羽生くん


スーパースラム達成


おめでとう!



羽生結弦、男子初“スーパースラム”への歩み



▽ジュニアGPファイナル 09年12月、国立代々木競技場で戴冠。SPは69・85点で3位だったが、フリーで136・92点をマークして逆転を果たした。日本男子としては05年大会の小塚崇彦以来、2人目の優勝だった。

 ▽世界ジュニア選手権 初出場の09年大会は12位。1年で急成長を遂げ、10年大会で金メダルを獲得した。SPは68・75点の3位も、フリー1位の147・35点で逆襲。日本男子としては高橋大輔、織田信成、小塚崇彦に次いで4人目のジュニア世界王者となった。

 ▽GPファイナル ソチ五輪開幕を約2カ月後に控えた13年12月、黄金のポテンシャルを見せつけた。SPで99・84点の世界最高得点(当時)をマークして首位に立つと誕生日前日、18歳最後の演技となったフリーも1位で合計293・25点は世界歴代2位(当時)。世界選手権3連覇中のチャン(カナダ)に勝利し、頂点に立った。日本男子としては12年大会の高橋大輔に続いた。羽生は16年大会まで史上初となる4連覇を飾る。

 ▽世界選手権 初出場の12年大会でいきなり銅メダルを獲得。14年3月、五輪王者として、さいたまスーパーアリーナで黄金の勲章を手に入れた。SPは91・24点の3位だったが、フリー1位の191・35点で合計を282・59点とした。日本男子は10年大会の高橋大輔以来となる優勝で、羽生は17年大会はSP5位から大逆転して2度目の優勝を飾った。

 ▽五輪 初出場の14年2月のソチ五輪では団体のSPで好演技を披露。個人戦ではSPで101・45点と国際大会公認では史上初の100点超えで首位発進。フリーも1位の178・64点で合計280・09点とし、日本男子初の金メダルを獲得。18年2月の平昌五輪は右足首負傷のため約4カ月ぶりの実戦となったが、SP111・68点、フリー206・17点、合計317・85点で66年ぶりに連覇を達成した。

 ▽四大陸選手権 11、13、17年と全て2位。20年2月の今大会ではSP「バラード第1番」、フリー「SEIMEI」と平昌五輪の黄金プログラムに戻し、合計299・42点で初優勝。主要国際大会コンプリートで、フィギュア史に金字塔を打ち立てた。

羽生結弦が四大陸初Vで“スーパースラム”達成 新衣装「SEIMEI」で新伝説




この日午前9時40分からの公式練習は15分で切り上げた。4回転ルッツを1度決めるなど、ハイペースでジャンプを確認するとジャージーをはおり「SEIMEI」が流れる前にリンクを後にした。

 そして、午後3時。18年2月17日の平昌五輪フリー以来、722日ぶりに「SEIMEI」の陰陽師が韓国に再臨した。「あの時とは経験値が違いますし、音の感じ方、間の取り方、どういうふうに表現したいかというのも全然違う。だから、また違ったものにしたい」。襟と袖口を緑系の色に変えた新衣装で舞った。

 冒頭の4回転ルッツは着氷が乱れたが転倒せず、4回転サルコー、トリプルアクセル、3回転フリップを決めた。演技後半の4回転トーループでは転倒したものの、最後のトリプルアクセルを2回転トーループではなく、3回転トーループの連続ジャンプで成功させた。

 7日のSPでも平昌五輪で演じた「バラード第1番」で世界新。既に伝説の域に達し、「寝させてあげたかった」という2つのプログラムで“スーパースラム”を達成した。3月の世界選手権(カナダ)では最強のライバル、ネーサン・チェン(米国)と激突。17年大会以来、3年ぶりの世界一奪回へ、羽生は羽生の道を歩んでいく。

 ▼羽生結弦 フリーは満足できる演技じゃなかったけど、みなさんの声援のおかげで、何とか初めて四大陸を勝つことができた。(2年ぶりの韓国)緊張した。コロナウイルスだとか、もろもろの問題で来られなかった人とか、あとは僕ら自身もすごくいろいろ注意したり連盟の方々も注意していていたりしていたので、僕らもなんかすごく緊張したし、でも、こうやって素晴らしい試合ができたのは、みなさんの配慮だとかスタッフのみなさんのおかげ。本当にありがとうございました。カムサハムニダ~。






