配の諸兄、ご安心あれ!空軍上がりのベテランパイロットが安心できる操縦を提供してくれる。少なくても欧州並の操縦品質はあると思っていただいてかまわない。
さてスッチーのサービス、美貌度?ということになると、???となる。
スッチーの美貌度はその国の経済力に反比例する。とどこかで聞いたことがある。欧米や日本もすでにスッチーは花形職業のリストから消えて久しい。さすがに日本はまだ自分の祖母にサービスしてもらっているような感覚はないが・・・(苦笑)
中国では航空会社によって「地域性」というか洗練度が現れてしまうのがおもしろい。
一般的に大都市をベースにしている中国国際航空や上海航空などは北京や上海の人間が採用されるので、割合日本に近い環境かもしれないが、四川航空?深セン航空?海南航空なんて事になると結構レベルが高い?(苦笑)
ここまでの独断と偏見はあくまで外見の話。サービスがいいかどうかは別である。
会社の同僚で中国はサービスという言葉は存在しないと言い切った御仁がいるが、まあそういう気持ちになるのは分かる。特に中国人女性は最近とみに化粧や髪型が洗練され日本人女性と一見見分けがつかないことがある。従って中国初心者は相手に外国を感じず日本と同じ反応、サービスを期待するため、その裏切られた際の失望は非常に大きい。
これは都会であろうが地方であろうが関係ないから、どうせ裏切られるなら外見の良い方に・・・というのが男心というものである。(苦笑)
まあ苦笑いで済むものなら良いのだが、サービスの基本の神髄を直接肌で感じられると自分に言い聞かせている。
さて中国と一口にいうが、どれだけ広いかどれだけの方々が実感されたことがあるだろうか?
小生が今住んでいる長春はまだロシア国境まで500キロ以上ある場所だが、ここからみなさんご存じの香港や少し内地に位置する重慶まで直行便がないにしても、5時間半位かかる。東京バンコックやシンガポールが6時間位だと思い出すとその広さが実感できるだろう。(上海成田は2時間半です)
従って中国全土を担当する駐在員としては飛行機での移動が多くなる。さすがにいつも5時間ということはないが、1時間半から2時間は普通である。
赴任前に心配していたのが、機体の信頼性。「旧ソビエト」の「イリューシン」「ツボレフ」なんかがまだ飛んでたらどうしよう!なんて思ったものだ。赴任してみたら拍子抜け!100%ボーイング、エアバスの割合新しい機体であった。今もエアバスのA321で離陸を待っているところである。
でも操縦が下手なんじゃないの?とご心配の諸兄、ご安心あれ!空軍上がりのベテランパイロットが安心できる操縦を提供してくれる。少なくても欧州並の操縦品質はあると思っていただいてかまわない。
さてスッチーのサービス、美貌度?ということになると、???となる。
スッチーの美貌度はその国の経済力に反比例する。とどこかで聞いたことがある。欧米や日本もすでにスッチーは花形職業のリストから消えて久しい。さすがに日本はまだ自分の祖母にサービスしてもらっているような感覚はないが・・・(苦笑)
中国では航空会社によって「地域性」というか洗練度が現れてしまうのがおもしろい。
一般的に大都市をベースにしている中国国際航空や上海航空などは北京や上海の人間が採用されるので、割合日本に近い環境かもしれないが、四川航空?深セン航空?海南航空なんて事になると結構レベルが高い?(苦笑)
ここまでの独断と偏見はあくまで外見の話。サービスがいいかどうかは別である。
会社の同僚で中国はサービスという言葉は存在しないと言い切った御仁がいるが、まあそういう気持ちになるのは分かる。特に中国人女性は最近とみに化粧や髪型が洗練され日本人女性と一見見分けがつかないことがある。従って中国初心者は相手に外国を感じず日本と同じ反応、サービスを期待するため、その裏切られた際の失望は非常に大きい。
これは都会であろうが地方であろうが関係ないから、どうせ裏切られるなら外見の良い方に・・・というのが男心というものである。(苦笑)
いきなりで恐縮だが,貴兄の中で人種差別を受けた
