英語で書かれた何かの文章で、子どもはfragmentだと書かれていたのを見たことがある。

 字義通りに訳せば「かけら」「断片」となる。

 きっと、未完成で、未熟で、拾っても拾っても拾いきれない、手に取ろうとするとこぼれ落ちてしまう……そんな意味なのだろうと思った。

 

 この文章を書き出そうと思ったときは、子どもはかけらなんかではなく、一つの宝石だと書こうと思った。

 今日、金曜の夜、子どもを車に乗せて走った。少し離れたアイスクリーム店まで。

 もう夏だから、8時に近い時刻にもかかわらず、まだ夕焼けが続いていた。

 妻がアイスクリームを受け取っている間、自分は次女を抱えて車に戻った。もう4歳になるというのに、わけのわからないことを言って、僕の胸でケラケラと笑っている次女。その笑顔はまさしく宝石だと思った。

 

 だから、そう書こうとした。

 

 でも、fragmentの意味をなんとなく検索してみたとき、その言葉が示す「かけら」「断片」から想像が広がった。

 

 ああ、今のこの瞬間は本当にかわいかった。そう思ってスマホの画面をスワイプし、ビデオに切り替え、「もう1回やって」と自分は言う。

 でも、あのときの本当に愛らしかった瞬間は再現できない。

 これが、断片ということなのかもしれない。手のひらからこぼれ落ちるということなのかもしれない。

 たくさん拾って、かき集めても、自分が感じている いとおしさ という大きなパズルは完成しないのかもしれない。

 

 だから、子どもは かけらなのだ。

 

 上手な表現を見つけたものだ、と思った。