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調整の調整でさらに頭を下げつつ、7月の出発が可能なところへ、なんとかこぎ着けることが出来たのは出発10日前を切ってからだった。
本来なら旧ロシア諸国は、ビザ手続きが煩雑なためこの期間での渡航は不可能だ。
この前年、関空より飛び始めたウズベキスタン航空は、SARSやイラン戦争の影響で客足が伸びずにいた。そこで、このエアラインを利用してウズベキスタンへ向かう乗客に対しては特例的に、ビザ取得をウズベキスタン航空が代行するというという形で、最短1週間で発行可能になっていた。
さらに、日本-タシケント間を利用すれば、さらに国際線または国内線をもう2区間無料でつけるというプロモーションもおこなわれていた。
たとえば、ウズベキスタン国内なら、ツアーにとっては移動距離が長すぎるヒヴァへの移動が飛行機に。国際線なら指定された、10数都市への往復が可能だった。その中には、ヨーロッパのパリやローマ、ロンドンなども含まれていた。
この時期の日本-ヨーロッパ線は10万円を切ることがない。それなのに、格安航空券を扱う旅行会社からは、ヨーロッパ98,000円という価格が踊っていた。そこにはこんなからくりがあったのだ。
そして、そのプロモーション可能なリストの中に『バクー(BAKU)』という都市名を見つける。その単語が頭から離れなかった。まだ見たこともない国の都市。これは行ってみるしかないじゃないか。

チケットの申込期日ギリギリに設定したのは、バクーinのタシケントoutというオープンジョーのチケットだった。
(写真はアゼルバイジャンの首都バクーのモニュメント広場より街を見下ろす)