経験がある方はどれくらいいるだろうか?
小生の長い海外生活で,過去とてもいやな経験がある。
それはオーストラリアの北部の港町で起きた。
その町は日本へ鉄鉱石や石炭を輸出することが
主要な産業で典型的なラッキーカントリーの
恩恵を受けている町のひとつである。
夏休みというか冬休みというか8月に2週間休暇を
もらった私は当時住んでいたシドニーから
海岸線を北に向かいゴールドコースト,ケアンズ行きバスツアーに参加した。
まだ英語の勉強中だった私にツアー仲間のOZのおじさん
おばさんたちはやさしくしてくれた。
いつも話しかけてくれたので,休暇が終わって帰るころには
英語力がずいぶん向上していた。
そんなツアーで泊まったのが,その北部の町だった。
いつものようにおじさんおばさんたちと夕食を
食べに地元のレストランに行った。
「ここは海が近いけど漁師は居ないの」
おばちゃんの一人が申し訳なさそうに告げる。
「大丈夫,刺身は頼まないよ!」
そんなジョークが言えるようになっていた。
それぞれがメニューを見ておばちゃんウェイトレスに
オーダーをして行った。
私の番が来たと思って,何かを言おうとした瞬間
おばちゃんウェイトレスは去って行った。
何人分か先に調理場に伝えるために行ったのかな ?
私も他のおじちゃんおばちゃんたちもそう考えていた。
すぐウェイトレスは戻ってきたが他のテーブルの対応をしていた。
まあ,のんびりした国なのでそのうちに来るだろうと
思っていたが,いつまでたっても来ない。
業を煮やしたOZのおばちゃんがわざわざ立ってウェイトレスに
私の注文を取りに来るよいうに言いに行ってくれた。
ようやく来たウェイトレスにおじちゃんおばちゃんたちは
口々に私への非礼を詫びるように言った。
「え?この人さっき居た?見えなかった」
私はそのレストランで唯一の非白人の客であったのだ。
いやいやオーダーを聞いてウェイトレスが去った後
おばちゃんの一人が,丁寧な口調で私に言った。
munekoba,全てのオーストラリア人に代わってお詫びします。
白豪主義ってもうなくなったと思っていたけど
北部のような保守的な地域には残っていたわ…と…
自体がやっと飲み込めた私はびっくりしたのと
悔しいのと同時におじちゃんおばちゃんたちの優しさに
感謝した。
何を食べたのか?どう帰ったのか?そのあと何を話したのか?
あんまり覚えていない。
自分が人種差別を受けることなんて考えていなかったから
カルチャショックは大きかった。
この悔しさ,驚きは経験したことが無ければわからないと思う。
この時,一生どんな人種の人も言葉がしゃべれなくても
平等にやさしくすること,を心に誓った。
後年,英国に赴任して大家さんと初めてローカルパブデビュゥの際
近所の呑み助おじさんの一人が私に口を開いた言葉が印象意的だ。
What part of world do you come from?
オーストラリアがいまほど日本人に一般的でなかったころ
我々は中国人,ベトナム人,フィリピン人,タイ人などと言われたものだ。
それが10年以上たってから英国の田舎で初めて聞かれた質問の
レベルの高さに驚いたものだ。
英国人は世界の外交官といわれるが,まさにその片鱗を感じさせた。
ちなみに現在も私は中国で人種差別を受けている。
もちろん人権を無視するようなひどいものではないが…
中国で中国人と同じような顔をした日本人が中国語を話さないのは
日本に来て中国人や韓国人が日本語を話さないのと同じ感覚である。
といっても,中国語は勉強する機会を与えられなかった私は
サバイバル中国語しかできない。
したがって,何か町で中国語で物を聞かれたとき,
ごめんなさい,日本人なので中国語ができません。
そんなことを片言の中国語や英語で言うと相手はまるで人間以外を
見るような目を私に向ける。
その点,英国人やドイツ人の同僚たちは必ず英語で話しかけてもらえるし
ココロモチやさしくしてもらってるような気がする。
それは彼らが明らかに「外人」だからだ。
(ひがみ?)
「外人」扱いされることは,中国では現地化した?日本人には