羽生結弦、フリーは187・60点 合計299・42点で暫定首位に立つ




◆フィギュアスケート 四大陸選手権最終日(9日、ソウル・木洞アイスリンク)

 男子フリーが行われ、ショートプログラム(SP)で世界最高得点の111・82点を記録し首位に立った羽生結弦(25)=ANA=は22番滑走で登場し、187・60点をマーク、合計299・42点で暫定首位にたった。

 シニアの国際大会初参戦ながらSPで91・61点の高得点をマーク、自己ベストで5位につけた鍵山優真(16)=星槎国際高横浜=は20番滑走で179・00点、合計270・61点だった。

 羽生の4分版のフリープログラム「SEIMEI」は、18年平昌五輪では負傷のため回避した4回転ルッツを入れた神プログラム。昨季のルール改正で演技時間が30秒短い4分になったため、伝説のプログラムの原型を残しつつ、新しく生まれ変わった。演技後半は曲のテンポを少し上げ、象徴的なシーンを残した。ジャンプを前半にまとめ、助走を削る工夫もほどこした。

 羽生は優勝すると、ジュニアの世界選手権、GPファイナルとシニアの五輪、世界選手権、GPファイナル、四大陸選手権(もしくは欧州選手権)を合わせた6冠をキャリアの中で制する「スーパースラム」を男子で初めて達成することになる。




【羽生結弦、語る】「ホッとしているのが一番」、「やっと取れて良かった」





 【羽生結弦と一問一答】

 ――四大陸を初めて制した気持ち、どんなことを考えて滑ったか
 「正直、ちょっと緊張していました。まあ、4回転ルッツをやらないといけないということと、あと、滑る前にちょっといつもとは違ったことがあったので、どういう風に集中していったらいいのかっていうことも、あらためて勉強させられた試合でもあったので。あの、演技に全て入り切れてたかって言われると、ちょっと入り切れていなかったなっていう風に思っています。まあ、でも、あの、とにかくショートでの収穫がものすごくあって、やっぱり、ああいう風に滑りたいっていう風にもフリーの方でもやっぱり思うので、え~、早くまた自分らしいものになったなって言えるように滑りたいな、と今は思っています。まあ、とりあえずホッとしているということが一番ですかね。あの、何よりも、この試合で、え~、ま、最初は16でいい演技をして銀で、それからなかなか勝てないなぁって思いながらやってたんで、やっと取れて良かったなと思います」

 ――フィギュア選手はよく自分のプログラムで憧れの選手にささげるが、自分のプログラムで将来、誰にささげたいか
 「ま、自分はもう、エフゲニー・プルシェンコさんとジョニー・ウィアーさんにトリビュートさせていただいたんで、自分は割と納得、納得っていうか満足しているんですけれども。小さい頃はソルトレークシティー・オリンピックで見たウィンターとか、あとは、そうですね、ドン・キホーテとかやってみたいなとかって思ったりもしていました」

 ――初出場の四大陸を覚えているか、また鍵山を見てどう思うか
 「えっと、僕が勝ったのは、えっと、勝ったじゃない、僕が2位になれたのは地震が起きるすぐ1カ月前くらいだったんですね。だから、すごく、あの、記憶がちょっと飛びかけているっていうのもあるんですけど。あの、ま、僕はシニアでもう既に闘っていたから、この緊張感とか、あとはなんか、プログラムの長さとかに慣れてはいたんですけれども、彼はやっぱりジュニアで闘ってきて、ジュニアのエレメンツで練習してきた中で、こうやってシニアの舞台で闘えるっていうのは、やっぱりすごく強いなって思うし、あの、かっこいいことだなって思います」

















今なんとも言えない気持ちでいます。



何をどう書いたらいいのか分からなくて
手当たり次第に記事を貼ったり
写真を貼ったりしていますが
落ち着いたらちゃんと
気持ちを綴りたいと思っています。




とりあえず今は
叫けばせてください。







羽生くん



おめでとうー!!



四大陸選手権



優勝おめでとうーー!!




スーパースラム達成



おめでとうーーー!!!




そして



感動をありがとう!




いっぱいいっぱいありがとう!!







読んでくださって
ありがとうございました。