難しいようである。(苦笑)
経験がある方はどれくらいいるだろうか?
小生の長い海外生活で,過去とてもいやな経験がある。
それはオーストラリアの北部の港町で起きた。
その町は日本へ鉄鉱石や石炭を輸出することが
主要な産業で典型的なラッキーカントリーの
恩恵を受けている町のひとつである。
夏休みというか冬休みというか8月に2週間休暇を
もらった私は当時住んでいたシドニーから
海岸線を北に向かいゴールドコースト,ケアンズ行きバスツアーに参加した。
まだ英語の勉強中だった私にツアー仲間のOZのおじさん
おばさんたちはやさしくしてくれた。
いつも話しかけてくれたので,休暇が終わって帰るころには
英語力がずいぶん向上していた。
そんなツアーで泊まったのが,その北部の町だった。
いつものようにおじさんおばさんたちと夕食を
食べに地元のレストランに行った。
「ここは海が近いけど漁師は居ないの」
おばちゃんの一人が申し訳なさそうに告げる。
「大丈夫,刺身は頼まないよ!」
そんなジョークが言えるようになっていた。
それぞれがメニューを見ておばちゃんウェイトレスに
オーダーをして行った。
私の番が来たと思って,何かを言おうとした瞬間
おばちゃんウェイトレスは去って行った。
何人分か先に調理場に伝えるために行ったのかな ?
私も他のおじちゃんおばちゃんたちもそう考えていた。
すぐウェイトレスは戻ってきたが他のテーブルの対応をしていた。
まあ,のんびりした国なのでそのうちに来るだろうと
思っていたが,いつまでたっても来ない。
業を煮やしたOZのおばちゃんがわざわざ立ってウェイトレスに
私の注文を取りに来るよいうに言いに行ってくれた。
ようやく来たウェイトレスにおじちゃんおばちゃんたちは
口々に私への非礼を詫びるように言った。
「え?この人さっき居た?見えなかった」
私はそのレストランで唯一の非白人の客であったのだ。
いやいやオーダーを聞いてウェイトレスが去った後
おばちゃんの一人が,丁寧な口調で私に言った。
munekoba,全てのオーストラリア人に代わってお詫びします。
白豪主義ってもうなくなったと思っていたけど
北部のような保守的な地域には残っていたわ…と…
自体がやっと飲み込めた私はびっくりしたのと
悔しいのと同時におじちゃんおばちゃんたちの優しさに
感謝した。
何を食べたのか?どう帰ったのか?そのあと何を話したのか?
あんまり覚えていない。
自分が人種差別を受けることなんて考えていなかったから
カルチャショックは大きかった。
この悔しさ,驚きは経験したことが無ければわからないと思う。
この時,一生どんな人種の人も言葉がしゃべれなくても
平等にやさしくすること,を心に誓った。
後年,英国に赴任して大家さんと初めてローカルパブデビュゥの際
近所の呑み助おじさんの一人が私に口を開いた言葉が印象意的だ。
What part of world do you come from?
オーストラリアがいまほど日本人に一般的でなかったころ
我々は中国人,ベトナム人,フィリピン人,タイ人などと言われたものだ。
それが10年以上たってから英国の田舎で初めて聞かれた質問の
レベルの高さに驚いたものだ。
英国人は世界の外交官といわれるが,まさにその片鱗を感じさせた。
ちなみに現在も私は中国で人種差別を受けている。
もちろん人権を無視するようなひどいものではないが…
中国で中国人と同じような顔をした日本人が中国語を話さないのは
日本に来て中国人や韓国人が日本語を話さないのと同じ感覚である。
といっても,中国語は勉強する機会を与えられなかった私は
サバイバル中国語しかできない。
したがって,何か町で中国語で物を聞かれたとき,
ごめんなさい,日本人なので中国語ができません。
そんなことを片言の中国語や英語で言うと相手はまるで人間以外を
見るような目を私に向ける。
その点,英国人やドイツ人の同僚たちは必ず英語で話しかけてもらえるし
ココロモチやさしくしてもらってるような気がする。
それは彼らが明らかに「外人」だからだ。
(ひがみ?)
「外人」扱いされることは,中国では現地化した?日本人には
難しいようである。(苦笑)
いろいろなところを旅すると面白いことがある。
何年か前,NYCに妻と夏の休暇で行ったときのことだ。
その日は夏の日が照りつける暑い日だった。
午前中に「自由の女神」を見物した私たちは昼食後
エンパイヤステートビルのあたりを歩いていた。
週末ではなかったが,夏の観光シーズンということも有って
歩道は観光客であふれていた。
そういう私たちも,片手にガイドブックを持ってサングラスに
デイバックという典型的な観光客スタイルであったことは
言うまでもない。
妻と次に行くところを相談しながら歩いていたときだと思う。
警官に呼び止められた。
「お前は日本語を話すか?」
よほど私たちは日本人らしい姿をしていたんだろう。
しかし「英語を話すか?」と聞いてこないところが
米国らしいと後から思った。
「あまりうまくないけど日本人だから話すよ」
ジョーク交じりに返事をしながら警官に向き合った。
強い日差しの下,その若い警官は,私が思い描く
「典型的」な正義感の強い米国人が「警官の制服」を
着ている。そんな感じの青年だった。
「よかった!」という心底思ってる感じの彼の横には,
東洋人の老人男性が不安げに立っていた。
「忙しいところを邪魔してすまない。
ここにいる紳士は日本の方のようだ。
仲間からはぐれて困っているようだ。
ニューヨークの港にクルーズの途中に
寄ったらしいところまではわかったんだが・・・
ピア(桟橋)の番号を聞いてくれないか?」
いわゆる「迷子」である。
「本当に日本人なのか?確かめてみないとわからないぞ」
そんな冗談も正義感に燃えている若い警官には通じなかった。
「日本の方ですか?」
「はい,女房たちが待ち合わせの場所に来ませんでして・・・」
それまで我々の会話がわからず不安そうだった老人は,
急に胸を張って私の問いに答えた。
話を聞いてみると,
・NYCには世界一周クルーズで寄港した。
・午後2時半にエンパイヤステートビルの前集合ということで,
皆と別れ自由行動をしていた。
・時間になってその場所で待っていたが,いつまでたっても誰も来ない。
・船の出港は午後4時なので港に早く帰りたいがどうやって帰ればいいか分からない。
(そのときすでに時計は午後3時半を回っていた)
警官に通訳する前に,私はあることに気がついた。
彼が待っていたのはエンパイヤステートビルの前ではなかったのだ。
一区画は離れていた。これではいつまで待っても来ないはずだ。
きっと大騒ぎになっていることだろう。
事情は分かった。
言葉の分からない同士,警官と老人でよくコミュニケーションできていたものだ。
警官の「読み」に間違いはなかった。
「船の名前は?何番桟橋に船は停泊していますか?」
老人は動揺していたのか?まったく覚えていない,と繰り返すだけだ。
「とりあえず桟橋に行ってみたら??」
と警官に提案したところ,
停泊桟橋は何十とあり,めぼしをつけないと時間に間に合わない。
と地元の警官ならではの答えが返ってきた。
「なにか桟橋の番号や名前など,ちょっとした事を覚えていませんか?」
動揺している老人,年の頃は75歳位だろうか?
かぶっている帽子には寄港した港のものと思われる「ピンバッジ」が
いたるところに付けてあった。
「船が泊まってる場所が分からないとお連れできないんですよ。
困りましたねぇ。」
「そういえば, 船の泊まってる場所に大きな文字で 76 と書いてありましたが」
「それだ!」 思わず叫んだ私は,警官に即座にそれを伝えた。
「そうなんだ。その番号を知りたかったんだ。」
彼はホッとした顔をして我々に微笑みかけた。
「ここからは私の仕事だ。任せてくれ,この紳士を間違いなく送り届ける。」
頼りがいのある顔で彼はそう告げた。
「Thanks a lot!」
彼は「すがすがしい」顔で私と握手して,老人をパトカーに乗せて走り去った。
この間,5分もなかったと思うがこの出来事をよく妻と思い出す。
「あのおじさん,ちゃんと旅を続けられたかねぇ?」
あの正義感に燃えた若い警官の姿とともに
何年か前,NYCに妻と夏の休暇で行ったときのことだ。
その日は夏の日が照りつける暑い日だった。
午前中に「自由の女神」を見物した私たちは昼食後
エンパイヤステートビルのあたりを歩いていた。
週末ではなかったが,夏の観光シーズンということも有って
歩道は観光客であふれていた。
そういう私たちも,片手にガイドブックを持ってサングラスに
デイバックという典型的な観光客スタイルであったことは
言うまでもない。
妻と次に行くところを相談しながら歩いていたときだと思う。
警官に呼び止められた。
「お前は日本語を話すか?」
よほど私たちは日本人らしい姿をしていたんだろう。
しかし「英語を話すか?」と聞いてこないところが
米国らしいと後から思った。
「あまりうまくないけど日本人だから話すよ」
ジョーク交じりに返事をしながら警官に向き合った。
強い日差しの下,その若い警官は,私が思い描く
「典型的」な正義感の強い米国人が「警官の制服」を
着ている。そんな感じの青年だった。
「よかった!」という心底思ってる感じの彼の横には,
東洋人の老人男性が不安げに立っていた。
「忙しいところを邪魔してすまない。
ここにいる紳士は日本の方のようだ。
仲間からはぐれて困っているようだ。
ニューヨークの港にクルーズの途中に
寄ったらしいところまではわかったんだが・・・
ピア(桟橋)の番号を聞いてくれないか?」
いわゆる「迷子」である。
「本当に日本人なのか?確かめてみないとわからないぞ」
そんな冗談も正義感に燃えている若い警官には通じなかった。
「日本の方ですか?」
「はい,女房たちが待ち合わせの場所に来ませんでして・・・」
それまで我々の会話がわからず不安そうだった老人は,
急に胸を張って私の問いに答えた。
話を聞いてみると,
・NYCには世界一周クルーズで寄港した。
・午後2時半にエンパイヤステートビルの前集合ということで,
皆と別れ自由行動をしていた。
・時間になってその場所で待っていたが,いつまでたっても誰も来ない。
・船の出港は午後4時なので港に早く帰りたいがどうやって帰ればいいか分からない。
(そのときすでに時計は午後3時半を回っていた)
警官に通訳する前に,私はあることに気がついた。
彼が待っていたのはエンパイヤステートビルの前ではなかったのだ。
一区画は離れていた。これではいつまで待っても来ないはずだ。
きっと大騒ぎになっていることだろう。
事情は分かった。
言葉の分からない同士,警官と老人でよくコミュニケーションできていたものだ。
警官の「読み」に間違いはなかった。
「船の名前は?何番桟橋に船は停泊していますか?」
老人は動揺していたのか?まったく覚えていない,と繰り返すだけだ。
「とりあえず桟橋に行ってみたら??」
と警官に提案したところ,
停泊桟橋は何十とあり,めぼしをつけないと時間に間に合わない。
と地元の警官ならではの答えが返ってきた。
「なにか桟橋の番号や名前など,ちょっとした事を覚えていませんか?」
動揺している老人,年の頃は75歳位だろうか?
かぶっている帽子には寄港した港のものと思われる「ピンバッジ」が
いたるところに付けてあった。
「船が泊まってる場所が分からないとお連れできないんですよ。
困りましたねぇ。」
「そういえば, 船の泊まってる場所に大きな文字で 76 と書いてありましたが」
「それだ!」 思わず叫んだ私は,警官に即座にそれを伝えた。
「そうなんだ。その番号を知りたかったんだ。」
彼はホッとした顔をして我々に微笑みかけた。
「ここからは私の仕事だ。任せてくれ,この紳士を間違いなく送り届ける。」
頼りがいのある顔で彼はそう告げた。
「Thanks a lot!」
彼は「すがすがしい」顔で私と握手して,老人をパトカーに乗せて走り去った。
この間,5分もなかったと思うがこの出来事をよく妻と思い出す。
「あのおじさん,ちゃんと旅を続けられたかねぇ?」
あの正義感に燃えた若い警官の姿とともに
今日は5月の第2日曜日,中国でも「母の日」でした。

道端には,あちこちにカーネーションの花束を売る店が・・・
花束を持って家路を急ぐ人やケーキ?を買って家路を急ぐ人も・・・
火鍋レストランは「お母さん」を中心に家族で食事をする
人たちであふれていました。

これまでアップできませんでしたが,長春ではこのような
ロバの荷馬車が多く見られます。
munekobaとしては,とても懐かしいロバくんたちとの再会です。

これから夏への長春の風物は,このロバの荷馬車で売りに来る
「メロン」というか「マクワウリ」です。
日本流に言えば「プリンスメロン」のような小さい「瓜」です。
味は上品な甘さが売りで,水分もたっぷりです。
先週から長春は春を通り越して夏の気温。
27度まで行きました。日本も北海道が暑かったことを聞いて納得。
そんな週末ですから,munekobaも散歩が気持ちよかったです。
そんな中で???なものを発見。

町中に物騒なものが・・・

ホテルの前でした・・・・
ご心配なく!これは祝砲です。それも空気の圧力?で音だけ出す「空砲!」
祝い事で花火を打ち上げるのが好きな中国人ですが,危険なので
花火はお正月の時期だけと決められています。
そんな法律?条例?を受けて,考えたのがこの「空砲」です。

こうやって後ろから見ても「Detail」にこだわっていますね。
或る祝賀会で実際に音を聞いていますが,十分「立派」な音がします。(苦笑)
上海では見たことがなかったので,長春独特?かもしれませんが
こんなものを中国で見てもびっくりしないでくださいね。

道端には,あちこちにカーネーションの花束を売る店が・・・
花束を持って家路を急ぐ人やケーキ?を買って家路を急ぐ人も・・・
火鍋レストランは「お母さん」を中心に家族で食事をする
人たちであふれていました。

これまでアップできませんでしたが,長春ではこのような
ロバの荷馬車が多く見られます。
munekobaとしては,とても懐かしいロバくんたちとの再会です。

これから夏への長春の風物は,このロバの荷馬車で売りに来る
「メロン」というか「マクワウリ」です。
日本流に言えば「プリンスメロン」のような小さい「瓜」です。
味は上品な甘さが売りで,水分もたっぷりです。
先週から長春は春を通り越して夏の気温。
27度まで行きました。日本も北海道が暑かったことを聞いて納得。
そんな週末ですから,munekobaも散歩が気持ちよかったです。
そんな中で???なものを発見。

町中に物騒なものが・・・

ホテルの前でした・・・・
ご心配なく!これは祝砲です。それも空気の圧力?で音だけ出す「空砲!」
祝い事で花火を打ち上げるのが好きな中国人ですが,危険なので
花火はお正月の時期だけと決められています。
そんな法律?条例?を受けて,考えたのがこの「空砲」です。

こうやって後ろから見ても「Detail」にこだわっていますね。
或る祝賀会で実際に音を聞いていますが,十分「立派」な音がします。(苦笑)
上海では見たことがなかったので,長春独特?かもしれませんが
こんなものを中国で見てもびっくりしないでくださいね。
つい1ヶ月半前はこんな感じでしたが・・・・

すっかり芽も吹いて来ました。

北国長春にも急速に春がやってきました。
日中の気温も20度を超えました!
そして・・・・


北国の春は一気に来ました。
日本でも北海道では梅も桜も一気に咲くと聞きますが
長春も同じです。
久々に綺麗な写真が撮れました。
やっぱり天気が良くないと駄目ですね。
昨日も今日もポカポカ陽気で花は一気に満開になりました。
春と言えば日本では入社式,入学式の季節ですね。
中国は7月が新学期のようです。
従って新入社員も7月から8月に入ってきます。
青田刈りもあるようですが,未だ就職活動が続いている様子。

面接試験にはやっぱり「リクルート・スーツ」
何処でも変わらないようです。
すっかり忘れてましたが,この週末は「復活祭(イースター)」
英国時代も復活祭が来ると,長い冬が終わったなぁーと思いましたが
ここ長春でも復活祭が春を運んでくるのは同じのようです。

すっかり芽も吹いて来ました。

北国長春にも急速に春がやってきました。
日中の気温も20度を超えました!
そして・・・・


北国の春は一気に来ました。
日本でも北海道では梅も桜も一気に咲くと聞きますが
長春も同じです。
久々に綺麗な写真が撮れました。
やっぱり天気が良くないと駄目ですね。
昨日も今日もポカポカ陽気で花は一気に満開になりました。
春と言えば日本では入社式,入学式の季節ですね。
中国は7月が新学期のようです。
従って新入社員も7月から8月に入ってきます。
青田刈りもあるようですが,未だ就職活動が続いている様子。

面接試験にはやっぱり「リクルート・スーツ」
何処でも変わらないようです。
すっかり忘れてましたが,この週末は「復活祭(イースター)」
英国時代も復活祭が来ると,長い冬が終わったなぁーと思いましたが
ここ長春でも復活祭が春を運んでくるのは同じのようです。




